遊煩悩林

住職のつぶやき

衣替

2021年10月19日 | ブログ

高校生の息子はネクタイを締めてブレザーを羽織り。

中学生の長女はコロナ対応で制服でなくジャージの短パンをロングパンツに履き替え。

小学生の次女はヒートテックを仕込んで登校。

一気に寒い。

慌てて私も衣替え。

私服でなくて法衣の衣。

あまり考えたこともなかったけど、私的な衣服で私服か。

法衣は仏法の衣装か。

衣装もそうか、法衣装束、略して「衣装」なのかな。

それにしても。

ただ寒くなったから薄手の衣を厚手のものに替えただけのことですが。

少し前に「大谷派の法衣装束調査」という記事を見かけました。

中外日報 https://www.chugainippoh.co.jp/article/ron-kikou/ron/20211001-001.html

私たちの業界には、残念ながら「僧位僧綱」、つまり僧侶としての地位と序列によって着衣してよい衣とそうでないものの決め事があります。

だから、この「調査」という見出しを見た時に、私はすっかり「身分不相応」の装束点検が行われたのかと。

実際には「法衣装束の研究」に関連しての調査でございました。

千總文化研究所 https://icac.or.jp/public/2021/05/10/3532/

にしても。

日々、身に纏う袈裟・衣、その色や紋様にどれだけの意味を付与してきた歴史かと。

衣装の研究は文化的に興味深いですが、それが果たしてきた役割を思う時、どれだけの縛りがあったのかと。

 

汝、起ちて更に衣服を整うべし

仏説無量寿経

 

という経言が過りました。

お釈迦さまが、最側近の阿難尊者に語ったことばです。

決して、寝転んでお釈迦さまの話を聞いていたのでも、とくに服装が乱れていたわけでもないのでしょう。

ですが、起きなさい(立ちなさい)、と。

そして、これまでに身につけてきたものを改めてみなさい、と。

身につけてきたものは、衣服だけでなく、我が身の肉となり骨となりしてきた食をはじめ、衣食住の物理的なものから、知識・経験・思考などの精神的分野まで。

「整うべし」は、これまで学んできたことをよくよく見直してみなさい、といったところでしょうか。

朝起きて、物を食べ、排泄をして、夜眠るという営みは「あたりまえ」のことですか。

何も考えずに、暑くなったら薄手の着物、寒くなったら厚手の着物に替えるという作業を繰り返しているだけで、自分が着衣しているものの謂れなど気にしない。

実はそれを身につけることで上位と下位を位置づけるような謂れの衣装であれば、それは整え直さなくてはいけない。

寒くなったから衣を変えているだけという姿勢こそ、それらの制度と構造上の差別を黙認して支え続けていることに他ならない。

世間さまは選挙で賑わしい。

1000人以上もの立候補者が襟を正して臨んでいる選挙戦ならば、こちらも衣服を整えて挑まなくてはいけないのですが。

装束は替えたが、衣装ケースの持ち運びでどうも腰が痛いとか。

座り込んでいることを知らされても、重い腰が上がらない。

目覚めは遠い。

ところで。

真宗の本尊は南無阿弥陀仏。

像形としては阿弥陀如来立像、つまり阿弥陀如来が立っておられる姿を絵像や木像で表します。

坐像の阿弥陀如来像もありますが、どうして立ち上がられたのか。

座っておれない。

思えば、ずっとずっと前から立ちっぱなしである。

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無畏施

2021年09月26日 | ブログ

宣言下の彼岸会。

講師の荒山淳さんには、越県のご無理を申し上げたところ、お話はもとより、いろいろ「小道具」(失礼)を携えてお越しくださいました。

小道具その1 龍笛

楽僧でもある淳さんから前住職還浄24年にと、献楽のお申し出をいただき、「後生楽(五常楽)」を一奏くださいました。南無

小道具その2 紙芝居

手塚治虫の「ブッダ - 前編 - 」。渾身の紙芝居。舞台と照明までご持参いただきました。南無

 

お話の冒頭、常照寺に説教に寄せていただいて38年になる、と。

おそらく。

38年にも及ぶお話の中で、常照寺門徒最大のリアクションだったのではないだろうか。

渾身の紙芝居のラスト。

「この続きは来年までのお楽しみー」

「えぇー!」

こんなに素直なご門徒の反応をはじめて見ました。

畏まっておられる同行の素性を引き出してくださったところに「無畏施」の行を目の当たりにしました。

紙芝居「ブッダ」の前編は、「四門出遊」を中心に、釈尊が城を出て出家するところまでが描かれていました。

そこで「続きは来年」となったのですから・・・。

かって駄菓子売りのおじさんが自転車に紙芝居を積んでの時代。

その当時の子どもたちのリアクションがそこにありました。

さて、その後、お釈迦さまがどのような道を歩まれたのか。

その余韻を楽の響きに重ねつつ。

いま私たちのところにまで流れてきたお念仏。南無阿弥陀仏のみ教え。

コロナ禍において私たちはいったい何を依りどころにしているか。

自らを島とし、自らを依りどころとして、他を依りどころとすることなかれ

法を島とし、法を依りどころとして、他を依りどころとすることなかれ

『大パリニッバーナ経』「自灯明・法灯明」

と、釈尊最晩年の言葉を引いて問うてくださいました。

ブッダの「四門出遊」についても、字解をヒントに説いてくださいました。

「東南西北」がそれぞれ指し示しているいのちの様相。

釈迦が東の門で見たのは「老」でしたが、そもそも「東」という象形文字は「新しいものを生み出す」「夢」「希望」といったニュアンスを孕む。

「五行色」の哲学では「春」の時、色で言えば「青」。

南門では病人を見て「病」を知りましたが、もともと「南」の字解には「元気」「盛ん」の意。色は「朱」、時は「夏」。

西の門で葬列に遇い、「死」を見た。「西」の時は「秋」、色は「白」。白秋・・・。イメージとしては「実り」「成熟」「完成」といったところか。

北の門で釈迦は「沙門」に出遇うわけですが、「北」は、人と人とが背中を向けて座っている状態、「背く」に孕む文字。

考えてみれば「玄冬」と。だけどそこに「憧憬」の意を汲むと云々。

釈迦はインドに生きた人ですが、漢字に翻訳されて日本に伝来した。その字解を聞くとなんと仏説の逆説的なことか、と。

いや仏説が先で漢字が後か・・・?

とにかく。「老」は「若」、「病」は「健」、「死」は「生」と表裏一体なのですが、それが「城」の内と外というカタチで表現されている。

「外」というカタチでそれが見えなくなっていた。

「彼岸」、西に向かって座すというのは、何を憶ってのことかと思いました。

「老病死」を学ぶというが、それは荒山先生の言葉を借りて言えば、

「なりたくないものになるという身の事実」を学ぶのだと。

その現実、その道理から目を逸らし、いつまでも若く健康で長生きをしようと、夢と希望を描いているのが「東」という方角だとすれば。

お彼岸の学びを得て、10月の掲示板に藤元正樹さんの法語を記そうと。

仏に出遇うとは

仏に背き続けている私に出遇うということです

書き上げたのでした。

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自他尊重の妙音

2021年09月16日 | ブログ

 

末法濁世の世において、自他尊重の南無阿弥陀仏の妙薬が効用するとき、

悲痛な声に耳を傾け続けた「愚禿」の姓と共なる道が開けてくるのであろう。

真宗大谷派名古屋教区教化センター

『センタージャーナル』113号「巻頭言」より抜粋

https://www.ohigashi.net/cms/wp-content/uploads/2020/09/center-journal_113.pdf

 

彼岸には緊急事態宣言も解除されているだろう、などという甘い目論見で、秋の彼岸会の案内葉書を注文。

素人の甘い考えは木端微塵にはずれ、「宣言」延長に伴い、補足の文章をシールにして一枚一枚貼り付けて、ご門徒の皆さまにご案内申し上げました。

宣言下にありながら、ご講師におかれてもご承諾をたまわりました。

ご承諾だけにとどまらず、献楽のお申し出まで頂戴し、当日ご披露いただきます。

法要は式次第を変更し、同朋奉讃による勤行とし、お話の時間も短縮します。

が、「コロナの世において」「自他尊重」という濃厚な妙音の響きを聞かせていただきたいと思います。

なお、「門徒総会」は、従来の対面の総会を中止し、書面による報告とさせていただきます。

ご門徒各位におかれては何卒ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。

http://jyosyoji.info

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元も子もない

2021年09月01日 | ブログ

「御本尊を迎えたい」というご依頼。

正確には、家族にご不幸があって仏壇を設けたいというご相談です。

このご相談を「御本尊を迎えたい」という依頼として受け止めたという間が抜けたお話。

家族を亡くしてはじめて仏壇を家庭に安置することになった。何をどうすればいいのか。

「ではまず御本尊をお受けしましょう」

亡き人をお祀りしたいというのに、位牌云々でなく、まず御本尊である阿弥陀如来を受けてくださいというのは、人によってはいささか唐突に聞こえるのかもしれません。

よくわからないが、そういうもんだと割り切られる方もおいででしょう。

だけど、御本尊は本山からお受けできますといって、「お脇掛」云々、寸法・表装の仕様と言われて礼金表を出されると、なんだか。

どうしてもこのやりとりには、御本尊を商品化して販売している感が漂う。

娑婆の発想からすれば、本店謹製の品物を取り扱う販売店の如く。

宗教不信(坊主不信)の世間、仏壇を買えば御本尊がついてくるといった娑婆の現状において、なかなか納得のいく「お買い物」ではないのかもしれません。

無宗教・不信心が多勢を占めるとはいえ、阿弥陀如来を家庭に安置する。

故人の写真を飾っておくだけなら(自称)無宗教・不信心でよいのでしょうが、本尊を安置し、故人の法名軸を掛け、花を活け、香を焚き、火を灯すとなれば立派な宗教的造作。

まして、手が合わさったものなら不信心どころではない。阿弥陀如来の救済に預かる姿そのものといってもいいのでしょう。

だけど意識は無宗教・不信心だと。

世間的儀礼、慣わし、しきたりとして仏壇を設けて手を合わせているだけで、自分が阿弥陀さまの救済に預かろうなんて気持ちはさらさらございません。

あくまでも故人が成仏していればそれで満足です。

さて。

故人の成仏は私の救済をおいて成り立たない。

これもまた乱暴な言い方かもしれませんが、毎年のお盆に習うことです。

御本尊を迎えるというのは、個々人としてなかなか納得のいく「お買い物」ではないかもしれませんが、そういうものかもしれません。

こだわって、大枚を叩いて、納得の上で購入したモノに手を合わせるのも結構なことですが、もしかするとそれは自分の価値観を本尊にして拝んでいるのかもしれません。

そもそも「お買い物」であれば納得などいくはずもありません。

納得してから手を合わすのでは、いくら長生きしても間に合わない、のが浄土のおさとし。

納得がいくかどうかが問題ではないのだと。道理だと。

手が合わさることも、頭が下がることもなく生きている者の手が合わさり、頭が下がることが叶う人間として生まれさせる設えが仏壇という形式であり、そのはたらきを御本尊と。

なかなか。言葉がいたりませんが。

仏壇を購入するというビジナスライクな相談の中で、なかなかこのような口をはさむ余地を見出すのは難しい現場。

故人を祀りたいという要望に、御本尊を迎えましょうという「間」の話。

不信の克服はこういう余地にあるのではないかと。

阿弥陀さまの信用を貶めるような「営業」ばかりで、坊主が信用されないのは仕方がないとしてもです。

死んだ人を祀るところじゃない。御本尊をご安置するからお仏壇なんだ。お内仏というんだ、と。

大事なことでも、死者を追善供養する思考にとっては耳が痛いだけの話。

知ったような顔をして言っている私が、相手のことを何も分かっていないのだ。

さて、飛躍が過ぎるかもしれませんが、

世界のことがわかってきたような気になるのは

わからないものを切り捨てていくからである

養老孟司

朝日新聞「折々のことば」584

とメモから。

わかってきたような気になるのは、わからないものを切り捨てていくからです

と抜き出して9月の掲示板に。

世界のことがわかってきたつもりはありませんが、知っていることを一方的に伝えるのでない。

その時々の相手と互いに「わからない」ことを捨てず、大事に、丁寧に。

それがなかなか。

形式的に決まっているに過ぎないことを振りかざしている私は、わからぬでも伝えようとされた釈迦の発心を切り捨てているのではないか。

元も子もない。

追伸

本山のホームページがリニューアルされました。御本尊のページのリンクです。ご参考まで。

https://www.higashihonganji.or.jp/application/gohonzon/

 

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宿題

2021年08月16日 | ブログ

県下、感染拡大の最中、お焼香のみという前例のない盂蘭盆会となりましたが、おかげさまで密集を回避しながらお勤めすることができました。

ご参拝のご門徒、また誘導にあたっていただいた世話人の皆さまにお礼申し上げます。

昨年は盂蘭盆会の参詣を中止し、僧侶のみの内勤めというやはり異例の法要形式で勤修。

翌年は従来の法要ができるだろうなんて楽観的に申し上げておりました。

どっこい。

昨年より状況は悪化。

それもそのはず。

三密を避け、アルコール消毒をし、ワクチンの接種を受けるなどなど。

どこかの誰かの言うことをなんとなく聞いているだけで、本気で今年の盂蘭盆会を従前どおりに勤めるといった覚悟を持って過ごしてきた私であったかと。

住職の本気はどこにあるのか、次の年の盂蘭盆会をどのように荘厳していくつもりかと諸仏に問われました。

そんなことを思いながら、お盆の荘厳を了いつつ。

父の友人が線香をあげにきてくれた。

1998年のお盆に前住が逝去してから毎年かならずおいでになってくださる。

葬儀の時に弔辞を読んでくれたことから数えると24回目のご弔問。

もしかすると生前中の親交よりも、亡くなってからの時間の方が長くなったかもしれない。

互いの人生において掛け替えのない存在だった、と想像する。

自身の活動報告を兼ねて仏前に一枚のビラを供えて行かれた。

ビラにあった詩をみてドキッと。

次の年の盂蘭盆会は、諸仏として荘厳する側に回るかもしれないという大前提を失念しておらぬか、と。

 

日本が見えない

 

この空気

この音

オレは日本に帰ってきた

帰ってきた

オレの日本に帰ってきた

でも

オレには日本が見えない

 

空気がサクレツしていた

軍靴がテントウしていた

その時

オレの目の前で大地がわれた

まっ黒なオレの眼漿が空間に

とびちった

オレは光素(エーテル)を失って

テントウした

 

日本よ

オレの国よ

オレにはお前がみえない

一体オレは本当に日本に帰ってきているのか

なんにもみえない

オレの日本はなくなった

オレの日本がみえない

 

竹内浩三

 

終戦記念日でもあるこの日に、この詩に触れて、なるほど盂蘭盆会は諸仏が荘厳するのであって、私が荘厳するのでない、と。

仏前を荘厳するというのは、人生が荘厳されるのだ。

んー。

仏さまを荘厳するという形式に資することよって生活が荘厳されていく、ということか。

夏休みの宿題。

いや人生の宿題。

これを解きにやってきたのか。

 

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坊主の接種状況

2021年08月09日 | ブログ

炎症体質。

というのがあるのかどうか知りませんが、数年前まで偏頭痛に悩まされて塞ぎ込んでいた時期がありました。

頭痛にもいろいろですけど、どうやら神経系の炎症が原因とか?

頭痛の種は尽きませんが、突発的な頭痛がこの数年は、治まりつつあります。

で、この数年は慢性的な気管支の炎症に悩まされている。

いわゆる、喘息発作がはじまると息を吸うのも吐くのも苦しい。

なるー。

いつも体のどこかで炎症を起こしてるのね、と。それを炎症体質と、勝手に。

何系と聞かれれば、炎症系とでも。

だけど頭痛は、黙って塞ぎ込むのだが、気管支の発作は黙っていられない、うるさいのだ。

喧しい。囂しい。煩い。五月蝿い。変換候補に挙がってきた。

とにかく読経はおろか、会話さえままならないではお仕事にならない。

というので、ステロイドの吸入で発作の対策をしつつ、ニコチンとアルコールの摂取を欠かせないというお粗末。

さて、言い訳がましい身の上話になりましたが、先月末に「基礎疾患」を理由に、1回目のワクチン接種を受けました。

お盆のお参りのご案内に、「コロナ予防の観点でお参りを見合わせたい方はお気軽に」と書かせていただいたところ、「ワクチンまだやでやめとく」という方も。

ワクチンそのものの効用というより、接種の有無が人の行動の判断を抑制するところにきてしまっていることを実感します。

で、「ご院さんは打ったの?」と。

お参りをお待ちになってくださるご門徒にも、参ってくる坊主がワクチン打ったのか否かが気になるのも当然といえば当然か。

というので、1回済みましたよの報告です。

2回目は、副反応への備えとしてお盆明けの予定です。

お盆参りをどうしようか迷っておられるご家族の判断材料として・・・。

この数日、県内、市内も例に漏れず感染の再拡大の傾向が出てきています。

昨年の盂蘭盆会は、内勤めとさせていただきましたが、今年はお焼香のみとさせていただく判断をしました。

ご参詣予定の皆さまにはどうかご理解のほどよろしくお願いします。

住職のワクチン接種状況の報告と盂蘭盆会のお知らせでございました。

http://jyosyoji.info

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遊び場を確保せよ

2021年08月07日 | ブログ

昨年中止となった福島のこどもたちを三重へプロジェクト。

「今年はやるぞ!」と、準備着々。

私も後方支援部隊としてスタッフの意気込みを末端で感じておりましたが・・・。

このたびの福島県を含む「まん延防止等重点措置」の適用、また三重県の「緊急警戒宣言」を受けて、直近ではありますが中止することになりました。

コロナ禍にあって参加を楽しみにしてくれていた子どもたちには、大変残念なお知らせとなります。

参加者・スタッフ全員のPCR検査など、これまでにない準備をすすめてきたスタッフにとりましても非常につらい決定です。

どんどん子どもたちの遊ぶ時と場がなくなっていく。

子どもだけでなく、会食はダメ、飲み会もダメ、ダメダメの世に、遊ぶことの大事さを思います。

遊びのないストレスの向かう先を思うと、「遊び場を確保せよ!」との使命を感じます。

プロジェクトは、「東日本大震災の年に生まれた子どもがハタチになるまで」を合言葉にしております。

ご支援いただいたご門徒の皆さまには、御礼方々、引き続きご理解とご支援をくださいますようお願いします。

http://booses.net/news.html

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木っ端微塵

2021年08月04日 | ブログ

親鸞は父母の孝養のためとて

一返にても念仏もうしたること

いまだそうらわず

歎異抄

初盆のお参りに伺ったときに歎異抄のこの第5条を拝読するようにしています。

ガイダンスとしては、私たちは何のためにこの「お盆」という仏事を勤めているのかという問題提起です。

何も手がかりがないと、そりゃ先祖の魂が帰ってくるからとか、親の霊をお慰めするとか、餓鬼に施しをするとか。

知らず知らずメディアや商業ベースによってインプットされたイメージのまま過ぎてしまう。

歎異抄のこの言葉は、私たちの亡くなった方々に対する純粋な善行を、木っ端微塵に粉砕する。

「純粋な善行」というのは、亡くなった人のために手を合わす、という至極当たり前のことだ。

だけど親鸞という人は、父母の孝養のために念仏したことはないと。

浄土真宗の仏事としてお盆を営むということは、ただこのことを学ぶといってもいいのではないでしょうか。

遺されたものが、亡くなった方を救済していくようなパワーを持ち合わせていたならば、亡き方々の供養も叶うかもしれないが、そんなパワーを娑婆の人間は持ち合わせてはいないのだ、と。

「亡き方々のため」という善行は偽、偽善行に他ならず、自分たちの力で何とかしようとする自力の無効を認めるというネガティブな真実。

時あたかも、メダリストの「努力が報われた」「頑張れば必ず夢は叶う」というポジティブなメッセージが発信されているタイミングです。

「慰霊」という民族的意識下においては、遺された者の使命は亡くなった人の霊性を慰めるという方向性しか発想し難い。

だけど浄土の発想は、そもそも逆だ。

亡き方々は、私たちの思い込んでいる善行を正す役割を果たしておられる。

亡き人を浄土の仏さまとして受け止めるというのは、死人を霊として祀りあげ、慰めてさしあげなくてはならないという強迫的固定観念を破っていくはたらきをいただくということだろう。

そもそもが、亡くなった人が救われなければならないとする思考をしていたことに気づくというところから、お念仏がスタートする。

「お盆」は「盂蘭盆」の略称である。「盂蘭盆」は「ウッランバーナ」というサンスクリットの音写。

「ウッランバーナ」の意味は「さかさま」だと。

釈迦の教説は、道理と反する思考によって苦しんでいる者を救うのだ。

救われなければならないのは亡くなった人ではない。亡くなった人を仏さまとして受け止めきれない私なのだ。

そして「五濁悪世」とは、「亡き人の御供養のために」という常套句が通用してしまっている世のことではないか。

そんなことを思いつつ。

仏が私を救うのでない 私を救うはたらきを仏という

安田理深

と、お盆月の掲示板にしたためたのでした。

はたらきを実感し、微塵感を共有するお盆にしたいと思います。

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夢中

2021年07月17日 | ブログ

暁天。

暁は、夜明け間際。

天は、空。

暁天講座は、朝、目覚めの刻に、ほんとうに目覚めよという仏の願いに会う法会として、古くから各地で行われてきた仏事。

桑名別院の暁天講座は、55回を数えるというのですから半世紀を超えて続いてきた。

高度成長に向かう当時の世相のなかで、何か大事なものを失っていくことを危惧した先達方が立ち上げたのかもしれない。

数年前にお参りさせていただいた時は、朝、出勤前のサラリーマンのお姿に驚いた。

私たちはいったい何のために働くのか。喰うために働く。何のために喰うのか。

生きるために喰う。何のために生きるのか。

なかなか伊勢から暁天の刻に桑名へ参ろうとするのは大変ですが、コロナ禍の因縁で今年ははじめてネット配信された。

暁天の刻でなくても、環境さえ整えばいつでも聴聞できる。

さて、何のために何を聞くのか。

「ほんとうに目覚めよ」という如来の声。

朝起きてメシを喰い仕事をする。その日常において「目覚めよ」とは。

夢の中で夢から覚めた夢をみている私。

身体は起きた。だけど何が眠ったままなのか。

 

毎年、秋の彼岸の中日。常照寺の彼岸会でお話をいただいているお馴染みの荒山淳さんにパソコン画面でお会いすることができました。

第55回仰天講座「いのち - 生じて従来するところ、決して趣向するところを知らず - 」荒山淳

https://www.youtube.com/

 

桑名別院ホームページ

https://mie-betsuin.com

 

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弔辞解説

2021年07月11日 | ブログ

弔辞に解説も何もありませんが。

1643(寛永20)年の宇治に57ヵ寺、1666(寛文6)年の山田に371ヵ寺。

1670年の「寛文の大火」後、328ヵ寺が残存したという宇治山田。

「寺」の概念が今とは違うにしても、これだけの寺号が名称として残る。

明治の「寺院取締」下で残存した50余ヵ寺中、さらに37ヵ寺が合併・廃寺し、神都における寺院は15ヵ寺にまで減少したとも。

「市史」における廃仏毀釈は、史上初めて天皇が伊勢神宮を参拝した明治2年廃寺・還俗の記載が目立つ。

天皇の伊勢参拝にあたっては、「蓮台寺」や「常明寺門前町」などの地名が消され、「倭」や「神田」などに置き換えられるという徹底ぶり。

山田の寺に梵鐘がなかったのも、御堂の高さ制限や、宮域に近い自宅葬がないなど、「神祇に畏れ多い」という風土は、独特の「触穢感」を形成してきた。

「死穢」はとくに「神祇に畏れ多い」。

死人を病者として葬る葬送の儀礼は「速懸」ともいわれる。

神職と住職を兼務する神仏習合の寺社形態が主流だったであろうか。

幕藩体制を支えた寺檀制度の「宗門改」上、神職の葬儀は僧侶として執り行った。

維新の「神葬祭」。

神職に就く者は家族親類に至るまで神葬祭を行うことを、度会府が容認。

兼務者の神職化や住職・僧侶の還俗、寺領・堂宇・什器などの転売がすすむ。

明治政府樹立から翌年の天皇の伊勢参拝、明治3年の祭政一致の大教宣布。

神都伊勢には寺院や仏像は疎か、家庭の仏壇を破却、焼き捨て、神宮大麻を「本尊」とする神棚が普及。

仏者の反省としては、本尊としてきたものを焼き捨てるような「罰当たり」な行為を民衆が率先したところ。

江戸期の寺檀制度を経た僧侶の怠慢を抜きにして語るわけにはいかない。

「廃仏」「棄釈」というところに、民衆は新たな「自由」を想像したようにさえ思います。

それはただ、禁忌を冒す高揚感と、時代社会の閉塞感を打破するだけだとしても、です。

仏教が、世俗的な利益を得るものでないことを神領の民が知るには、もう少し先、「自己」という概念の登場を待つことになる。

思えば、東本願寺における近代教学と、それ以前の寺の有様も然りか。

江戸期の「おかげ参り」は、関所を越えることが公に憚られる制度化において、身分の差を越えて往来が許されるよろこびを象徴するものだったような気さえする。

民衆の自由と平等を求める行動として捉えるとすれば、それを幕府の出先機関として奪ってきたのは、旅券を発行する責を任されてあった特権ともいえる。

怠慢の本質は権者の制度下における差別にある。

阿弥陀如来の平等覚が教化されていれば、易々と仏像を金銭に替えることも、捨てることもできない。

昔話ではない。いまこの時代社会において私が問われているのだ。

コロナ禍において、行動の自由と平等の願いは、無観客のオリンピックと「関係者」のみの観戦に象徴されるように閉塞し、悲惨な様相化にある。

寺がまた出先機関として機能することになるのか、自由と平等の成立つ世界を表現していけるか。

寺が役に立つか立たないかは知らない。誰の役に立つかというより、後者を寺というのだ。

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