遊煩悩林

住職のつぶやき

予想外

2009年12月30日 | ブログ

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歳末の除夜の鐘、そして歳始の修正会のご案内を、ご門徒をはじめ、有縁の皆様にお届けしたところ、予想外の方から予想外のリアクションを頂いております。
坊守の得度奉告式においては、すでに発行した常照寺報2010年版「朋光Vol.33」でお知らせしてあったこともあり、どうして坊守が「坊主頭」になったのかをはじめて知ってお祝いを寄せてくださる方もあります。
「予想外」なのは、映画「靖国 -Yasukuni- 」を本堂のプロジェクターで放映することに対するリアクションです。
しかも「予想外」なのは、特にご門徒からのリアクションではなくて、ご門徒でない個人的な付き合いをしている方、またはその告知を山門前の掲示板にしていますから、それをご覧になられた方から声をかけられる事です。
私にとってみれば、お寺が企画した行事に対してリアクションをいただく事はうれしいことです。
ですが、日頃のノーリアクションに対して今回のリアクションには一考の余地があるようです。少し、調べてみましたら映画「靖国 -Yasukuni-」の自主上映の動きは全国にあるようです。http://jyoei.eigayasukuni.net/
しかし、昨年7月に自主的に上映が企画された高知市の会場には、会場を爆破する旨の脅迫があったそうです。
そういう事例を知って有縁の方が心配のリアクションをしてくれている・・・という感じではありません。
やはりどちらかというと、「反日映画」的な扱いのマスコミ報道を額面どおりに受けとめたところからのリアクションのように聞こえます。各地で相次いだ上映中止の報道によってまたそのイメージが強くコマーシャルされているようです。

私の祖父の兄弟は日中戦争で「外地」で死んだと聞いています。どういう扱いになっているかはわかりませんが、通常考えれば靖国に合祀されていると思います。
ただ、そのことを深く問うこともなくこれまで来たという反省が私の中にはあるわけです。
靖国について、あまりにも私は何も知らない。
ですから、大晦日の晩にお寺で靖国のDVDを放映するということは、靖国問題に対する寺の意思を映画に投影するものではありません。靖国神社は、私自身まだ一度も足を運んだ事のない場所です。ましてや終戦記念日は「お盆」ですから、この日に靖国神社ではどういうことになっているのかなんてことは、この映画を見る事ではじめて知ったことです。
常照寺はこれまでも視聴覚伝道を特に若い世代に呼びかけたいという目的で映画や仏典教材の上映を行ってきましたし、今回もその一環です。
まず「知る」ことからしか話ははじまりませんし、そこからはじめていきたいわけです。
有縁の方がいいます。「国のために死んでいった方々があって今私たちはここに生きている」のだと、「国のために死んでいった人をその国の人がお祀りして何がいけないの?」と。それではいつかの首相の言葉と同じような気がします。
考えてみたいのは、「国のために死んでいく」ということは、私たちは「国のために」生まれてきたのかという事柄です。国のために、国家のために生み出されたモノならば、それに従わざるの得ないのかもしれませんが、やはり私は決して国家のために生まれてきたのではないし、国のために生きているのではないということ。だから国のために死ぬことはできないと。そこまでは考えられるようになってきました。もちろん私の信じるところの活動が、地域や国のためになればそれに越したことはありません。
ですが、今回いただいたいくつかのリアクションは、どうも「あんまり頑張らん方がいい」という世間さまのご忠告のようにも聞こえます。

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続・幹事の仕事

2009年12月27日 | ブログ

クリスマス・イヴを吉野山中の宿坊で過ごした翌日。
柿の葉寿司を食べそびれた住職たちの一行は、吉野から橿原市に移動し、御所市の水平社博物館http://www1.mahoroba.ne.jp/~suihei/へと向かいました。

800pxflag_of_national_levelers_as_3 この旅の目的は「水平社博物館を訪ねてみたい!」ということで人権学習を銘打って企画された住職らの集まりでしたから、そのメイン会場へと向かったわけであります。

博物館の正面には、「人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光あれ」という水平社宣言を起草し、水平社旗の意匠の考案したともいわれる西光万吉の生家である西光寺があります。まず、こちらにお参りさせていただきました。

ほどなく博物館に向かったところ・・・・・なんと、

休館

の張り紙が・・・・・。
事前に真宗大谷派の解放運動推進本部からいただいていた「特別入館券」の記載を確かめると、休館日には「毎月第4金曜日」とちゃんと記載されていたのでした。(後日、博物館のサイトを確かめたところ12月24日~1月4日まで休館に・・・)
館内を掃除されている方がみえたので「ダメですか?」と尋ねると、職員の方を呼んでくれましたが、「全館ワックス掛け中で、私たちも自由に歩けないのです・・・スンマセン・・・」ということで、入館をあきらめて、勝手にフィールドワークをはじめました。
389pxemperor_jimmu ちょっとした発見だったのは、博物館の隣にある「神武天皇社」です。ここの祭神は神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと)、つまり神武天皇、古事記や日本書紀にいわれる初代天皇が即位した場所とされているのです。
それにしても、神武天皇の陵墓といわれる橿原神宮に比べるとその規模ははるかに小さく、ひっそりと「し過ぎている」ところが、不思議でした。

このような仮説もあるようです。
http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page538.html

博物館には人権NPOによるフィールドワークのガイドさんがいらっしゃるそうなので、その辺のいわれを確かめるべく、今度は開館中に来てリベンジを果たしたいと思います。

「『解放令』から5万日目 記念碑」という碑の碑文が印象に残っています。
いわゆる「解放令」から5万日間の解放運動は何だったのか。そして現在の差別の現状を訴える切実なメッセージとして記憶に留めたいと思います。
http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page538.html

それにしても、山伏体験もなく花も紅葉もない吉野の宿坊に泊まり、金峰山寺のご開帳は来年の話・・・しかも、人権学習と銘打った旅のメインである博物館は休館日という・・・幹事の手腕は大したものです。

にもかかわらず、忙しい合間をぬって参加された住職らは誰一人として文句もいわず(言うまでもないか?)それぞれ大阪や名古屋、桑名、伊勢へと次の忘年会場に向けて散っていったのでした。

ところで旅の道中、都市部の駅構内以外では「クリスマスツリー」も「イルミネーション」もほとんど目にしませんでした。特に吉野の奥山では「枯れた桜」こそ印象深く、それだけでも忙しい最中「世事」を離れたところに身を置く事ことができたのかな、と幹事としての責任を放棄する私でありました。

水平社 http://ja.wikipedia.org/wiki/

神武天皇 http://ja.wikipedia.org/wiki/

(画像はいずれもwikipediaからです)

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幹事の仕事

2009年12月26日 | ブログ

真宗仏教とは対極にあるといってもいい「修験道」、その宿坊に一泊してきました。
宿坊に泊まっただけで修験道を実践したわけでも、山伏体験をしたわけでもありません・・・場所は奈良吉野の竹林院というお寺。http://www.chikurin.co.jp/
吉野といえば桜ですが、かつて太閤秀吉の花見に際して、千利休が築造したという竹林院の庭園は「群芳園」と呼ばれる大和三名園のひとつ。
1万坪という群芳園を散策すると確かにその意匠が感じられるのですが、花もなく、葉も散り尽きた冬だからこその「無常観」は、春のそれよりも秋のそれよりも、利休は冬の「裸」の庭を意識していたのではないかと思ったりました。
聖徳太子が開創し、第一世住職は弘法大師ともいう竹林院には、秀吉の遺品があるとか。明治以降は与謝野晶子をはじめ多くの文人、墨客も訪ねたといいます。山伏修験者の宿坊というだけでなく、今では一般に旅館としても利用されていますが、女将によると「今でもちゃんと住職がいるのよ」と、時代の苦難によって廃寺になったり再興したりした寺院なのでした。
翌朝、吉野山のシンボルともいえる金峰山寺http://www.kinpusen.or.jp/に参拝しつつ、吉野山のロープウェイを利用して下山しようとその参道を歩きました。
金峰山寺でもひときわ目を引くのは巨大な「蔵王堂」、地元の人の話では「世界で2番目に大きな木造建築」ということらしいのですが、東本願寺の御影堂は世界最大ともいわれていますし、体積では東大寺の大仏殿も・・・・・ま、順番はとにかく御影堂や大仏殿の条件とは違い、吉野のお山に聳えんと建てられた大伽藍の迫力と、山々に響き渡る梵鐘の音は「山の信仰」そのものです。
さて金峰山寺の「紋」はやはり桜です。吉野山には下千本・中千本・上千本・奥千本と千本単位の地名がならんでいますが、実に今では3万本を超える桜の巨木が山を覆っています。1300年前のこの地の縁起に従って桜苗の寄進と献木が盛んに行われた成果だそうですが、それは修験の始祖である「役行者(えんのぎょうじゃ)」が山頂で蔵王権現を感得し、その姿を桜の木に彫刻したという話に基づいているのだそうです。桜が蔵王権現のご神木といわれているわけです。
現在の蔵王堂のご本尊は3体の「蔵王権現」。本地仏はそれぞれ釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩とされるそうです。彩色鮮やかな7.28メートルという中尊をはじめ、いずれも秘仏で拝観できないなずなのですが、平城遷都1300年を記念して100日のご開帳があるということで期待に胸を膨らませながら・・・・・ご開帳はどうも来年の話でした。
修験に励む気もない私たちの目には触れることはできませんでしたが、ご開帳を知らせるポスターに見るその権現さまはまさに「忿怒」。
その炎は世間の巨悪を焼き尽くす浄火とも、己の心の闇を照らし出す浄炎ともいわれるそうですが、その「気」のない私への「怒」に思えました。100day_kaityou
金峰山の入門は銅鳥居をくぐるところからはじまります。この鳥居にまでたどり着いた修験者は「吉野なる銅の鳥居に手をかけて 弥陀の浄土に入るぞうれしき」と秘歌を称えながら柱の周囲をめぐり、そこから過酷な行をはじめるのだと。
さらにその「行」のハイライトである金峰山頂の山上ヶ岳での「西の覗き」は、断崖絶壁から身をのりだして合掌するという「捨身行」です。ここでの秘歌も「ありがたや西の覗きに懺悔して 弥陀の浄土に入るぞうれしき」なのだといいます。
いずれの秘歌も、数ある浄土の中から西方の「阿弥陀如来の極楽浄土」への信仰を意味しています。道は違えども、いかなる信仰も深めていけば阿弥陀如来の浄土信仰に行きつくしかないのだと了解してみました。
「信」と「行」という具体的な姿は異なれども、求める救いは同じであると・・・。ただしそれが修験によるのか加持祈祷によるのか念仏によるのか卜占や祭祀によるのかということは突き詰めていかなければなりませんし、やはり修験道は今でも一部を除いて女人禁制だといいますから平等の救いにはまだ遠く、験を修めたものだけの特権的な救いなわけです。修験に励む気もなく、他力念仏の「本願ボコリ」の私には批判する資格などありませんが、私たちが聞かせていただいている阿弥陀さまの本願は、男女の違いや、修行の多少、貧富の格差など何ら往生の問題にはならないのでしょう。ただ、修験を縁にして成仏に至る人もいれば、「行」をしたくてもできない人もいる。できない人は成仏できないかというとそうではないのでしょう。験を修めることができない私が成仏するには念仏しかないのであって、何も命がけの苦行・荒行を否定したいのではありません。念仏成仏なんだから修行なんかせんでもいいというのでもありません。
それにしても現地で最も感じたのは神仏の混淆です。歴史的にも神仏の習合や分離、廃仏毀釈によって廃寺と復興を繰り返されてきたお寺もこの地には多いのですが、金峰山寺の参道はまず鳥居をくぐり、そして仁王門から入門する流れになっていますが、習合と分離が政治的に謀られるその中で、山の信仰の生き残りをかけた苦肉の策や、工夫という事も多々あったのではないかと考えさせられました。
ただ、やはり最終的に「弥陀の浄土」の成仏が到達点であるならば、まっすぐに釈迦の説かれた仏道を歩みたいところです。政治や権力、そしていつの時代も世間の習俗との折り合いの中に振り回され、埋没してまっすぐに歩めない「私」の姿を歴史的名刹を訪ねて教えられたのでした。
さて宿坊から吉野山駅までの道中には、かの「陀羅尼助」(藤井利三郎薬房http://www.darasuke.co.jp/の薬舗や吉野本葛の老舗(八十吉http://www.yoshinokuzu.co.jp/、吉野名物の柿の葉寿司の名店(ひょうたろうhttp://nttbj.itp.ne.jp/、修験者向けの山伏の装束や法螺貝などを扱う店舗などが軒を連ねていましたが、なんせ年の瀬のシーズンオフ・・・開いている店も少なく、結局名物を何ひとつ買い求めることもなく吉野を離れることになりました。そして幹事の悲劇はさらにつづくのです。

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脱喪中

2009年12月18日 | ブログ

まだまだ先でいいかと思っているうちに年賀状の準備に追われることになりました。
ついつい昨今年の年頭に頂戴した年賀状を読み返しているうちに、とくに印象的だった一枚に目が止まりました。
前年にお母様を亡くされた方からの「お年賀」です。

謹んで年頭のご挨拶を申し上げます。
昨年、母が安養の浄土に往生させて頂きました。
世俗通途の義に従ってご挨拶ご遠慮申し上げるべきかとも存じましたが、
如来の大悲を頂く者にとって、死は決して忌むべきことではなく、単なる通過点に過ぎないとお聞かせ頂いております。
もしご無礼になりましたら何卒ご容赦下さい。
今年一年たどたどしいことながら、お念仏申しあげつつ、倶会一処の歩みを続けて参りたいと存じます。
今年もご教導の程、よろしくお願い申し上げます。
元旦

丁寧で穏やかな文章ですが、「喪中欠礼」は、仏教ではない!浄土真宗でない!という強いメッセージを感じます。
自身、父親や祖母が死んだ年に「喪中」とは言わないまでも、正月の「賀詞」を控えるというニュアンスで年末にご挨拶状を発信した経験があることをふまえて、多いに反省させられるところです。
最近は、前年に不幸を出したばかりで、とてもじゃないがオメデタイ気分にはなれないという遺族側の心情から、年賀を欠礼するもんだと解釈している人もいるようです。
ですが、「欠礼」という意味からしてもそうじゃないでしょう。「礼儀を欠く」のですから、本来ご挨拶申し上げなくてはならないところですが、「喪がウツル」といけませんのでよろしくご容赦下さいというのです。厳密にいえば感染るのは「喪」でなく「死穢」つまり「死のケガレ」です。
以前にも書きましたが、明治時代に法制化されていた「服喪の礼」は、身内の死後、他人に不幸が及ばないように親族が一定期間「世を避けて家に籠り」「身を慎む」ことが公然とされていたのです。不幸の近親者を囲い隔離することが目的だったわけです。
そんな法制が解かれ、実際に喪に服していては喰うてもいけない世の中ですが、近年ますます「喪中はがき」が届く枚数が増えているようにも感じます。その意を知ってかそうでないかはともかく、ますます死を穢し、忌み嫌う空気が強まってきているのではないかとまで思います。一般的にはそこまで意識化されていないにしても、ケガレを生み出し、忌み嫌う土台が温存され、助長されてきていることはウォシュレットをはじめ、抗菌グッズや空気清浄機能が不況時にも売れる清潔好きな世間にもそれが現れています。喫煙者へのシワ寄せも同根か、と。(話がそれました・・・)
知らず知らずのうちに世間のしきたりに従うことを通して、自分自身の手でケガレをつくり、亡き人をケガレタ存在にしてしまっているのです。下手をすると、喪に服して身を慎む行為が、亡き人のご供養であるかという誤解さえあるのではないかと思います。
せっかくこの世に生まれて仏法に出遇い、亡き人の葬儀を勤めて極楽浄土という浄らかな世界に往って生まれ還る教えをいただいたはずなのに、年末になれば「喪中」というのであれば、亡き人も遺された者も救われることはありません。
このことをよく考えてみないといけません。
そうやってキヨメの人とケガレの人を日本人は作り出してきたのですから・・・。

何も喪中葉書をくださった方を批判しているのではありません。私自身がそうであったように、何も知らないで世間の「しきたり」に従っていると、いつの間にかホトケさまであったはずの亡き人をケガレにして、亡き人が示してくださった願生浄土の道を歩もうとする私自身がじつは穢土に向かって歩んでいるという・・・そんな思想構造に埋没して自分自身の生き方をどこまでも曖昧にしている自分自身への自己批判と、制度化されていた当時の負のしきたりをいつまでも越えられないでいる世間を構成している一人としての反省です。

実際に亡き人を穢れたモノとして、喪中を宣言している人は多くはないのでしょう。それにしても、葬式さえ勤めることがなくなってきたという現代日本人は、よくもまあこんな面倒くさいことをやるなぁと思うのであります。
「死」は恐いかもしれません、嫌な人もいるでしょう。未知なることですから。だからといってそれを「ケガレ」にして忌み嫌うのはどうなのでしょう?
少し話が違うのだと思います。
だからこそ「浄土」の教えが説かれ、浄土を願う道が示されてあるのでしょう。
穢土を選びとるか、浄土を選びとるか、生きている私たちに問われていることです。

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捨てていいモノといけないコト

2009年12月16日 | ブログ

大掃除の季節。捨てるモノと、とっておくモノの選別を迫られる時期でもあります。
気づいてみれば、私のまわりには「要らないモノ」に満ちています。ゴミを買っていたような気にさえさせられます。
デフレ。過剰な供給。「モノが安く手に入る・・・」とよろこぶ人もいますが、どうなのでしょう。
買う人もいない「モノ」が、どんどんつくられ続けているという怖さを思います。
消費されないモノは無価値です。価値の見出せないモノを日本人は「ゴミ」とよんできたのでしょう。たとえそれがダイヤモンドの原石であっても、「商品」という名であっても、価値を見出せなければ「ゴミ」です。
狭義での「もったいない」思想が蔓延し、ブームとしての「エコ」を持て余す中で、「私は家庭のゴミを減らす努力をしています」なんて言っている自分こそがゴミをつくらせている超本人であるような・・・安価なものを選ぶことで、自らの収入を下げてしまう構造・・・の中で・・・。

先日、中陰(49日中の7日毎のお参り)に寄せていただいたお宅の息子さんにクイズを出されました。
昔の食卓にあって、今の食卓にないものってなーに?
何でも、都会の7000世帯の食卓の風景をカメラにおさめたという番組があったそうです。
「昔」っていつの「むかし」なのか、はたまた「ひっかけ」で、食卓からお父さんが消えた?かとも思いましたが、ここは素直に「ごはん(白飯)かなぁ?」と答えました。
彼がいうには、ご飯はあるのだそうです。ただ、それがジャーとかお櫃のご飯でなく、パックに入ったご飯であることの驚きを伝えたかったようです。
それが、レンジでチンのご飯なのか、スーパーのプラ容器のご飯なのかはともかく、彼の家庭ではご飯は炊飯器で炊くのが「当然」なわけです。
が、その番組で見たそれは、大変ショッキングなものだったそうです。共働きの両親が不在の状況で、子供がひとりでパックご飯を食べている絵だったといいます。
まんざら「お父さん!」がはずれだったのでもなく、「お母さん」まで・・・かよ!と。
だいたい電化されたキッチンによって、「お勝手」から「火」が消えた時代です。かつて誰がこの状況を予想したでしょうか。家庭の食事風景から何が消えてもおかしくないのです。そうやって妻と話していて、次も意外なものが消えるかも・・・と想像してみました。
結論は「包丁」。「まさか」と思いますが、現に大手飲食チェーンの厨房からは包丁が姿をなくしていると聞きます。飲食店になくていいものが、お勝手にある必要がないという最終結論です。現にスーパーの食材もすでにカットされた商品が、ますます増えてきているような気がします。

クイズのお返しにこちらからも出題しました。
人が死んだときに、むかしは必ずやったけど今はやらなくなってきたものは?
漠然とした問題だったので、答えを待たずに答えました。
「お葬式」と。
通夜や葬儀。要するに「経」も「僧」も、人の「死」から排除されてきています。その現場に「おしえ」がなくなってきたのです。「おしえ」とそれを「伝える人」がいなくなってきた。除外されるようになってきたといった方がいいのかもしれません。
逆に「おしえ」は欲しいのだけども、それを伝える「場」がなくなり、伝える「人」がいなくなったということも、私たちの反省にあるわけです。
「経」という教えはあれども、それをキチンとお伝えしなければなりません。儀式を執行するだけならば必要ない、というふうにこの風潮を受け取れるのです。

中陰をおつとめになるこのご家庭は、先月おばあちゃんが亡くなりました。毎週かならずその実娘とその息子さんがお参りされました。
実娘は言います。「母は父の亡き後、女手ひとつで4人の兄妹を貧しいながらに育ててくれました。幼い頃、ごくわずかな食べ物をみんなで分け合い(取り合い?)ながら、食卓を囲んでいた頃は幸せだった・・・今思えば・・・」
母親の葬儀を勤め、仏前で手を合わせることを通して、あの頃の母のご苦労に遇い、お金はなくても幸せがあることを体感できたことを改めて知ることができたのでした。そしてそれが母親が子供たちに残した教えだったのでした。

さて「いま」、「あなたの将来のために・・・」と称して、父も母もはたらきに出る家庭で、一人でパックのご飯を食べながら子どもはどんな感情を育てるのか。
楽しくとも何ともない、ただ食べるという作業をこなしながら「生まれてきてよかった」と感じなさい!という方が無理なのでしょう。
「僕はいったい何のために食べているんだろう」という問いが生まれたならば、それはやがて「何のために生きているのだろうか」という問いに発展するかもしれません。その問いを大切にして、それを確かめていく人生が開けて来ればそれは尊いことです。
ですが、ナカナカ簡単にはいかないでしょう。「僕なんかいない方が良かったんじゃないか」「生まれてこなければよかった」と考えるのが自然になってしまっているのです。

「食卓」の現場も「死」の現場も、その「根」は同じだと思います。「たいせつなこと」を知る場を「ゴミ」のように捨ててしまっているのです。
中陰のこのご家庭は、おばあちゃんの葬儀を勤めることで、まずその恩を知ったわけです。「知る」というところから、その恩返しがはじまっているわけです。それがないと私たちはいったい何を大切にして生きればいいのか、そしてどこに向かっていったらいいのかも知ることができないのではないでしょうか。

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