遊煩悩林

住職のつぶやき

「美しさ」の正体

2013年10月26日 | ブログ

10月の伊勢は神宮の御遷宮ということで大変な賑わいでした。いわゆる「遷宮ブーム」というのでしょうか、友人や親戚・縁者も多く伊勢を訪れてくださり、幾度となく神宮の杜を歩かせていただく中で、伊勢という土地に生きるひとりの人間として、飲み食いするところは知っていても、神宮について何も知らないなーということを実感しました。
そこで、「アナタは重要なものを決して充分じっくりと考えない」というご指摘をゲーテ氏からいただいて、ネットで数冊の本を買い込んで読書の秋を過ごし、なかなか「じっくりと」まではいきませんが思いにふけってみようと。神宮や遷宮に関する本や、古事記や日本書紀の入門書、それら日本神話の解説書などを暇を見つけては読みあさってみた遊煩悩林20日ほどのご無沙汰でした。
その中で最も印象的だったのは、建築家という視点で捉えた武澤秀一氏の「伊勢神宮と天皇の謎」という一冊。
「厳格に20年に1度、寸分違わぬ社殿の造営を62回くり返してきた式年遷宮という1300年の伝統行事」という私たちのイメージについて、建築家として遷宮の社殿に着目し、様々な文献を手がかりにして、そのイメージを覆していくストーリー、そしてそこに秘められた現実的な論理が展開されてます。

古来、遷都がくり返されてきた時代。都の規模の増大に伴って都そのものを遷すことが不可能になった代替策として、皇祖神を遷す、つまり「遷宮」によってその意味を保ってきたというのがリアルな印象です。建築様式についても現在の社殿のような立派なものではなかったこと、20年に1度という「式年」についても、「式年遷宮」という用語そのものが近代用語で、かつては数え年の20年、つまり19年に一度であり、歴史の中では100年以上、遷宮が行われなかった時代や、御正殿が朽ち果てて存在すらしなかった事実も指摘しています。

筆者は明治22年に行われた第56回式年遷宮に着目し、まず「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」と謳い上げられた明治憲法がこの年にあわせて発布されたことを指摘します。しかもその発布は皇室典範とともに、まさに神話が物語る初代「神武天皇」が即位したというこの年の2月11日の紀元節に合わせて行われ、さらにそれまで不明とされていた歴代天皇陵の指定作業が、御遷宮が行われる同年10月までに一気に決着されていく。万世一系を謳う明治憲法を現実的に裏付けていく作業だったことを論理的に説明していきます。この明治22年のご遷宮以降、社殿が「立派」になっていくのです。

一連の行事は、〈アマテラスー神武ー明治天皇〉の系譜を際立たせるもので、皇祖神の系譜(=神代)と歴代天皇の系譜(=人代)がひとつにつながる、時空を越えたパフォーマンスが日本全国で繰りひろげられたのである。

さらに翌年に第1回衆議院選挙が実施されて最初の国会たる「帝国議会」が開設され、帝国憲法が実質的に施行されますが、憲法の発布やそれに類するつじつまを合わせ、翌年の国会開設という一連の流れが、すべて式年遷宮に合わせてスケジュールされていたわけです。

筆者の疑問は「近代に入ってから、伊勢神宮の『古代』が政治的に『復興』されたことの意味」です。
筆者は、今月行われた遷宮に総理大臣が参拝することさえも予見していたように思えてなりません。

考えてみれば、政権交代前の第1次の安倍内閣のスローガンは「美しい日本」でした。その時はピンときませんでしたが、今となってようやく、なるほど安倍氏がおっしゃっておられた「美しさ」とは、伊藤博文らが政治的に復興した「古代」の継続性ということでしょうか。言葉を変えれば「日本は天皇を中心とした神の国」といった首相もそんな昔の話ではありません。

筆者は「あとがき」でこう表現しています。

現代の「神話」は、原発安全「神話」だけではなかった。伊勢神宮の式年遷宮「神話」は、古事記神話とは別種の、近代に創られた「神話」なのである。

とくに考えさせられたのは、そのような「神話」がなぜ必要で、誰が求めているのかということです。
王政復古という目標をかかげた明治政府にとって、これらの一連の作業は必要な作業であったとして、神武陵における洞集落の移転をはじめとした検証しきれないような強制を要してきた事実、国家の目指す「美しさ」の実現のために棄てられてきた民の存在、それと知ることもなく無批判に無気力に従していったのは誰だったかということを考えたとき、それは今のこの「じぶん」に他ならなかったのではないかと思います。

アマテラスを如来として位置づけてきた神仏習合の歴史を超えて、神祇(〈天神=天の神々〉と〈地祇=国の神々〉)不拝、つまり神話という呪縛から解放せしめようとする「神祇不拝」の仏教の教えをいただく者にとって、ふたたびその呪縛に絡めとられようとする時勢において、浄土という世界を現世に開き、同朋社会の顕現という宗憲が高らかに謳われたことをしっかりと確かめていかなければならないことを思ったのでありました。

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未来への責任

2013年10月04日 | ブログ

福山雅治主演の映画「そして父になる」を妻と観てきました。
http://soshitechichininaru.gaga.ne.jp/
思わず嗚咽を漏らしそうなほど(漏れてましたが・・・)涙がこぼれました。
夫婦で「親になる」とはどういうことかと改めて考えさせられたのと同時に、それぞれ夫は夫として「父親になる」ということ。妻は妻として「母親になる」ということを具体的に問われたとき、「親」とひとことで言ってもそれぞれ質の違う「親」の姿があることがはっきりします。
映画の内容についてはここでは触れませんが、「そして父になる」というタイトルの「そして」ということは、知らず知らずに当たり前にしてしまっている「親子」の関係を見つめ直し、改めて親と子が「出遇い直す」ということが求められているようにも感じ、どこでその出遇い直しが果たされていけるのかと考えさせられたのでした。
「親の責任」「父の責任」と問われながら、先日、東本願寺で行われた第8回の「原子力問題に関する公開研修会」で語られていた言葉が思い出されてきました。

研修会は「原子力行政を問い直す会」事務局長の長田浩昭さんから「原発と国家」という講演。
そして、NPO法人「チーム二本松」理事長の佐々木道範さんから「27年後のチェルノブイリを訪問して」という報告。
引き続いて、そのふたりの住職の対談という内容でした。
参加することは叶いませんでしたが、インターネットを通じて研修会の様子を拝聴させていただきました。

〈講義録〉
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/0894f92c90cf677266c9c6616ab4aae4

http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/7cf7e1a11e8301657234f13e9ac494e3

長田浩昭さんの「被害者としての怒り 加害者としての悲しみ」というテーマ。
そして佐々木道範さんの「未来への責任を、きちんと大人たちが背負って歩み出すことが大切」という言葉が印象的です。
対談では、震災後福島から京都に母子避難されているお母さんからの「希望」を問う内容のお手紙が紹介されていました。
それに対して、佐々木さんは「子どもたちが希望なんです」と言ってらっしゃいました。
「子どもたちは強いもん」と。子どもたちは希望を持っているというより、それを見出す力があるということでしょうか。
希望を失っているのは、子どもに希望を与えられないと思っている大人たちではないかと考えさせられました。
だから子どもたちが希望なんだ、と。
大人が果たすべきは、子どもたちに希望を与えてやることではなく、「未来への責任」を果たしていくことだと聞かせていただきました。
またその姿がもしかすると子どもたちの「光」になるのかもしれないと思うとき、いま私にどのような父として、親として、大人としての「生き方」や「選択」が迫られているのかと問わされたのでした。
どのような態度で生きているのか、その姿が子どもたちにどのように映っているのか、問うてばかりの父の姿です。
父になるとはどういうことか。親になるとはどういうことか。大人になるとはどういうことか。子の存在によって必然的に父と呼ばれ、親と呼ばれしますが、「おとな」になるというのは何をもっていうのか。
誰かによって「おとな」と呼ばれるとするならば、それは「こども」ではなく、もっと違った存在の目線なのかもしれません。

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支配からの卒業

2013年10月01日 | ブログ

ご遷宮で賑わう伊勢市内の渋滞を抜けてご門徒の墓参りに寄せていただきました。

ご門徒の墓石の正面には「南無阿弥陀仏」の文字が刻まれていました。
多くの墓が立ち並ぶその左隣の墓石には「〇〇家先祖代々之墓」と刻まれ、右隣はモダンな雰囲気で、墓石には「絆 〇〇家」と刻まれています。
お勤めのあとそれを見比べながら、ある方が「絆」の方の墓をみて、「オシャレなお墓だねー。私が死んだらこんなのにしてもらおうかしら」とおっしゃったので、半ば冗談とは思いましたが、ひと言申し上げました。
「カタチはとにかく、刻む文字は相談してくださいね」と。

左隣の「〇〇家先祖代々」は、かつての「家制度」流れの中で出来上がってきた習俗ではないでしょうか。
それが江戸時代の幕藩体制の中で出来上がってきた流れとするならば、もう200年も300年も引っぱってきたことになります。
墓石は現在、石に文字を刻むのが主流です。それはできるだけ風化させないということです。ですから少なくとも50年100年という目線で建てられるものでしょう。
ご門徒に「刻む文字は相談してくださいね」と申し上げたのは、そこです。
いまという現代の私たちにとってモダンに映る右隣の「絆」の墓地の100年後はどうなのか。

今から30年ほど前に、この地域では「五輪塔」を建てるというのが流行ったことがあるのだそうです。今それがほとんど消えていっている状況から考えると、どうなのでしょうか。
「流行はくり返す」とはいいますが、流行るものは廃れるのも事実なのでしょう。

そして「絆」という文字についても、今、この時代を生きる私たちにとって「家族の絆」という言葉は非常に大切な響きとして聞こえるということがあるかもしれません。
ただし「絆」という文字はもともと「馬の足をからめて縛る紐」のことを指す言葉だといいます。家畜が逃げ出さないようにつなぎとめる紐。それが「人を束縛する義理や人情に喩えられたり、自由を奪って人をつなぎとめる意味で使われてきました(同朋新聞2011.11月号「時言)」
そう考えると、一見モダンに見える「先祖代々」も「絆」も何か根っこのところで「何か」に繋げられているなと思うのです。
「先祖代々」や「絆」と刻まれた墓地が駄目だと言いたいのではありません。
ただその中に「南無阿弥陀仏」と刻まれた墓石があることの意味は、「先祖代々」や「絆」というカタチで家を束ね、人びとを絡めとらなくてはならないハタラキとしての「国家」と、そこからの解放の目線を感じるところです。
だいたい50年、100年前に建てられた墓石に当時の人はなぜ「絆」と刻まなかったのか。

墓地からの帰り、やはり遷宮ブームに湧く渋滞の車列に加わりながら、何故か尾崎豊の「卒業」という歌の「支配から卒業」というフレーズが浮かんできたのでした。
同時に、「遷宮」は文字どおり「宮が遷る」のですが、間もなく「遷御の儀」が執り行われます。「宮」の中には何が詰まっているのか?「御」とは何なのか?と考えました。物理的な「何」ではなくてです。問われるのは私たちは何を「御」としているのかでしょう。
伊勢神宮の代表的な社殿は内宮と外宮に分かれますが、ざっくりとアマテラスとその食彩神がおられるとするならば、個人的には内宮の神さまには「アマテラスも有情なり」という仏教の先達のことばにそって南無阿弥陀仏と手を合わせ、また外宮の神さまには「いただきます」「ごちそうさま」の精神でやはり南無阿弥陀仏と手を合わせているのですが、そこには「自然の理」が詰まっているのだろうと考えているからです。
そこに「国家」が詰まっているとする考えもありましょう。国の成り立ちとその意味。その根拠をそこに求める立場です。
その意味では、国を国家として束ね、民衆を国民として絡めとっていく理屈・手段として利用されもするわけです。
当然「神宮」を否定するのではありません。その「自然」を利用しようとする「不自然」を感じるのです。その不自然さをもっといえば、「自然の理」が「支配の理」として利用されている。つまり「支配の構造」がそこに見え隠れしている。「支配」の道具にされてきたとすれば、支配されてきた者が、その支配から「卒業」することが「自然」を取り戻していくことでもあるのではないかと思いました。
「不自然なる要求」の一端を担っていることの自戒の念を込めて。自然を拝んでいるポーズをしながら不自然なる要求を発しているワタシ・・・。

ここまでくると、ややこしくなって、自力では手に負えなくなってきました。
ただ、「先祖代々」や「絆」の呪縛から卒業し、尊い「つながり」としていただき直す思想的な転換がいま私自身に求められていると感じます。
そんなこんなで、神宮のご遷宮を迎える今月の掲示板には

人間は重要なものを決して充分じっくりと考えない
ゲーテ

と記してみたのでした。「人間は」というより「私は」と記すべきところですが・・・。
さしあたり、何が重要なもので、何がそうでないものかということから整理したいと思います。
ただし、私にとって重要なものとそうでないものをいくら仕分けしても駄目なのかもしれません。
「誰にとって」、その「誰」ということが大切なような気がします。

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