遊煩悩林

住職のつぶやき

自利利他円満

2019年03月15日 | ブログ

静かに己れを悲しむこころより 真実の力は生る

武内了温

http://www.otani.ac.jp/yomu_page/kotoba/nab3mq000000azka.html

 

師の故郷たつの市を訪ねた。

住職を務めた松林寺には後継がなく、廃寺となった今は記念碑が建つのみ。

しかしながら50回忌を過ぎた今でも、師の精神が生きていました。

1泊2日の1日目。

たつの市民主化推進協議会(民推協)の会長から地域の差別の実態と「人権交流」について。

市の担当者から「差別解消推進条例」の成立の経緯について。

そして市教育委員会の担当者から「人権教育と啓発の取り組み」についてそれぞれお話しを伺いました。

とくに民推協の会長が提起された「宗教的差別」という課題に、私自身の姿勢が問われました。

フィールドワークでは地域の河川や墓地を回った。

地域住民が訴えた治水事業は一部の地域のための要求でなく、他の地域、流域全体の利益を目指したものだった。

たつのの人権施策は「自利利他」の精神が基盤にあると強調されたのが印象的だった。

取り組みは特定の地域のためだけでなく、すべての人々のために行われている、と。

それは武内了温師の精神に通じるものだ、と聞かせていただき、松林寺跡、そして武内了温の墓地に足を運んだ。

 

翌日は、市内の皮革工場を見学。

たつのといえば、素麺!そして醤油!なのだそうですが、皮革産業は地域一帯で日本一だとか。

素麺・醤油・皮、これらの生産すべてに共通するもの・・・

「塩」だそうだ。

皮をなめすには塩が要ると。

周辺は自然条件が製塩に適していて、良質の塩が流通していたのだ。

皮が革となっていく工程を見学させていただいた。

http://www.japan-leather-pride.com

最盛期には140社を数えたという工場群。今でも70社が分業体制で環境に配慮して革がつくられていました。

工場の見学後、地区のお寺を訪問させていただきました。

ご住職のお人柄、そして地域の方々のあたたかさにふれて、前日に聞いた「人権交流」の意識の高さを感じました。

偏見に晒されてきた歴史を経て、閉ざすのではなく、積極的な「交流」によって差別を克服していくのだという姿勢。

交流を閉ざしているのは誰なのか、前日に指摘されたとおり「宗教者の意識の低さ」を宿題に持ち帰ってきたのでした。

「静かに己れを悲しむこころ」なくして、真実の力は生まれない・・・


 

 

コメント

予習と復習

2019年03月01日 | ブログ

さてお彼岸の支度です。

彼岸の中日に彼岸会をお勤めします。

今年も東本願寺同朋会館教導の荒山信さんにご法話をいただきます。

昨年の彼岸会の法話のメモを読み返してみました。

理想の娑婆であれば彼岸は要らない

現実が苦だから彼岸が求められる

思いどおりにならない現実(身)だからこそ、彼岸(浄土)の教えが開かれている

走り書きがありました。

「どうして彼岸を勤めるのか」と、聴衆の私の顔に書いてあったのだろうか。

「彼岸って何なんだ」「どうして教えを聞かなくてはならないのか」

そんな娑婆の問いかけに丁寧にお話しいただいておりました。

 

そして親鸞聖人が教行信証(信巻)に引用された

蟪蛄春秋を知らず

伊虫あに朱陽の節を知らんや

曇鸞『浄土論註』

を板書されておられます。

「蟪蛄」は「けいこ」、蝉のこと。「伊虫」は「いちゅう」、「この虫」。「朱陽(しゅよう)の節」は夏。

つまり、蝉は春秋を知らない。だからこの虫は夏ということも知らない、と。

そこでです。

娑婆の知恵だけでは娑婆のことはわからない

のだ。だから

浄土の声を聞かないと娑婆は生きられない

と私の走り書きは結ばれています。

さて、それでもこの私がどうして教えを聞かなくてはならないのか、と。

繰り返し巻き返し聞くのみです。

3月の掲示板には、昨年のご法話をふまえて

彼岸の声を聞かないと此岸は生きられない

と記しました。

「どうして教えを聞くのか」という問いは、すなわち「何のために私は人間に生まれたのか」という問いでしょう。

ともに彼岸の声「に」私「を」聞いてまいりたいと思います。

コメント