一番 西意善綽房
二番 性願房
三番 住蓮房
四番 安楽房
何の順番か。
歎異抄の末尾に記述されている「承元の法難」の記述です。
先週末、常照寺の報恩講をおつとめすることができました。
ご参詣の皆さま、お手伝いいただいた皆さま方には改めてお礼申し上げます。
その報恩講でも課題となったいわゆる「承元の法難」。
今月中旬、若手の僧侶で行った東本願寺の本廟奉仕で、担当された教導からいただいたテーマも、この歎異抄の「添え文」といわれる記述についてでした。
そして昨夜開かれた今年最初の「一闡提の会」という住職らの学習会の現在のテキストは「歎異抄聴記」。
そのような伏線があって、昨晩のテーマは「『歎異抄』添え文の意味するもの」。
毎回、予めテーマを設けて学習しているわけではありませんが、いろいろな背景が重なってこのような課題となりました。
これだけ同じテーマが様々な局面で重なってくると、今このことをしっかりと見据えておきなさいという何らかの暗示のようにも思えてきます。
東本願寺で教導から、宮城顗先生がその選集の一巻に遺されている
「一人」に凝視されている者として-『歎異抄』添え文の意味するもの-
という論文を示唆されたので、昨晩は皆でこの論文を読み合わせた上で、冒頭の記述について話し合ったのでした。
さて、前置きがながくなりましたが、この論文のことばをかりるとすれば、冒頭のこの順番は
念仏を称えれば首を切る、やめれば助ける、という断頭台の下で、念仏して首を切られた記録
です。
その「一番、二番・・・・」という表現の仕方は、次々と呼びだされて刑場にその命を断たれた次第を書きとどめたものと、私には読めるのである
と、宮城先生は遺しておられます。
先の本廟奉仕では、「生きるか死ぬかという究極のところで念仏が選びとられてきた歴史」がこの「記録」ではないか。そして「死ぬ覚悟がないと本当の道は歩めない」とも教示されました。
死ぬ覚悟で選びとられてきたのが「念仏」であったことを思うと、報恩講をおつとめしてやれやれといった感覚の私に、「承元の法難」とその「記録」がつきつけてくる事実は、まだまだ「選びきれていない私」という姿です。
そもそも私の方から念仏を選ぶまでもなく、お念仏の方から選ばれているにもかかわらず、です。
まして「選びきれていない」といえば聞こえはいいのかもしれませんが、それは「選ばない」「選ぼうとしない」自分自身です。そこからは「保身」ということがみえてきます。どこまでも自己保身のために「選ばない私」。
「お念仏を選ぶ」という新たな課題が人生の上に開かれてきます。
命をかけて念仏を選ぶということが人生の意味、人間として生まれてきたことの意味となるのですが、果たして。
要するに逃げているのでしょう。生命と念仏を秤にかけているうちはやはり選ぼうとしていないのです。念仏を抜いたら生命の尊厳性も失われる。そこに生きていることの意味や生まれてきたことの意義を見出すことはできません。命の尊厳は念仏を抜きにしては語れない。念仏から逃げるという方向は、まさに尊厳性を失っていくあり方といえるのではないでしょうか。自分自身の命に尊厳性を見出せない私の、その逃げる背中に向かって念仏の方から悲しみの光が充てられていることが、前方に映る影から知らされてくるような気がします。
如来の智慧の光に真正面に向き合った人の後方に影は映らないのでしょう。