遊煩悩林

住職のつぶやき

美の希求

2014年06月28日 | ブログ

阿弥陀如来さまは私たちに何か大事なことを伝えようとなされてお立ちになっておられます。
どうか仏さまのおこころにお従いください。
「あなたが”たすかる”ことを私は誓います」と仏さまが「重誓」されておられます。
念仏申すことが、私が人間に生まれて最も大切なことであります。
念仏は最高の敬語であります。
念仏するということは、人を尊敬し、相手を尊重することであります。
念仏申す人のこと、つまり他者を尊敬することができる人のことを、「是人」”よきひと”と申します。
相手を尊重することがない者は「人」とは言えない。それを「非人」というのです。
仏さまの御座候うところで念仏申すことができない者はもはや人間とはいえません。

ただ念仏申さるべし

荒山修先生に渾身の法話をいただきました。
2日に1回の人工透析を受けながら、今年も常照寺の永代経にお運びいただきました。
残念ながら来年のお約束は適いませんでしたが、その引き継ぎをお孫さまに託されて、お別れをさせていただきました。
私が物心ついた頃には、ご説法なさる先生の姿とそれを聴聞する父親やご門徒の姿がありました。
思えば無自覚ではありましたが、その姿にこの自分もお育てをいただいてきたのだと思いました。
40年間、毎年電車に乗って通っていただく中で、先生はこの私に何を伝えようとなされたのか。
「ただ念仏申さるべし」に尽きるように思います。お念仏申す人になってください。、と。
ほんとうに他者を尊敬、尊重できる人間になってください。
そのメッセージを深くいただいてまいりたいと思います。

そんな思いの中で21日、第33回の真宗公開講座が開催されました。
今年は実行委員長という当番で、一年かけて準備をしてまいりました。
配慮の至らない委員長を、多くのスタッフが助けてくれました。本当にありがとうございました。
当日は400人近い方がご聴講に足を運んでくださったとのことです。
ご聴講とともに、被災地へのご支援をいただきまことにありがとうございます。
今回、ご講師に福島から佐々木道範さん、るりさんのお二人にご無理を願ってお越しいただきました。
お二人でのご出講をお願いしましたので、お子さまを伴っておいで下さいました。
こちらのスタッフもまた夫婦で、子ども連れで様々な方にお手伝いいただきましたが、何より子どもたちがそこで出遇ってくれたことがうれしいことでもありました。
さて、お二人からのご講演では、東日本大震災の体験と状況から、現状とそれに対する思いを語っていただきました。
お話の中で道範さんのこんなキーワードが印象に残っています。

水平な人間関係

「平等」「対等」「公平」といってもいいのかと思いますが、あえて「水平」という表現が印象的でした。
人が人と人間として関係していく、そんな当たり前のことが今なりたっていかない現状が、「水平」という言葉に込められてあるのかなと聞かせていただきました。
私の中では、先の永代経で荒山先生が仰っておられた「他者を尊重する」ということと、道範さんがいう「水平な関係」というのは同一のことをいっているように感じます。
仏さまの慈悲は、いつでも、どこでも、誰にでも。
私たちの日常は、いつ、どこで、誰が。時を選び、場所と人を特定して、差別し、切り捨て、排除する。
来月の掲示板に記す言葉が浮かんできました。

美しい国をつくるということは
美しくないものを排除することなのだろうか

「真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会」のネットワークニュース『願いから動きへ』38号のあとがきに

自民党の改憲案にある教育方針として「美しい国、日本」として掲げられたプロパガンダが気になります。「美しい」とは響きのよい言葉ですが、美の希求の内実は排除です・・・。

とあります。

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「生き方」の問題

2014年06月21日 | ブログ

今日のことですが・・・。
実行委員長を仰せつかりました。お時間ある方は是非お出かけください。

33

三重県におきましても、かつて芦浜に原発を建てる計画があったことはご承知のとおりでございます。本日ご参加いただいた皆さまの中にも、20年ほど前、「三重に原発いらない県民署名」にご協力された方々もおいでになることかと思います。
いま、三重県には原発はございません。
ただ、福島の原発事故を受けて、私たちの会話の中に、改めて「三重県に原発なくてよかったね」という言葉をしばしば耳にすることがございます。
はたして、私たちの身近になければそれでいいのかという問題でございます。
先月、御遠忌の「同朋大会」で、講師の池田勇諦先生がこう仰っておられました。
どうして政治の問題をお坊さんが語るのかと言われるのですが、政治の問題を政治の問題として問うておるのではなくて、これは自己、つまり「この私」の問題なんだ。国の構成員たる一人ひとりの問題なんだ、と仰っておられました。
そして特定の政党の支持者としてではなく「真宗門徒」として関係してくるのです、とも仰っておられました。
また、本日のご講師である佐々木道範住職が、昨年、桑名別院で開催された東日本大震災の3回忌にお越しいただいたときに、るりさんのこんな言葉を紹介されておられたのを覚えております。
「私にとっての反原発は『生き方』なんです」と。「生き方」の問題なんだ、と紹介してくださいました。
集団的自衛権にしても原発問題にしても、政治的課題ではなく私たち一人ひとりの「生き方」の課題としてみていく。そして一人ひとりがそれを選びとっていかなければならない。その選びの「ものさし」、それが真宗を社会に公開していくことではないかと思うところでございます。
福島の方々との出会いを通して感じることは、いま、この自分が「ほんとうに大切なこと」を忘れて日々生きているのではないかなぁということです。
どうか皆さまとご一緒に、日ごろの日常の中に埋もれてしまっていることを確かめさせていただき、私たちが生きていく上で、ほんとうに大切なことを取り戻していく一歩を踏み出してまいれればと思う次第でございます。
「第33回真宗公開講座 実行委員長あいさつ」抜粋

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どうしようもない

2014年06月07日 | ブログ

昨夜、南勢1組の推進員研修が常照寺で行われました。
森英雄先生(河芸町松林寺)にお越しをいただきました。
冒頭、仏教は何を教えるのか?と課題を出されました。
2時間ほどお話をいただいたなかで「自分のどうしようもなさを知らせる」というフレーズが響いてきました。
仏教は「この私」に何を教えるのか?
それはどこまでも、自分のこの「どうしようもなさ」を知らせるのだと聞かせていただきました。
しかし、頭では分かっていても自分のどうしようもなさなど知らされたくありません。
そう正直になると仏さまから逃げている自分が見えてきます。
どうしようもなくない自分ばかりを追い求めている私。
そうやって、どれだけ背を向けていても、どうしようもないことをどうにかしようとするからこその苦悩を知らせてくださる仏さま。
どうしようもない自分をどうしようもないまま救いとってくださる仏さま。
その教えに出遇って、苦悩を克服していかれた方々から、その教えを未来永劫に人類に開いていってほしいという願いが私たち一人ひとりにかけられていることを思います。
そのことを確かめつつ明日の永代経を精一杯お勤めしたいと思います。
病いを捺して名古屋から荒山修先生にお越しいただきます。
まさに命を懸けてのお伝えと心得て聞法させていただきたく存じます。
厳しいご説法やもしれませんが、ご門徒の皆さまのご参詣をお待ちいたしております。

2014

ご案内では、ご参詣の皆さまに三重教区発行のテレホン法話集「こころをひらく」の最新号を記念品として進呈する予定でしたが、発行が間に合わず、東本願寺出版部発行の「真宗の仏事」http://books.higashihonganji.or.jp/に変更になりましたのでご了承ください。

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無意識の切り棄て

2014年06月02日 | ブログ

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先月20日から2泊3日、はじめての沖縄へ行ってきました。
20日は到着後、那覇の「琉球別院」として120年の歴史を刻んできた真教寺を訪ね、つづいて普天間基地の近くに4年前に開設した沖縄別院へ。沖縄国際大学教授で琉球新報論説委員の前泊博盛氏から、沖縄に集中する基地の歴史的経過と現状について、「日米地位協定」そして「主権回復の日」、「天皇メッセージ」などのポイントをおさえながら「沖縄差別」の実態についてお話を伺いました。
政府が「主権回復の日」とする4月28日。それはサンフランシスコ講和条約が発効した日。日本はこの条約の発効によって連合国の占領から脱しますが、沖縄・奄美・小笠原は米国の施政下のままで、沖縄では「屈辱の日」、奄美では「痛恨の日」といわれる沖縄・奄美・小笠原が日本から「切り棄てられた」日です。
朝日新聞デジタルhttp://www.asahi.com/
沖縄返還から7年後の1979年、米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望むとする天皇のメッセージを記した外交文書が機密解除によって公開され、日の丸を掲げて島ぐるみで「本土復帰運動」をした沖縄の人々は騒然とします。
沖縄県公文書館http://www.archives.pref.okinawa.jp/

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さて、翌21日は読谷村に今年開設された「何我寺(ぬうがじ)」という聞法道場を訪問し、道場の知花昌一氏から「琉球処分」について、薩摩の島津による支配から、いま現在も「処分」され続ける現状についてお話を聞かせていただきました。その後、近くのチビチリガマをお参りして沖縄戦における「集団自決」についてご案内をいただきました。

また、知花氏が立ち上げに協力された「琉球親鸞塾」に、主催する彫刻家の金城実氏を尋ね、『コザ暴動』http://ja.wikipedia.org/を描いた作品などの紹介とともに、そこに込められた信念を聞かせていただきました。

午後からは、嘉手納基地を見渡す「嘉手納の丘」を経由して、広大な基地を横目にしながらレンタカーを走らせ、普天間基地の北東にせり出すように建てられた佐喜眞美術館http://sakima.jp/で、『沖縄戦の図』(丸木位里・丸木俊 共作)を観賞し、館長の佐喜眞氏から説明を受けました。
普天間基地を見渡すことができる『屋上の階段』で、館長のご兄姉の女性が「私たちはね、日本人になりたくて復帰運動をやったわけじゃないのよ。復帰すれば本土なみに(米軍)基地がなくなると思って運動したのよ。だけど、復帰してからの方が状況は悪くなってるのよ」と話してくださった。
そして「私たちはそれを『無意識の植民地化』だと思ってる」と。
この言葉が、ずっと頭から離れません。

美術館をあとにして、2004年に米軍ヘリコプターが墜落した沖縄国際大学の現場を視察。日本国内に落ちたヘリに日本は手が出せないのは「地位協定」の「財産権」によるものでした。読谷でみた「外人住宅」といわれる在日米軍人の駐留経費を日本が負担する「思いやり予算」もこの協定によるという。
さて、那覇のホテルに帰る途中、日程にはなかった宜野湾市の嘉数高台公園に寄り道。展望台からは普天間基地を南から見渡すことができます。まさに公園の横を軍用機が基地に向かって降りていく場所です。基地にはオスプレイが展示されるかのように並べられ、1機・2機と飛び立っていきます。

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今回、はじめて沖縄を訪れ、はじめて知ったこと学んだことが数多くありました。
沖縄の航空券を手配していた5月初旬、那覇空港へ向かうピーチ・アビエーションの飛行機の高度が低すぎたという事件がありました。那覇空港に離着陸する民間機は米軍の管制域によって、嘉手納などの制空権を避けて飛ばなくてはならないために、低空を飛ぶのだそうです。ピーチの報道を見て、ただ「落ちたら怖い」と言うだけで、そこに言及した報道があったとしても、どれだけ関心が持てたでしょうか。http://matome.naver.jp/
ただ「知らない」という無意識の中に、沖縄の基地を「しょうがない」といって認めてきたものが自分自身の中にあることを自覚させられます。それが彼女の言った「無意識の植民地化」ということではなかったでしょうか。
半ばワクワクしながら訪れた沖縄。そこでご苦労されてこられ、今なおご苦労の連続の中にある方々に出会い、「日本人」ということも深く考えさせられました。同じ日本人といえども、彼らから見た私は『ヤマトンチュ』、ヤマトの人間です。ウチナンチュのアイデンティティをとおして私自身のアイデンティティが深く尋ねられました。

翌23日。南部の平和祈念公園で「平和の礎」にお参りしました。
公園内には各都道府県の碑があります。いくつかの碑文を読ませていただきましたが、そこには沖縄戦で没した各都道府県出身者の方への追悼の言葉が目立ちます。
碑文には、沖縄戦で没した各県出身兵士に対する追悼文が述べられてあるだけで、沖縄戦で犠牲になった沖縄の民間の方々に対するコメントは多くはありません。
ここに私の沖縄に対する「感覚」が表出していることを教えられました。これこそが「無意識の植民地化」たる現状です。

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今回訪問させていただいた何我寺で、今年3月に勤められた落慶法要では「浄土と国家-非の思想」というテーマで記念講演が行われ、講師の玉光順正氏から「浄土とは国家を相対化するもの」というお話がされました。(『真宗』2014年6月号)
私たち「宗教」に関わる人間に対して、「どうして社会問題や政治問題に関わるのか」という種類の問いをいただくことがしばしばありますが、先の桑名別院で開かれた同朋大会で講師の池田勇諦氏からいただいた言葉は、政治問題や社会問題を政治問題として、社会問題として問うのではなく、どこまでも「自己の課題」として、私の問題、私の生き方の問題として、また仏教徒として、真宗門徒として生きていく課題として深く関係してくる事柄としてみていかなくてはならない、その旨の言葉だったと了解させていただきました。
一国家の構成員として、また一人の仏教徒として、真宗門徒の自覚を

浄土とは国家を相対化するもの

と今月の掲示板に記し、発信することで、「無意識の差別性」を我が身に問い続けていきたいと思います。

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