遊煩悩林

住職のつぶやき

法然と親鸞

2008年03月28日 | ブログ

少し前になりますが、名古屋栄の中日劇場で公演中の前進座「法然と親鸞」のお芝居を見てきました。
2011年にお迎えする法然上人の800回大遠忌、親鸞聖人の750回御遠忌を記念して全国を巡演する前進座の「法然と親鸞」。前進座はこれまでにも親鸞や法然の公演を重ねてきました(「親鸞」1970-1972、「続・親鸞」1973-1975、「法然」1982-1983)。今回は主役が二人ですから「法然と親鸞」という二人が、それぞれどのような背景でいかに出会い、いかに関係し合って生きられたのか、その「関係」がどのようなものであり、どう描かれているのだろうかというところに注目して観てきました。
1212年に80歳の生涯を閉じた法然と、その50年後に90年のご一生を終えた親鸞。親鸞が法然の50回忌の法縁に出遇ったかどうかはわかりませんが、2011年にはそれぞれ法然上人の800回大遠忌が浄土宗にて、親鸞聖人の750回御遠忌が真宗各派でお勤まりになります。鎌倉時代に出会った40歳も年齢のはなれた2人の50年ごとの遠忌を、いまの時代に同じ京都で、同時にお迎えすることの因縁を感じます。ただ、50年ごとの遠忌ですから常に2人の遠忌は同じ時期に勤められてきたはずです。真宗の教団の内側に居ると、宗祖親鸞聖人の750回御遠忌をお迎えするにあたって50年前、つまり大谷派における700回御遠忌の時はどんなだったかと先を尋ねることはありますが、たとえば本願寺派ではどうだったとか、浄土宗における法然上人の750回大遠忌との関係はどうであったのかという話はあまり聞こえてきません。もちろんいつの御遠忌にあっても「私一人にとっての御遠忌」でありますから、私と私の所属する教団、宗派にとってどう御遠忌を勤めるかということが関心事になってくるのは当然なのですが、たとえば法然と親鸞が当時築いておられた関係性を、それぞれその教えをいただく私たちが形成する教団間において、いま築いているかというとずいぶんと隔たりがあるように思えます。
こんなシーンが印象的です。「師(法然)の信心と自分(親鸞)の信心は同じである」といって、他の門弟から批判をかっていた親鸞に対して、法然は「私の信心と親鸞の信心はともに如来から賜った信心であり同じである」という場面です。「信心諍論」として御伝抄に描かれています。800年前にこのような問答があったとすれば、その800年後を生きる浄土宗と浄土真宗のお念仏をいただく私たちは同じ信心であると果たして言えるのだろうか。現代の私たちの姿が、法然の信心と親鸞の信心を別々のものにしてしまっているのではないかと考えさせられます。例えば浄土宗であれば法然の思想を、そして浄土真宗であれば親鸞の思想を、というふうにそれぞれを別々に違ったものにしてしまったのではないかということです。「浄土宗の開祖法然」「浄土真宗の宗祖親鸞」というふうにそれぞれその時代の都合によってバラバラにしてきたということです。
いまの時代にあってそれぞれ浄土宗と浄土真宗という別々の大教団を形成していますが、法然と親鸞はいずれも「偉大な教祖」ではありません。偉大な教祖として見てしまえば今回の前進座の公演は「法然vs親鸞」みたいなものになってしまいかねません。教団組織の対立的構造を温存、助長して煽るのでなく、その構造を突破して法然と親鸞の念仏は同じ念仏であったと証明していけるような、つまり浄土宗と浄土真宗は同じ信心によるものであることを証していくような御遠忌でありたいと思わせられたこのたびの観劇でした。

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人となる

2008年03月21日 | ブログ

お彼岸のお中日、常照寺の誕生会(たんじょうえ)と春の彼岸会(ひがんえ)をご門徒の皆さんとお勤めさせていただきました。
あいにく雨模様でしたが、誕生会の初参式にはおばあちゃんに手を引かれて小学生のお子様がお参りしてくれました。一昨年の暮れにおじいちゃんが亡くなられ、ことあるごとに一緒に正信偈をおつとめしてくれたお孫さんです。亡くなられたおじいちゃんは熱心な聞法者でした。当然というべきか、不可思議というべきか、おじいちゃんの生前のお姿をよく見ておられたのでしょうか、それとも周囲の雰囲気がそうさせるのでしょうか、彼もまた仏さまに手を合わせる仏弟子のひとりとしてお寺に参ってくれたのです。
かつて曽我量深という人は

仏は人を鏡として仏となる 人は仏を鏡として人となる

といわれました。人が人であるということは何をもってしてのことなのか。おじいちゃんがそうであったように彼もまた仏を縁として人の道を歩みはじめました。
誕生会の表白文を下記に記します。この法要の意味を彼が理解するまでにはもう少し時間が必要でしょうが、亡き人によって人間として最も尊きことを彼はすでに教えられたのだと思いました。

誕生会 -初参式- 表白

敬って 西方願王 阿弥陀如来の御前に申して白さく
本日ここに 恭しく尊前を荘厳し
教主釈迦牟尼仏 ならびに
宗祖親鸞聖人の御誕生会を勤修し
当山常照寺門徒子息の初参式をつとめ奉る

つらつら惟れば 教主世尊ならびに宗祖聖人の御誕生は
その流れを受けたる我等の 心からの慶びにして
両祖の御遺徳によるものというべし
教主釈尊の降誕なくば 人類覚醒の道は現に閉じ
宗祖聖人の生誕なくば 衆生の往生は 空理に沈みたるべし
両祖の御誕生なかりせば 我等 何に依りてか
いのちの尊さに目覚め 生死の苦海をわたるを得んや

然れば 人身は受け難く 仏法は聞き難し 
み仏の説き給うところは 一切の衆生
貧欲(よく)と瞋恚(いかり) 愚痴(おろかさ)の三毒
また 疑(うたがい) 慢(おごり)など
数多の煩悩を具足する凡夫なれども
み仏の教えに導かれ 如来の大慈悲に依りて 念仏申す身となる
大いなる恵を慶びて 朝な夕なに感謝の生活を送り
つねに我が身を顧みて 足らざるを補う
人に接しては 和願愛語おこたることなく 互いに敬い助け合って
人類の真実の幸福に尽くす

いま 不可思議の因縁によって新たなるいのちの誕生を見て
両親 親族とともに み仏の御前に詣でて 仏弟子の数に加わり
教主釈尊ならびに宗祖親鸞聖人御誕生を慶讃し
我等 皆 如来の子たる慶びを確かめ
いよいよ恩徳の深きことを想い
ともどもに念仏の一道に生きんことを誓う

平成20年3月20日 
真宗大谷派 光明山 常照寺  住職 釋 了 典 
敬って白す

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おかしな人

2008年03月18日 | ブログ

暑さ寒さも彼岸まで
暖かい彼岸の入りです。目に見えて春の訪れを感じます。涙や鼻水となって現れる花粉症もそのひとつでしょう。近年は飛散予報や対策グッズの話題など、春の話題に一役かっています。花粉症者による経済効果はどれほどかは分かりませんが「対策」はしかるべきであっても、その原因となる花粉を減らすことにお金をかけてみてはどうかと思ってしまいます。花粉のでないスギが開発されたという話題を耳にしましたが、ついついもっと目の前のことができないものかと・・・。花粉症者が支出する薬やマスクなどの対策グッズ費が花粉飛散前の剪定費用に回せばどのくらいの効果があるのか、なんてただ机上で考えているだけではいかにも無責任ですが。暖かさと花粉症も手伝って「ボーッ」とする毎日です。
さて、「春になるとおかしな人が増える」という言葉を聞いたことがあります。「何を根拠に」とついつい突っ込みたくなりますが科学的にもそれを裏付けるような発想があるようです。内分<wbr></wbr>泌系、自律神経、脳内<wbr></wbr>物質が春先の日<wbr></wbr>光照射により活発化し不安<wbr></wbr>定化になるのだそうです。そのため心身のバラン<wbr></wbr>スが崩れ、おかしな人<wbr></wbr>が現れるというのです。ならば「おかしな人」はもしかすると「私」かも知れません。ついつい「おかしな人」は他人であると決めつけてしまっている自分でもあります。

こんな事件が起きました。数日前、伊勢市内に墓地を所有する他県の方から「納骨をしたいので墓前での読経をお願いできませんか」と依頼され、お参りさせていただきました。その日の夕方、同じ方からお電話を頂戴し「もう一度納骨したいのでもう一度お参りしてください」というものでした。どういうことかとお尋ねしたところ、その日の読経後、「墓地の管理人」だという人が現れて「勝手に納骨した」と咎めて、埋葬許可証とお骨を自分が確認しなければ納骨することはできないといわれたというのです。埋葬許可証を持参していなかったそのご家族は、言われるがままにお骨を掘り返して持って帰り、後日改めて埋葬許可証を持参して納骨をすることになったのだそうです。法律的なことはとにかく何か釈然としない事件です。皆さんはどうお感じになられますか?

また同じ日、「檀家になりたい」というご老人がお寺に来られました。
お話を伺うと、以前は当寺の檀家であったというのです。いまは違う寺の檀家だが、こちらに移りたいということでした。「どうしてお移りになりたいのですか?」とお尋ねすると、正直なそのご老人は「いまのお寺は石段を何十段も登っていかなくてはならないところにある寺で駐車場もない」のだといわれました。「先方のお寺さんの了解をいただいてもらいたいのですが、それでは何の理由にもなりませんし、ご住職も納得されないでしょう」と 申し上げました。ところで、どうしてそちらのお寺に移られたのかと聞くと「おばあさんが死んだときに、このお寺には本堂がなかったから」ということでありました。あまりにも率直にご自身の利便的ご都合論を申されるのであっけにとられながら、少しばかり常照寺の沿革についてお話をさせていただきました。
常照寺の前進である山田教会の本堂は昭和34年の伊勢湾台風に被災し、昭和35年に火事で焼失しています。昭和54年に本堂が再建されるまでの間に多くのご門徒が寺を移られたようです。しかしながら昭和54年の再建は、本堂のない寺に残られたご門徒のご懇念によって成し遂げられたものです。その後、庫裡や鐘楼、山門の建設などの過程でお戻りいただいたご門徒もありますが、その後発会した常照寺の護持会に相応のご負担をいただいています。と、そのようなことをよくふまえた上で、ご家族ともご相談くださいと申し上げました。
と、ここまでであれば、彼はなんとも図々しいご老人になってしまうのかもしれません。私の第1印象がそうでありました。ですがここまで一連のお話を申し上げたあとにしばらく現在の家族の状況や生い立ちを聞かせていただく中で、私が勝手に図々しいじいさんに仕立て上げていたことに気づかされました。
彼は幼い頃から真宗の縁の深いお家に育ったそうです。そのこともあって当寺と縁を結ばれたそうですが、おばあさんが亡くなったとき、そのご実家の反対もあってご実家の宗旨に移らなくてはならなかったと言います。そのときに真宗のご縁を貫き通す勇気はなかったものの、いよいよ年齢的に自分の番だと思ったときにやはり、お念仏の教えにかえりたいという気になってきたそうです。それこそお寺を移る「信仰上の理由」でありました。さらに「何十段もの階段」や「駐車場」の心配は車いすでの生活を余儀なくされている奥さまをおもってのことでもありました。
若かれし頃の自分の弱さと、車いすの奥様を介護しながらの強がりがあのような言葉となって表れていたのです。お一人のご老人を「図々しいじいさん」にするか、「お念仏を求めるひと」とするか、彼の人生を何も知らないところで裁いていた私の眼が問われました。
ついつい「おかしな人」は他人ばかりだと決めつけていた眼です。まったく「他者」にとって「おかしな人」は私なのでありました。
春のお寺の一コマです。

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春のお彼岸のご案内

2008年03月15日 | ブログ

常照寺2008春のお彼岸のご案内

本当に大切なことって何だろう?
私たちは日頃、何を大切にして生きているでしょうか。
何が本当に大切なことなのでしょうか。
そして何を本当のこととして子や孫に伝えていけるのでしょうか。
本当に大切なこと、本当に尊きことをご本尊といいます。
彼の岸に思いを馳せて、亡き人が伝えてくれたご本尊の教えに耳を傾け、私たちのご本尊を確かめたく、ご案内申し上げます。

ひがんえ
彼岸会
2008年3月20日(春分の日)
昼の法座 午後2時 おつとめと法話
法話(名古屋教区惠林寺住職)荒山 信 先生
夜の法座 午後6時 おつとめと伝道
ビデオプロジェクター鑑賞「仏説阿弥陀経にみる極楽浄土」

難解な経典をアニメーションでわかりやすく学びます

たんじょうえ
誕生会
3月20日 午前11時

春は宗祖親鸞聖人、そしてお釈迦さまが誕生された季節です。そのご生誕の意味を確かめ、その教えをいただく私たちが生まれた意義と生きるよろこびに出会う法要を勤めます。この機会に、縁あって浄土真宗の家庭にお生まれになられたお子様の初参りをされてはいかがでしょうか。お参りされたお子様には念珠を授与します。準備の都合上お参りいただける方は事前にお知らせ下さい。お子さまの年齢に制限はありません。お気軽にお越し下さい。

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往生極楽の道

2008年03月04日 | ブログ

2011年にお迎えする宗祖親鸞聖人の七五〇回御遠忌のお待ち受け事業として行われている「お待ち受け総上山」に行ってきました。今回は常照寺が所属する南勢一組の各寺院から「帰敬式(おかみそり)団体参拝と銘打って募集した方々とともにバスでの参拝でした。参加者のうち引率と付き添いの方を除く20名の方が帰敬式を受式し、仏弟子としての名のりである法名を受けられました。また、御遠忌の特別記念事業として行われている御影堂の御修復現場を改めて視察して、その進捗状況を確かめてきました。
(常照寺のホームページに写真をアップしていますのでご覧下さいhttp://homepage.mac.com/jyosyoji/
1日早朝、9時30分の東本願寺到着を目指して6時30分に常照寺を出発したバスは、伊勢自動車道を経由して開通したての新名神高速へ。まだ側道には雪が残っていましたが、なんのなんの。あっという間に草津の名神に連結し、京都へ。道中2カ所でゆっくりと休憩をしましたが余裕の到着でした。新名神高速道路のホームページ
http://www.genki-shinmeishin.jp/)によれば京都-伊勢間は自動車で従来2時間45分のところが1時間55分に短縮されたそうです。何かと京都に行く機会が多い私にとっては確かに便利だなーと実感するものがあるのですが、この50分は一体どうなるんだろうと思ってしまいました。
実に50分京都が近くなったわけです。厳密にいえば京都が近くなったのではなくて、道路がよくなったわけですが、同ページによると「京都-伊勢 一日行動圏に」とありますから、そのものさしからすると、何かこの辺の地図が小さくなったような感覚です。Googleの地図(http://maps.google.co.jp)でもそうですが、地図は拡大すればするほどそこに土地の名が細かく表れてきます。地図がだんだん小さくなるとだんだん大まかになっていくわけです。高速道路は地域に活性をもたらすとかいうのは建前に過ぎず、実際は主要都市から主要都市へのドーナツ化を生み出しただけでした。それだけではなく、都市から田舎に人がやってくることは疎か、地元の人間が都市に出て行きやすくなっただけと指摘されています。地方から人を奪ったのも高速道路なのでしょう。
「一日行動圏」という行政用語もピンとこないものがありますが、京都-伊勢の往復は確かに便利ではあるけども、その「間」はどうなっていくのだろうと思わずにはおれません。かつての東海道の「宿」はもはや「宿」ではありません。だけどかつての宿場町としての空気があります。もうそれを感じることもなくなっていくのでしょう。伊勢-京都であっても今回の団参のように日帰りがますます楽になったわけです。古い感覚からするとお伊勢参りにおける伊勢は目的地でありましたから、そこで一晩、というのが最もでしょう。京都もしかり。しかしもはや目的地は通過点に過ぎないものになってきたのではないでしょうか。「目的の地」の「目的」は何であって、その「道」とは何なのか。人生に置き換えて問われてきます。
人は時間を生きています。「時はいのちだ」といわれた人もあります。ですが鉄道や自動車がない時代に、せっせと京都へ歩かれた方のご苦労を思ったとき、その数日間の道のりはまさに「生きる道」を求める時間でありました。何も当時を美化するつもりはありませんが、その道のりは何か中身のある、充実したものであったのではないかと思うのです。
親鸞が生きておられた時代、関東から京都に聖人が戻られて以降、関東では誤った念仏の理解が広まります。関東のご門弟は宗祖のお念仏の教えを求めて「おのおの十余か国のさかいをこえて(歎異抄)」京都に向かいます。その道のりは歎異抄によると「ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり」とあります。お金や時間を惜しむこともなく「道」を求められたわけです。
今回、上山を終えて帰りの道中、バスの揺れにうつらうつら居眠りをしながら帰ってきたわけですが、往生極楽の道をいま説いてくださっておられる宗祖に出遇ってきたと果たしていえる上山であったのか?また、快適となった京都への道が、はたして生きる「道」を尋ねる道であったのか、問われます。
宗祖の御遠忌の理念は「宗祖としての親鸞聖人に遇う」であります。

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