遊煩悩林

住職のつぶやき

選ばない私

2014年01月29日 | ブログ

一番  西意善綽房
二番  性願房
三番  住蓮房
四番  安楽房

何の順番か。
歎異抄の末尾に記述されている「承元の法難」の記述です。

先週末、常照寺の報恩講をおつとめすることができました。
ご参詣の皆さま、お手伝いいただいた皆さま方には改めてお礼申し上げます。
その報恩講でも課題となったいわゆる「承元の法難」。
今月中旬、若手の僧侶で行った東本願寺の本廟奉仕で、担当された教導からいただいたテーマも、この歎異抄の「添え文」といわれる記述についてでした。
そして昨夜開かれた今年最初の「一闡提の会」という住職らの学習会の現在のテキストは「歎異抄聴記」。
そのような伏線があって、昨晩のテーマは「『歎異抄』添え文の意味するもの」。
毎回、予めテーマを設けて学習しているわけではありませんが、いろいろな背景が重なってこのような課題となりました。
これだけ同じテーマが様々な局面で重なってくると、今このことをしっかりと見据えておきなさいという何らかの暗示のようにも思えてきます。
東本願寺で教導から、宮城顗先生がその選集の一巻に遺されている

「一人」に凝視されている者として-『歎異抄』添え文の意味するもの-

という論文を示唆されたので、昨晩は皆でこの論文を読み合わせた上で、冒頭の記述について話し合ったのでした。

さて、前置きがながくなりましたが、この論文のことばをかりるとすれば、冒頭のこの順番は

念仏を称えれば首を切る、やめれば助ける、という断頭台の下で、念仏して首を切られた記録

です。

その「一番、二番・・・・」という表現の仕方は、次々と呼びだされて刑場にその命を断たれた次第を書きとどめたものと、私には読めるのである

と、宮城先生は遺しておられます。
先の本廟奉仕では、「生きるか死ぬかという究極のところで念仏が選びとられてきた歴史」がこの「記録」ではないか。そして「死ぬ覚悟がないと本当の道は歩めない」とも教示されました。
死ぬ覚悟で選びとられてきたのが「念仏」であったことを思うと、報恩講をおつとめしてやれやれといった感覚の私に、「承元の法難」とその「記録」がつきつけてくる事実は、まだまだ「選びきれていない私」という姿です。
そもそも私の方から念仏を選ぶまでもなく、お念仏の方から選ばれているにもかかわらず、です。
まして「選びきれていない」といえば聞こえはいいのかもしれませんが、それは「選ばない」「選ぼうとしない」自分自身です。そこからは「保身」ということがみえてきます。どこまでも自己保身のために「選ばない私」。
「お念仏を選ぶ」という新たな課題が人生の上に開かれてきます。
命をかけて念仏を選ぶということが人生の意味、人間として生まれてきたことの意味となるのですが、果たして。
要するに逃げているのでしょう。生命と念仏を秤にかけているうちはやはり選ぼうとしていないのです。念仏を抜いたら生命の尊厳性も失われる。そこに生きていることの意味や生まれてきたことの意義を見出すことはできません。命の尊厳は念仏を抜きにしては語れない。念仏から逃げるという方向は、まさに尊厳性を失っていくあり方といえるのではないでしょうか。自分自身の命に尊厳性を見出せない私の、その逃げる背中に向かって念仏の方から悲しみの光が充てられていることが、前方に映る影から知らされてくるような気がします。
如来の智慧の光に真正面に向き合った人の後方に影は映らないのでしょう。

コメント

神祇不拝

2014年01月22日 | ブログ

2014

 安倍晋三首相が六日、伊勢市の伊勢神宮を参拝した。「靖国神社は駄目なのに伊勢神宮はいいんですか」。取材の際、居合わせた参拝の女性から尋ねられた。
 憲法には政教分離の原則があり、首相の神宮参拝にも批判的な意見はある。ただその点で国民の関心は高くはない。年頭の神宮参拝を初詣という日本の風習と捉えている人が多いからだろう。今回は安倍首相が昨年末に靖国へ参拝して大きな話題になったばかり。女性もその違いを不思議に感じたのかもしれない。
  首相の神宮参拝は一九五五年の鳩山一郎氏が戦後初。佐藤栄作氏以降はほぼ毎年足を運び、非自民の首相も同じ。戦犯を合祀する靖国と性質が異なる点も大きいが、長年の慣習として受け入れられてきたようだ。ただ会見の場所とはいえ、神宮司庁の中で政治を語る首相の姿にグレーな感じはしなくもない。
中日新聞2014年1月22日三重版「波の詩」

なぜ首相が毎年、伊勢神宮を参拝するのか。
私の長年の疑問です。誰かと議論することはおろか、疑問を共有する隣人も見つけられないままにきましたが、上記の「伊勢神宮はいいんですか」という女性の「不思議な感じ」と記者自身の「グレーな感じ」に共感を覚えたのと同時に、新聞という媒体にそのような疑問が載ることの何かしらの安堵を感じました。
その安堵感は私の個人的な疑問の共有者が存在したということだけではなく、この疑問がまだ堂々と紙面上に発せられたということに対する感覚です。
首相が神宮に参拝することに何の違和感も感じないという人も少なくないでしょうし、むしろ総理大臣が伊勢神宮にお参りするのは当然だという人もいらっしゃるでしょう。
私の個人的な疑問は、自らを総理大臣に任命した天皇の皇祖を敬うのは当然といえば当然かと、そんなふうに疑問を処理してきました。
ですが、昨年執り行われた伊勢神宮の式年遷宮を機に「国づくり」ということを深く考えさせられました。
式年遷宮のハイライトである「遷御の儀」にも安倍首相は参拝しました。それは、皇祖神を崇敬するというカタチをとりながら、皇祖神伊勢神宮の神威と天皇の権威をアピールするパフォーマンスとしてです。同時に、皇祖神の遷御を国家的行事として、それがつつがなく執り行われることで、その国家の安寧と秩序を現政権が保っていることを示す目的があった。そう考えると、自ら皇祖を敬うことによって天皇の権威を高め、その天皇からの任命を受けたという自らの正統性を証明するという自作自演のプロパガンダに思えてきます。
かつて1889(明治22)年に行われた式年遷宮に合わせて明治政府は大日本帝国憲法を発布し、「アマテラス-神武-天皇」という系譜を際立たせて諸外国にエンペラーを超越する存在として「万世一系」の天皇の権威を誇示したといいます。まさにそこから日清、日露との戦争に突入していきます。
また昭和4年の式年遷宮は空前の盛大さと豪華さを誇るものだったといわれています。御正殿の扉の装飾はまるで大日本帝国の勲章をジャラジャラ付けているようだったとも。その盛大さをもたらしたことについて、武澤秀一氏は「伊勢神宮と天皇の謎」のなかで、「時代の空気と無関係とはいえない。昭和4年といえば、満州事変が勃発する2年前である。昭和初期、東アジアにおける緊迫した軍事状勢の下、ナショナリズムの異様なまでの高揚が、皇祖をまつる神宮式年遷宮に空前の盛儀をもたらした。同時に式年遷宮もまた、ナショナリズムを大いに盛り上げたのである。」といいます。
そして真珠湾攻撃から1年後の1942(昭和17)年、昭和天皇が皇祖アマテラスに戦勝祈願のために伊勢神宮を神祭した時に随行したのは東条英機でした。
戦争終結から3ヶ月後、昭和天皇は皇祖に敗戦を奉告し、詫びるために再び伊勢神宮を神祭します。明治まで天皇自らが伊勢神宮の皇祖神を参拝するのは持統以来のタブーだったことを考えると、それがどれだけ異常な事態であったのかと思います。
敗戦の年の12月、1949(昭和24)年に予定されていた式年遷宮の中止が決定されますが、それは宗教を国家から分離して政治目的に誤用することを防止する「神道指令」がGHQから出される3日前だったといいます。
神道指令後10年を経て、鳩山一郎が戦後初めて神宮を参拝することになりますが、この1955年が原子力基本法が成立した年であることがただの偶然であるとは思えない「いま」です。
話がだんだんみえない方向に行っているような気がしますが、言いたいことは、外交施策のために国威を発揚する必要に応じて伊勢神宮を政治的に利用し、神祇を天皇の権威として示してナショナリズムを煽り、神祇を皇祖神として崇拝する姿をとって自らの正統性を誇示すると言うやり方です。しかもその外交の目的がすべて経済、つまり「お金」ということに基づいていることを思うと、それを望んでいるのは他ならぬ自分ではないかとまで思い至ります。
第1次安倍内閣のキャッチフレーズは「うつくしい国づくり」でしたが、きっと昨年の式年遷宮に合わせて「新しい憲法」を発布したかったであろうことが想像されてきます。この「うつくしい国づくり」は「戦争ができる国づくり」でした。安倍首相の参院選の大敗後の辞任、その後の政権交代、東日本大震災などは大いにそのタイムスケジュールを狂わせることになりましたが、第2次安倍内閣の発足後は様々な事案が加速しているような気がします。
「反対」という立場のつもりが、それを逆に押し進める力に利用されていはしないか。親鸞が「神祇不拝」といったのはまさに「天神地祇を利用して自らを正統化する権力」に対するものではなかったでしょうか。
さて、今週末は常照寺の報恩講が勤まります。お念仏に込められた神祇不拝の精神に自らのあり様を見つめたいと思います。

コメント (2)

義なきを義とす

2014年01月06日 | ブログ

サンタクロースの来ない我が家ですが、妻の実家には有り難いことに来てくれます。長男がサンタからもらったゲームソフトに苦戦し、攻略本が欲しいというので年末に書店に出向きました。
ご門徒が経営されていた近所の商店街の小さな本屋さんがシャッターを降ろしてから、本はほとんどネットで注文してばっかりですが、長男だけにとどまらず「本屋に行く」という声に反応した長女も伴って、あるかないかもわからない攻略本を求めて大型書店へ。
「好きなのを1冊ずつ選んでいいよ」と、長男・長女ともにお目当ての本を見つけ出しましたが、言った私の1冊がしぼりきれず苦戦してしまいました。
「活字ばなれ」といわれて久しいですが、出版業界も書店もさまざまに工夫して魅力を出しているなぁと分限を越えて感心しつつ・・・
「お父さんはやく選んで」という声に押されて私だけ約束を破って2冊。
その1冊は、昨年なくなったアンパンマンの作者やなせたかしの「わたしが正義についてかたるなら」http://www.amazon.co.jp
この本に引っかかったのには伏線があります。
年末に続いた忘年会のなか、あるスナックでたまたま隣に座られた警備会社の社長さんが、私が寺の住職であることを知った上で「住職さん。正義って何ですか?」と。
警備会社を経営する上で悶々と悩んでおられるのだそうです。
お互い酔った上でああだこうだと言い合ったまま、「はいそこまで。お勘定!」とお開きに・・・。
年末にこの方にいただいたこの「正義とは?」ということがずっと引っかかったまま、この問いを大事にしようと新年を迎えたのでした。

年末年始、お寺でもお参りに来られた方から平和を願う声が多く聞かれたような気がします。
その声が大きくなればなるほど、どうもそれとは反対の「動き」が目に見えて報道されています。
平和を求めるということを突き詰めていくとどこに向かうのか。
戦争は「平和を願う者どうしの戦い」だと教えられます。また「正義と正義の戦い」とも。「戦争はうつくしい国づくりという顔をしてやってくる」という表現も耳に残っています。
そんな正月。知人がFacebookを通してこんな作品を紹介してくれました。

20140106_3

「新聞広告クリエーティブコンテスト」の昨年度の最優秀賞だそうです。
コンテストのテーマは「しあわせ」。http://www.pressnet.or.jp/adarc/adc/2013.html
「しあわせ」は求め続ける限り手に入らない事柄だと言った方がありました。
「しあわせ」は強迫観念だとも。
「平和」も「正義」も、ひいては私たちの日常の「常識」ということも通じるものがあるかなと思います。
作品のキャッチフレーズは

一方的な「めでたし、めでたし」を生まないために。
広げよう、あなたがみている世界。

です。

正義とは何か?
スナックのカウンターで突然問われて、浮かんだフレーズはこれでした。

義なきを義とす

正義を問われて、この親鸞聖人のスタンスを訪ねる1年としたいと思います。
どうか今年もよろしくお願いします。

コメント