遊煩悩林

住職のつぶやき

幻想と現実

2013年11月21日 | ブログ

来春に厳修予定の三重教区・桑名別院 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の御遠忌事業として、劇団大阪による「臨界幻想」の公演が行われます。

日 時 2013年12月1日(日)
    14:00開演 16:30終了

場 所 東員町総合文化センター ひばりホール
    員弁郡東員町山田1700 ?0594-86-2816

協力費 お1人 1,000円

http://www.betsuin-987.com/rinkaigensou.html

<style>@font-face {   font-family: "MS 明朝"; }@font-face {   font-family: "Century"; }@font-face {   font-family: "@MS 明朝"; }@font-face {   font-family: "小塚ゴシック Pr6N M"; }@font-face {   font-family: "@小塚ゴシック Pr6N M"; }p.MsoNormal, li.MsoNormal, div.MsoNormal { margin: 0mm 0mm 0.0001pt; text-align: justify; font-size: 12pt; font-family: "Times New Roman"; }div.Section1 { page: Section1; </style>

伊勢からは大型バスで観劇ツアーを計画しています。
まだ若干、席に余裕がありますので興味のある方はご連絡ください。
当日券も用意されているようですので、直接ひばりホールにお越しいただいても構いません。
観劇代はお一人でも多くの人に「この問題」について関心を持っていただきたいという願いから、通常数千円のチケット販売ではなく「協力金」というかたちで1,000円です。
協力金は
未来の福島こども基金 http://fukushimachildrensfund.org/index.html
福島の子どもたちを三重へプロジェクト http://booses.net/project.html
に寄付されることになっています。
是非多くの方と問題を共有したいと思います。
そしてなぜ「この問題」が親鸞さまの御遠忌事業として行われているのかということを考えてみたいと思います。

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返事がない!

2013年11月08日 | ブログ

報恩講の季節。
「報恩」、つまり恩に報いるにはまずその恩を知らなければなりません。
恩を知らずにそれに報いることはできないはずです。
ですが、報恩講にお参りするというのは不思議なご縁だとも思います。
恩とも知らない者が報恩講にお参りするということもありましょう。
ご恩を知らないものが、恩に報いる集い(講)に加わり、ご恩を知らされる。また、大切なご恩をいただいていたことに気づかずにいたことを知るということもあります。
恩に報いるというのは、知らずにいた恩に気づかされることっといってもいいのかもしれません。
さて、今月の真宗カレンダーには

忘れても 慈悲に照らされ ナムアミダブツ

という言葉が記されています。http://www.shin.gr.jp/
人間に生まれて南無阿弥陀仏という仏さまに出遇ったことをよろこばれて生きられた浅原才市さんの歌です。
毎年ご命日をいただいておりますから、毎年、報恩講がお勤まりになります。
毎年気づかされるのは、報恩講の時期が巡ってきてようやく日々「恩知らず」に生きていたということです。
私が恩知らずだろうが、恩着せがましかろうが、ナンマンダブツの慈悲は休まずに照らしておってくださった。
コチラが忘れていても、アチラが忘れない。そんな信憑的なよろこび。
さて、その法語カレンダーの言葉を味わう「月々のことば(本願寺出版社)」の今月の法話に

才市さんは、いま現にこの身に届いてはたらきつつあるもの、わが身を揺り動かし目覚めしめつつあるものを、南無阿弥陀仏といただいたのです。それは私からのアプローチではなく、徹底して仏さまの側からのはたらきかけです。

という表現がありました。
南無阿弥陀仏のご恩をいただいた。仏さまの側からいただいた。けっしてコチラ側が仏さまに向かって南無阿弥陀仏するのではない。どこまでいっても受けとるばかりということでしょう。その受けとり方がナムアミダブツです。
常照寺の報恩講は年が明けてからではありますが、今月の常照寺の掲示板には

おねんぶつは
私からのアプローチではない
仏さまからのアプローチ

と書かせていただきました。
浄土真宗は他力本願です。
コチラ側からの長生きできますように、健康になりますようにというアプローチではありません。長生きも健康も自力で頑張れるだけ頑張ったらいいのです。しかし自力には必ず限界があります。コチラからのアプローチは無効なのです。
短命だろうが長命だろうが、健康だろうが不健康だろうがこの世に生まれた「生」。私たちは、それをどのような態度で受けとめていくのでしょうか。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
忘れて暮らす わたくしに
南無阿弥陀仏が さきにでて
思い出すのは いつでもあとよ
わたしゃつまらん あとばかり
わしのこころが さきならだめよ
おやのお慈悲が さきにある
おやのお慈悲は さきばかり
わしの返事は あとばかり
ご恩うれしや 南無阿弥陀仏

いただいたご恩に対する態度表明として、才市さんはお念仏を「返事」と表現されておられます。なかなかお返事ができない私です。
11月21日から28日までお勤まりになる真宗本廟(東本願寺)の報恩講にお参りして来ようと思います。http://www.higashihonganji.or.jp/

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