遊煩悩林

住職のつぶやき

暮れ葬

2007年04月30日 | ブログ

24日から26日まで熊本へ行ってきました。宗門の外郭団体である同関協の現地視察に同機関紙の編集員の立場から参加させてもらいました。3日間寺を空けることはほとんどないので心配もありましたが、住職の留守を存じてくれていたご門徒と坊守がしっかりと留守を預かってくれていました。
24~25日は山都町の被差別部落を訪ね、25日~26日は水俣に場所を移して水俣病の患者さんらから「水俣病の事件」について生の声を聞かせていただきました。早々にブログを更新しようと思っていたのですが、留守のツケで膨大な作業に加え、ゴールデンウィークに突入したこともあり法務に追われて、なかなかこの3日間に学んだことを復習する時間も見つけられず、その記憶もたった数日で失せはじめています。
さて、24日は朝4時に起床して名古屋へ、のぞみ1号で博多を経由し、特急リレーつばめ9号で熊本まではざっと6~7時間というところ。昨年長崎に行ったときにも感じたことですが、JR九州の客室乗務員は実に清々しい、丁寧な接客とサービスには改めて感心させられました。熊本駅からバスに乗り、加藤清正の建てた熊本城内を抜けて、熊本空港から阿蘇外輪山の南のはずれにある山都町まで2時間半。熊本城は築城400年記念の整備事業が進められていました。
(熊本城築城400年祭公式ホームページhttp://www.kumamoto.jp/castle/400/
本丸は西南戦争でほとんど焼失したそうですが、昭和の再建以降大規模な整備が行われています。今回の熊本行きは人権学習でしたので、その観点からすれば、難攻不落とされた壮大な石垣は朝鮮から強制連行された人たちの労力によって築かれたものであることや、石工らが築城後被差別民衆として扱われたことは、熊本のシンボルとして整備が進む熊本城は、ある意味熊本の支配と差別のシンボルでもあるわけです。
途中、縁のお寺で休憩をして山都町のお寺に到着したのは、予定の時刻を過ぎた夕方4時30分でした。到着を待ちかねて下さっていたのは、部落解放同盟の支部長。ご住職と支部長から現地の部落差別の実態と歴史を聞かせていただきました。
Img_4401お寺に隣接する集落には「暮れ葬」といわれ継いできた葬送があります。この集落の手次寺は、徒歩で往復3日間かかるところにあります。集落に死者が出たときは知らせに行くものの僧侶が来ればいい方で、来てくれないときは夕刻を待って集落の人たちだけで遺体を葬ったといいます。しかも墓地として充分な土地の所有ができず、近くの竹やぶに次から次へと覆いかぶせるように遺体を掘っては埋め、掘っては埋めするしかなかったといいます。墓地はその後、集落の人たちが協力して納骨堂を建設して墓石とともに移されますが、そこから見つかった亡き人びとの法名は、被差別民衆であることを記したとされる差別法名でありました。
生まれた場所を理由に生涯差別されて生きた集落の人びと、死後、差別から解放されたと思ったのも束の間、平等を説く釈迦の弟子としての名のりである法名にまで差別をし続けたのは、他ならぬ宗教者でありました。この集落の近隣にいくつかのお寺がありながら、集落の人がどこにも属していないのは、加差別者らが被差別民衆と同列に扱われることの恐れからなのでしょう。逆にいえば自分たちの犯している差別の実態がどれだけ厳しいものであったかを物語っています。
夜、集落の方々から馬刺をご馳走になりながら交流を図るなかで「ご住職も地元でどうか解放運動の啓発につとめて下さい」との激励をいただきました。宗教者からの差別という苦渋にありながら、住職である私に対する不信感は否めないものがあると思いますが、こうした激励の中に「真の解放」への願いを感じます。

翌朝、暮れ葬が行われていた竹やぶと、住民らによって建設された納骨堂、そして学校教育もままならなかった住民が識字を学んだ集会所などを歩いて見学しました。驚いたのは、この集会所の玄関に注連縄が張られていたことです。地元の神社の祭事への参加が許されず、集会所の2階に自分たちの神体をお祀りしたのです。
Img_4427その後、児童館に併設する隣保館にて同和対策審議会の方に、主に行政的な闘争についての中身の濃いお話を伺いました。国の同和対策事業が打ち切られてから、同和政策がなくなる市町村がほとんどの中で、同和教育こそ人権教育の最たるものと位置づけて継続している数少ない市町村ではないかと思います。このことは地区の解放運動の成果であると同時に、このことこそが「人間の真の姿」を学ぶ必要不可欠な課題とする、住民の人間解放の願いに対する理解の深まりでないかと思います。

隣保館でのお話の後、集落の皆さんとお別れをして水俣へ向かいました。鹿児島県境にある水俣市へは、バスで2時間。途中、山都町の観光名所である通潤橋を見学しました。(山都町ホームページhttp://www.town.yamato.kumamoto.jp//tujyunkyo

つづく

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「善」という「悪」

2007年04月20日 | ブログ

発砲事件が後を絶ちません。銃社会の問題はアメリカだけの問題ではなく、現に日本も銃社会になりつつあります。
アメリカ・バージニア工科大学での銃乱射事件、長崎での市長銃殺事件。いずれも第3者になすりつけ的に行われたところは共通しています。自分の思いどおりにいかないことを誰かのせいにする論理が暴力の理由になっているのです。言い換えれば、暴力を正当化するための理屈が自分以外の責任だというのです。いずにしてももっと深いところに事件の闇が潜んでいます。
ですが、現時点で犯人のことばから考えさせられるところは、どこまでも自らを「善」として、自分こそが正しいと思い込むあり方という点では私たちも根っこのところでは共通するものを持っているのではないかということです。
如来の眼に立った時に、私は「極重悪人の凡夫」であると親鸞は自らを見いだしました。また歎異抄には「さるべき業縁のもよおさばいかなるふるまいもすべし」との親鸞のことばが記されています。「条件さえ整えば何をしでかすかわからない私である」というのです。私たちは被害者になることばかりを恐れていますが、いつでも被害者にも加害者にもなり得るのです。こんなことをいうと「私は絶対にそんなことはしない!」という人がほとんどでしょう。「縁」がないからです。それはただ条件が整っていないからに過ぎません。現にこのような事件が起きたということは、このような悲惨な事件を引き起こすような条件が今の社会に揃っているのです。事件の当事者がたまたま「私」ではないだけで、犯人は動物や宇宙人ではありません。同じ人間です。
「銃社会」の問題性が改めて問われていますが、問われれば問われるほどアメリカでは、ますます弱者防衛と暴力抑止のための銃が要求されてくるのかもしれません。二億丁といわれる殺人の道具を放棄させることは不可能でしょう。
暴力の抑止というスタンスでいえば「核」も同じです。自分たちの「銃」や「核」は「善(正義)の武器」で、他者の武器が「悪」だというのは屁理屈です。核保有国が他国に「核を持つな」というのはいかにも滑稽です。銃を突きつけて「銃を捨てろ」(映画やドラマではよく見かけますが・・・)というところにある根本的矛盾です。ここでは「脅し」の効果ですが、ただの脅しの道具ではありません。殺人の道具であることに変わりはないのです。「防衛」とか「抑止」と理屈をつけて「銃」や「核」を持つ、その愚かさを学び、自覚することが必要ではないでしょうか。皮肉なのは、その「核」の廃絶に尽力した長崎市長のいのちが「銃」によって絶たれたことです。このいのちを失った影響を憂うばかりです。
どこまでも自分勝手に自らのみを「善(正義)」とするあり方。それを「善人」と親鸞はいうのでしょう。それは従わないものすべてを「悪」とする姿です。互いが「善(正義)」を主張すれば争いになるのは当然です。強者の「善」に支配されるだけです。各々の人間の視点で「善悪」を判断するのでなく、人間の知恵を超えた智慧の眼に立ったときに、「善だ」「正義だ」と言い張っている「悪」に気づかされてくるのでしょう。「我こそは悪人である」などと簡単に言っていけるものではありません。ですが内心にその自覚を保っていくことが真に人が「人間」として生きる道であるように思えます。

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや -歎異抄-
 

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愚民か愚者か

2007年04月16日 | ブログ

さて、桑名別院を会場に開催された南勢1組の真宗入門連続講座での講義では、主に釈迦の「成道」「涅槃」について尾畑文正同朋大学教授からお話をいただき、そこから「私たちが一体何を依りどころにして生きているのか」という問題を提起していただきました。
ま すます人が「霊の宗教」に惑わされてきている今日。「前世」や「先祖」や「霊」を持ち出してきて「今」という現実を転嫁し曖昧にしていく信仰ともいえます。 私自身の責任を他のものに転嫁していくそういうあり方を尾畑先生は「生きることの責任を見失わさせる霊の宗教」といいます。そんな責任転嫁の教えを無意識 に受け入れて依りどころにし、それで自分が「正しい」と思い込んでいる姿。そんな「自己の底知れない無明の闇を破るのが釈迦の正覚の一念」です。
「現代の聖典」を学ぶことによって私たちは、経典に描かれている事柄をただ単に「知る」のではない。王舎城の悲劇の物語を「知る」ことが目的ではなく、「自らを『正』として生きている私のあり方を問いなおす」ことが私たちの学びであることを教えられました。
「本物に出会わなければ偽物が分からない」といいます。真実の教えを依りどころにしなければ、いつまでもどこまでも真実でないものに振り回され続けるしかないのです。
真 実がはっきりしなければ、それまで自分が正しいと思って依りどころにしてきたことを捨ててしまうことなどできません。それはそのまま自己の否定だか らです。それどころか、過ちに気づきながらもそれまでの依りどころを捨てきれずに意地になって過ちを繰り返し続けるのが私たちの姿ではないでしょうか。「私は正しい」なんていう思いほど危険なものはないのでしょう。みんな「自分が正しい」のであれば争いが起こらないわけがありません。
「自己」は肯定し、認められたいものです。ですが「私は正しい」とは胸を 張っていうことはなくても、たとえば「私は何も悪くない」とか「悪いことをした覚えなどない」といった無反省、無自覚も自らを「正」とする立場にかわりは ありません。自らを「善」とする者のことを尾畑先生は「愚民」と表現されました。そして愚民化の先には戦争があるといいます。戦争は「明日から始めます」 というものではなくて、愚民化政策という姿としてすでにはじまっているのです。

真宗門徒は『愚民」とならず、『愚者』となって往生する

親鸞が伝えてくれた釈迦の教えを正しく聞くということは、私の愚民性を自覚するということでもありましょう。自らを「正」とせず「善」としない、そのあり方を「愚者」と教えられるのではないでしょうか。

さて、特伝はいよいよ次回からテキストである「現代の聖典」に入っていきます。そこで予習として先生からひとつの視座をいただきました。
それは王舎城の悲劇に描かれている葦堤希夫人のことばです。夫人が自らの子どもによって幽閉されて釈迦に言うセリフです。

われ、むかし何の罪ありてか、この悪子を生ずる

このことばは「私は何も悪いことをしたことがないのにどうしてこんな目に遭うのか」というありったけの愚痴です。この言葉を自分自身の言葉として学んでいきたいと思います。

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真宗入門講座 第3回 -桑名別院-

2007年04月15日 | ブログ

常照寺が所属する南勢1組の真宗入門連続講座(壮年特別伝道)の第3回目の本講座が桑名別院にて開催されました。
第8次を数える三重教区の壮年特別伝道(以下「特伝」)は、今次から桑名別院での研修がカリキュラムに加わりました。別院の歴史をとおして教団の歴史を学んでいくことが目的です。特に南勢地方のご門徒には桑名の別院は立地的に疎遠となりがちですが、実際に足を運び、別院と教区の歴史的な学びをとおして三重教区の崇敬の中心としての別院の存在意義を認識いただくことが願いです。
朝8時30分に常照寺を出発したバスは、松阪の無碍光寺に立ち寄り別院へ。時間を無駄にしないように、車内にて「仏陀との出会い -王舎城の物語- 」というビデオを見ました。インドで撮影されたこの映画は、現地のタレントが多数出演していてかなりインパクトのある作品です。
のちの座談会でも「びっくりした」という感想が出ておりました。はじめて見る人には何やら「あやしいー」と思われるかもしれないという心配もあったのですが、観無量寿経の序分をテキストにした「現代の聖典」を学んでいく上で、この序分に描かれている「王舎城の悲劇」の物語について事前に知っておいていただくことが目的だったのですが・・・。約40分の上映後は車内は「シーン」と静まりかえってしまいました。
とにかく10時30分には別院に到着し、門前の寺町商店街を散策。日曜日ということもありいろんな催しが行われていました。
11時から本堂にて勤行後、別院の輪番から別院の歴史についてお話をいただきました。桑名別院の開基は「長姫(おさひめ)」という女性であったそうです。また、本堂は京都の時宗のお寺から、また山門や鐘楼も他所から移築されたものだそうです。その他詳しくは桑名別院ホームページで。http://www.betsuin-987.com/

その後、別院の本堂に隣接する三重同朋会館の講堂にて「真宗入門」の時間となりました。今回は「仏事」について教区駐在教導がお話くださいました。「お盆」や「お彼岸」「永代経」などお寺で行われる行事の意味についてわかりやすく説明をいただきました。参加者のお一人は「今まで自分が寺の行事を勘違いしていたことに気づかされた」といっておられました。

昼食を挟んで午後からは講師の尾畑文正同朋大学教授から「釈尊に学ぶ」というテーマで講義があり、そのあと90分の座談の時間が設けられていたのですが、正午過ぎの地震の影響で高速道が通行止めという情報から、1時間短縮して帰路につくことになり、講師の講義を充分に深めあうことができないまま閉会となりました。
出先で地震に遭うというとんだハプニングでしたが、特に別院にも被害はなく、心配された帰路も通行止めが解除されてスムーズに帰って来れました。

つづく

追伸 たくさんの方にご心配の電話とメールをいただきました。暖かいご心配にお礼申し上げます。また被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。

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能登半島地震救援金勧募

2007年04月12日 | ブログ

過日、三重教区の参事会が開催されました。
議案は、3月25日に発生した能登半島地震の被災地並びに被災者への三重教区の対応についてでありました。
協議の結果、被災された方々が少しでもはやく安心した生活が送れるように、救援金を勧募することが決定し、すでに三重教区内の各寺院にそのお願いを申し上げました。
教区内のご寺院様におかれましては何卒ご理解賜りますとともに、救援金の勧募奨励につきましてご協力下さいますようお願い申し上げます。
また、常照寺におきましては本堂に「能登半島地震救援金箱」を設置しております。ご門徒各位におかれましては、ご門徒1戸あたり300円を目標にご協力をお願い申し上げます。
お預かりいたしました救援金は教区で一括して取りまとめて、本山をとおして被災地にお送りします。

追伸 被災地域に所在する寺院は寺院はその9割以上が真宗大谷派の寺院であり、被災して不自由で不安な避難生活を強いられ、いまなお余震の恐怖にさらされておられる方々のほぼすべて当派のご門徒であります。

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