遊煩悩林

住職のつぶやき

何してるの?って

2017年10月30日 | ブログ

仲間意識が仲間はずれをつくりだす

と呟いてはやひと月。

「排除」という言葉が一人歩きした結果、仲間はずれ組が躍進したことを思いつつ、先週に続いて、昨日は市議会議員、選挙月間でした。

いうてる間に、霜月がせまってきた。

近隣の寺院でも報恩講がはじまった。

報恩講の翌朝は「お浚い」のお勤めがある。

不了仏智のしるしには

如来の諸智を疑惑して

罪福信じ善本を

たのめば辺地にとまるなり

http://www.otani.ac.jp/yomu_page/kotoba/nab3mq0000000k0h.html

ただ、称えているだけ、聞いているだけだと通り過ぎてしまう。

約ひと月ぶりの投稿に、今月何をやっていたのかなとスケジュールボードを眺める。

会議ばっかり。しかも、ご門徒のお参りの日程をずらしてもらってです。

朝、本堂にお参りに行ったら堂内に貼ってあるポスターがやけに気になった。

気にしながら今日も会議に出かける。

 

 

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しわ寄せ

2017年10月02日 | ブログ

 

仲間意識が 仲間はずれを つくりだす

 

もうずいぶん前に、インターネット上で見かけたことばです。

真宗大谷派奥羽教区電子掲示板 https://twitter.com/oukouho/status/616806892019384320/photo/1

いつか常照寺の掲示板でも発信したいと思いながら、なかなかタイミングを見つけられずにおりました。

どうして今月がそのタイミングなのか、意のあるところをお汲み取りいただきながら。

職場や学校、地域など、もしかすると家庭内でも心当たることばではないでしょうか。

もともと違う者同士が同じところに共存する状況には、互いを仲間とする認識がはたらいているのでしょう。

自然にはたらく仲間感覚は「おたがいさま」という精神が基調にあるように思います。

逆に、不自然な仲間があるとすれば、それは意図的につくられた仲間意識がベースにあるような気がします。

あらかじめ誰かや何かを排除することを目的にした意識。敵を設定して結束を固める意図。

仲間づくりがテクニックになると仲間が仲間でないものになっていく。

「社会」は「個人」の集まり。豊かな社会というのは、互いを尊重しあえる個人の集合体をいうのでしょう。

業界でいえば、仏教の仲間を「僧伽(サンガ)」、そしてお念仏の仲間を「同朋」と。

今年、私たちの教団は、宗派の機関誌『真宗』に

私たち宗門にある者が真宗のいのちである同朋精神を喪失し、さらにはその喪失の事実にも無自覚である

という見識を示しました。

個々の「仲間」が、自分たちの都合だけちょっと優先するだけで起こってくるしわ寄せ。

しわ寄せがどこに向かうのか。その眼の欠如。

多数決の世にあって、無意識にマジョリティにすり寄る意識。

ただの数合わせの「仲間」。

損得だけの判断基準。

自分の都合ばかりを優先することで、実は自らが生み出した孤独を生きざるを得ない。

「しわ」を伸ばそう伸ばそうといってしわだらけそんな私。

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