遊煩悩林

住職のつぶやき

報告とお礼とお願いと宣伝

2011年04月25日 | ブログ

東日本大震災の常照寺の支援状況について、ご門徒からお問い合わせをいただいていますのでご報告です。
東本願寺での「被災者支援のつどい」の参加者からの救援金、また常照寺本堂内に設置した救援金箱など合わせて193,845円の義援金をお預かりしました。
4月25日付で近隣11ヶ寺の合計1,616,145円を真宗大谷派三重教区の窓口に送金させていただきましたので、ご報告方々御礼を申し上げます。
頂戴した義援金は宗派を通じて、被災寺院・ご門徒の他、行政機関に送られることになっています。http://higashihonganji.or.jp/saigai/
詳細につきましては今後、報告があり次第お知らせいたします。

また救援物資につきまして、東北地方の被災寺院数ヶ寺へ「タオル・やかん・きゅうす・食器・即席ラーメン・パスタ・乾燥わかめ等の乾物・お茶・缶詰・絵本・菓子」などを送付させていただきました。
物資の内容につきましては、「こういったものを送ってほしい」という具体的な要望をいただきましたので「何を送ったらいいのだろう?」と思案することなく送ることができました。

救援金につきましては、今後も本堂内に救援金箱を設置しておりますので、ご参詣の際には引き続きご協力くださいますようお願い申し上げます。

それと宣伝ですが、東本願寺出版部から真宗ブックレットNo.9「いのちを奪う 原発」が再版されました。
数日前に出版部の「TOMO ぶっくhttp://books.higashihonganji.jp/」で残数が10冊ほどしかなかったので、ついつい買い占めてしまったのですが、わざわざ出版部さんから再版のお知らせをいただきました。
この本は2002年に出版されましたが、その編集後記には「1989年、ブックレットNo.1として出すはずだった『原発を問う』は突然のストップで幻となってしまいました」とあります。12年後に出版されたこの本の中で筆者は、宗教者が政治的な圧力によって、結果的に原発推進に加担することになってしまうことに触れて、それを「教団が宗教的生命を放棄した姿」といっています。
それは一教団の問題ではなく、悲しみの現実を知りながらそれを見ないふりをして、またその現実も知らず、無関心を決め込んで安心を得ようとしてきた自分自身を言い当てることばです。
インターネットでご注文いただける他、お寺に何冊かありますので手元に置きたい方はお申し出ください。
以上、お礼と報告とお願いと宣伝まで・・・。

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消えない罪

2011年04月22日 | ブログ

あるところにひどく嘘をつく息子がいた。
それを父が悲しんで
息子が嘘をつくたびに
涙とともに、座敷の床柱にクギを打ちつけた。
長いあいだには
床柱に打ちつけられたクギは
たくさんの数になった。
それを見た息子は
さすがに嘘をつかなくなった。
そして本当のことを少しずつ言うようになった。
父は喜び、
息子が本当のコトを言うたび
クギを一本ずつ抜いていった。
床柱に打たれたクギが
全部なくなった時、
父は言った、
「おまえが本当のことを言うようになったので
この通り、床柱のクギが全部なくなった。」
けれども息子は
「でも、クギの跡は消えることはありません」と
泣いた。

「嘘の跡」釈誓道
【大きな手の中で/詩学社】
東本願寺出版部「真宗の実践」より孫引

東本願寺出版部 http://books.higashihonganji.jp/

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自由という名の奴隷

2011年04月21日 | ブログ

浄土真宗の宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要が4月19日から真宗本廟-東本願寺-ではじまりました。
法要日程にある東日本大震災の宗派災害救援本部からの報告にあるように、御遠忌の記念事業として行われた世界最大級の木造建築である東本願寺御影堂の御修復で葺き替えられた17万枚もの瓦に記されているお名前の中には、このたびの震災で亡くなられた方の名も含まれています。
そういえば御修復工事の着工前、葺き替える17万枚の瓦を発電能力のあるソーラー瓦にしてはどうかという話があることを耳にしたことを思い出しました。それがどれだけ実現可能な話であったのかはわかりませんが、脱原子力が叫ばれる今日、少なからず御修復された御影堂の瓦に記されているお名前の中には、そのような願いを持っておられた方もあることを記憶しておくべきではないかと感じました。
ところで今朝の朝刊に、福島県内の小中学校で校庭での活動を制限する通知が出されたという記事を見ました。子どもたちが校庭で遊べなくなったということです。それは浴びてもよいとされる放射線量が基準値を超えていますよという注意です。放課後に「外で遊んではならない」ということは、それが教師であろうが親であろうがどんな権力を持ってきても言えることでは本来ありませんが、この状況がこのまますすむとすれば、それはどこでどれだけ遊んだのか個人個人が管理しなくてはならない方向に向かうということです。
原発等で被曝労働に従事する人には「放射線管理手帳」が交付されているといいますが、その内容は企業側が被曝労働者の雇用管理のために使われているだけで有名無実化しているともいいます。被曝量と疾患の因果関係ということになれば、被曝労働者でもない一個人がそれを証するレベルの管理をするというのは難しいことです。
だからといって、国民一人ひとりに放射線管理手帳を交付して、一人ひとりの線量を明確にできるような制度を求めているのではありません。そういう思考は今後も「原発ありき」とする方向性です。望むのはそのような放射線管理手帳などの必要のない方向性です。
今回の震災以前にすでに数十万人の被曝労働者を生み出し、今後も被曝者を生み出し続ける原発をそれでも推進するのか、それともということが問われてきます。
ゼネコン、電力会社と下請けの構図、地方の経済基盤と住民の意識・・・。知ってか知らずか、みんなで加担してきた原発政策です。被曝労働の実態を隠す人も知らんぷりをする人も、それを見ようともしない人も。
この危機に際してそれらにようやく目を向けるようになってきた一方で、皮肉なのは日本が国際社会から「原発継続」を表明する態度を求められていることです。今や原発は一国家の施策を超えています。
「原発はいらん」これが今、日本人だけでなくフクシマを知った世界の一人ひとりの根本感情ではないかと思います。しかしそれが地方・都市・国家の単位になっていくと「でもね」と。国の内側からも外側からも、原発はいらん・・・『けど』と、人類が絡めとられているのです。
「原発はいらない」という国民感情に対して、国際社会における「原発推進」という役割を担っているという論理はそのまま私たち一人ひとりの矛盾した論理と感情に類似しているといってもいいのでしょう。個人的にはいらないものが、みんなになれば必要という論理。
民主主義という名の、資本主義という名の、自由という名のもとに奴隷をつくっていく為政的論理の矛盾と限界を思います。
それはただ為政者を批判するのではありません。それらの名のもとに自ら奴隷となってきたという自己批判です。
一人ひとりが、子どもたちが外で遊ぶことも出来ない国にしてきたことの責任を自覚して、自分の中のどんな知識や思考がこのような国をつくってきたのかということを問う4月の御遠忌でありたいと思います。
宗教の名のもとに原発や政治を問うのではありません。「いのち」の問題を、宗教的課題を問うのです。宗教的課題というのは「生まれた」そして「生きる」者としての責任と使命を明らかにする課題です。
自ら欲望の奴隷となって生み出した「死の灰」のツケを24万年先に回した超本人として・・・です。

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嫁の説教

2011年04月11日 | ブログ

坊守が4月11日から20日までの間、三重教区のテレホン法話を担当しています。
3分ほどお時間があればお聞きいただければ幸いです。

東本願寺 テレホン法話
    - 三重教区 -

? 0594 - 23 - 6191

お電話いただくと録音された法話が自動的に流れます。
通話料のみで24時間いつでもお聞きいただけます。

常照寺ホームページ http://web.me.com/jyosyoji/

Akahonkun02

 

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知らんぷり

2011年04月10日 | ブログ

「寺をゴミ捨て場に遊煩悩林2010.4.15)」と「オイドのカミサマ(同2010.8.5)」で散々愚痴をこぼしてきた常照寺ゴミ集積BOX設置の一件がようやく落着しました。
伊勢市では新年度からこれまでの戸別収集から集積所収集になると聞いていましたが、4月になっても一向に音沙汰がなく、ご近所の方も心配をしておられたところ、7日、ステンレスの大きな集積箱が設置されました。
ところが?
収集日が火曜日と金曜日になり、早速8日の金曜日の朝ゴミを出したところ、区の担当者がやって来られ「まだ出しちゃいかん!」と。
「???」
聞くと、まだ町内では設置場所が決まっていない区があるのだとか。全区の設置が完了してから一斉に運用を開始するのだそうです。
全区の設置場所が決定して、設置が完了した時点で、1丁目の某さんはココ、誰某さんはココと、ちゃんと指定して回覧するまで使っちゃ駄目だ、と。
とはいっても、これまで使っていた坊守作のゴミ箱は撤去されちゃったのでどうすればいいのと尋ねると・・・「ゴミ袋のまま出しといて」。
しかし1年かけて設置場所が決まらんものは、2年かけても同じかもと想像するとゾッとしました。お寺に設置されたあの巨大ゴミ箱はその機能を果たさぬままゴミのごとく放置されることになるのです。
時あたかも放射性廃棄物の大問題のまっただ中です。質は全然違いますが、問題の根っこは同じだと思います。
自分たち、いや自分が放出しているゴミをどうするのか。散々いろんなものをゴミにしておきながら、愚痴と文句は一人前で、あとは知らんぷりしてきたことを自覚させられます。

一件落着・・・そして・・・つづく?

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