遊煩悩林

住職のつぶやき

学びの難しさ

2018年04月02日 | ブログ

真宗大谷派(東本願寺)の教学員である中島岳志さんが、財務省の決裁文書改ざん問題にふれた記事(中日新聞3月29日夕刊『論壇・時評』)に、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』をとりあげていました。

東京新聞 http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/rondan/CK2018032902000253.html

そういえば映画監督の森達也さんが、いつだったかオウム事件以降の日本の厳罰化傾向と防犯カメラによる監視社会のあり方について、この小説をとりあげていたのを思い出して、いよいよというかようやく機が熟して新訳版を注文。

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手元には届いたものの、まだ手をつけておりませんが、この小説の主人公は過去の記録文書を改ざんする業務を担う役人だという。

記録や文書は過去の出来事から学んでいく材料にするところに意味があるのでしょうが、現状に応じて書き換えていてはもはや記録でもなんでもない。

まさに過去を何も学ばずに捨てていくに過ぎない。

「今だけ 金だけ 自分だけ」という現代の「3だけ主義」を象徴しているようにも思えます。

さて、自分を棚に置いたまま、ただ他を批判しているわけにもいきません。

私自身は過去からいったい何を学んだというのか。仏さまの教えを聞いているような顔をして、いたずらに記憶を書き換え、都合のいい過去に浸って生きているのではないか。

人間が歴史から学んだことは 歴史から何も学んでいないということだ

ウィンストン・チャーチル

4月のお寺の掲示板に書き出しました。

学ぶべき史実が改ざんされたものだったとしたら、もはや学ぶべきところは、人間は都合によって史実を変えようとするということだけだ。

「人間」を「私」に書き換えて自分に言い聞かせる4月にしようと思います。

「私」と「私」の存在の背景を改ざんするということは、もはや自分を自分でないものにすることに他ならない。

ほんとうの自分を学ぶということの難しさを思います。

ところで、アカデミー賞で辻一弘さんがメイクアップ賞を受賞したと話題になった映画『チャーチル』http://www.churchill-movie.jp、劇場情報によると近所の進富座さんで月末からの上映とか。

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