遊煩悩林

住職のつぶやき

ご味読のすすめ

2024年02月23日 | ブログ

 

真宗文庫『31の味わい お寺の掲示板』東本願寺出版

https://books.higashihonganji.or.jp/

 

今月発行された文庫本に文章を載せていただいたのでコマーシャル。

新刊とはいっても私の文章の内容は、2010年に発行された『今日のことば』の随想がそのまま掲載されています。

かれこれ15年も前の文章を読み返すとお恥ずかしいところもございますが。

出版にあたって、膨大なアーカイブの中から、どなたが、どんないきさつでピックアップされたのかは存じませんが、とにかく掘り出していただきありがとうございます。

発行のお礼状とともに、出来上がった文庫本を贈呈いただきました。

ページをめくりながら編集作業を想像してみる。

真宗仏教を味わう上で欠かせない法語の選出・選択が前提にあるのでしょう。

ですから随想の文章より、むしろ31の法語を手がかりに、その法語に出あった一人ひとりが味わいを深めてほしいと。

そんな編集者の願いを思いました。

どうか手にとってご味読いただけるならば幸いでございます。

ところで、出典の『今日のことば』は、法語カレンダーの随想集として毎年発行されています。

発行される随想集は、翌年のカレンダーに掲載される法語に基づいて執筆されます。

2010年に発行された『今日のことば』は、2011年のカレンダーの法語についての文章。

どうして自分が書くことになったのかもよく覚えていませんが。

当時のメモにあるのは、「解説でなく随想」という一言。

エピソードを顧みながら、随想に登場したおばあちゃんの逝去から15年か、と。

お孫さんは私と同級生だし、ひ孫さんは長女と同級生。

来月の高校入試に向けて近所の図書館で切磋琢磨。

私も子どもたちも、ずっとお育ての中にいることをいま、改めて随想しながら。

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余韻

2024年02月01日 | ブログ

先月末、多くの方に骨を折っていただき常照寺の報恩講をお勤めさせていただきました。

法話では「ケガレ」についての問題提起をいただきました。

私の中に巣喰うその感覚、意識。

いや、それが感覚されていない、意識されていないところの問題か。

その余韻の中で。

2月。

様々な節分の催事をいかに心得るか。

 

余道に事うることを得ざれ 天を拝することを得ざれ

鬼神を祠ることを得ざれ 吉良日を視ることを得ざれ

顕浄土方便化身土文類六 愚禿釈親鸞集

 

と掲示板に貼り出しました。

天神地祇も有情であり、救いに与る存在。

その迷える有情を拝み、そこに救いを求めるならば。

何が私に植えつけられるのか。

私の何がかすめとられるのか。

節分。

節わけ。

私の心に取り憑く「節」を見分ける智慧。

 

悲しきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ

天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす

親鸞聖人『愚禿悲嘆述懐和讃』

 

私の何に仏の大悲がかけられているのか。

私のどんな姿を憐れんでおられるというのか。

報恩講の余韻を憶いながら来年の報恩講に向けて。

 

念仏者は、無碍の一道なり。

そのいわれいかんとならば、

信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。

罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、

無碍の一道なりと云々

『歎異抄』

何が福で、誰が鬼か。

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