遊煩悩林

住職のつぶやき

知らないことは悲しいこと

2014年10月26日 | ブログ

過日開かれた組の門徒会研修。
「浄土真宗と憲法」について講師からさまざまな問題が提起されました。
そのなかで耳慣れないことばがありました。それは「戦没者院号法名」ということばです。
東本願寺は、従軍戦死者に対して無償授与した院号法名を「戦没者院号法名」と称し、1894(明治27)年の日清戦争を契機として、以後1995(平成7)年7月1日付けで廃止するまで約100年間取り扱ってきたといいます。
私が住職になったのが平成10年でしたが、その3年前までこの「戦没者院号法名」が取り扱われてきたことをはじめて知りました。
しかもそれを知らされることになったのは、戦没者遺族であるご門徒が13年前に東本願寺に対して行った「申し入れ」によります。
申し入れは

私の父は、1940年日中戦争によって戦死しました。その時、東本願寺より院号法名を無償下付されました。そのことは、戦死を讃美された事と私は受け止めています。私も一教団人として考えますとき、院号法名無償下付は教団の戦争協力と思われます。よって遅れ馳せながら院号法名をお返し致したいと思います。

というもので、この申し入れを受けて、その翌年に宗派に返還されました。
このご門徒の、この申し入れがなければ、もしかすると私は同じ教団に所属する僧侶でありながら、このことを知らずにいたかもしれません。現に住職になって16年目にしてはじめて知ったのです。
それは私の勉強不足なだけかもしれませんが、僧侶として知っておかなければならないことをはじめて知ったような、恥じらいを感じました。
「院号法名」は明治以降、教団の功績者に授与されてきたのですが、戦没者院号法名の問題点について教学研究所の見解のひとつに「戦死を宗門への貢献であると意味づけたこと」が挙げられています。

さて、この秋の彼岸にわが家の墓地を改修したのですが、そこには1937(昭和12)年10月に中国で戦死した、祖父の弟の院号法名が刻まれています。ということは、戦没者院号法名の扱いが明治から平成まで続いていたのですから、当然"そういった"意味合いを持つと考えられるのです。
教団が果たした戦争協力をいま批判するのは簡単ですが、そのことと同時にここに刻まれているその「仏弟子の名のり」たる法名の意味を深く尋ねて、自己批判とともに家族に伝えなければなりません。

コメント

悲しみに遇う

2014年10月08日 | ブログ

 

Img_0202a_2

親なればこそ 死してなお 子を育てる

不思議なもので母の25回忌、父の17回忌、おばあちゃんの13回忌がいっぺんに巡ってきた今年。
8月13日に父親の17回目の命日の勤行をご門徒の方とお勤めした時に、「俺の死んだ甲斐のあるような生き方をしてるか」と、父に問われたような気がしました。
「死に甲斐」というのは、その後の遺された者の歩み方、生き方の問題なのだろうと思います。http://blog.goo.ne.jp/ryoten-jyosyoji/d/20140728
祖父は、今から60年以上も前、当時住職を務めていた岐阜県の白川村から父を得度に引率した京都で病に倒れました。その数年後にお寺と村がダムに水没し、その祖父の願いを背負っての父の人生だったと思うとき、祖父母や父母が受けとめた願い、そして受けとめきれなかった思いを確かめたく、この諸法縁をいただいて、とかく忙しい日常の中に埋もれてさせてしまっている願い、人間として生まれて本当に大切なことは何だろうか、と親鸞聖人の御影の前に詣でることを機縁に確かめさせていただきたいと、親戚の皆さまにご案内させていただいて、祖母の分骨を京都の東本願寺に収めてきました。叔父・叔母・従姉妹とその子どもたち・・・全国に散らばった親戚ら約50名が本山に一同に会しました。
4日の正午、東は東京、西は広島から京都の東本願寺に48名の親戚が大集合。表小書院での「おとき(食事)」、引き続いて視聴覚ホールで法話を聴聞し、お骨を収める御影堂の後堂を見学して後、堂内で読経・焼香。お参りの後、御影堂をバックに記念写真をパチり。
本山をバスで後にして、親戚が手配してくださったエクシブ琵琶湖で50人の大宴会。
後にも先にもこれだけみんなが寄ることはもうないんじゃないかと思うと涙がこぼれそうでした。
宴席でも申し上げたのですが、やはり私たちは必ずいつかお別れしていかなければなりません。だからこそこの出遇いが尊いのだと改めて感じました。同時に、祖父が住職を務めた白川村の寺が水没しなければ、父が名古屋に出て母に出遇うこともなかった。また、父が病いに倒れることがなければ私もまたこの伊勢の地に帰ってくることもなかったことを思う時に、父との別れがなければ妻に出遇うことも、子どもたちに出遇うことも、そしてこうやってみんなで京都にお参りすることもなかった。
人はやはりいつも悲しみを背負って生きているんだと強く実感しました。悲しみとなって育てられているんだと。同時にその悲しみから目をそらせて生きていることも自覚させられました。悲しみを直視して、それを自らが引き受けられる人間に育っていきたいと思います。
さて、翌5日は台風が接近してくるということで、彦根城の見学を中止し、長浜へ。黒壁スクエアでバスを降り、長浜別院にお参りさせていただきました。
名神高速から名古屋駅で一部の親戚を見送り、伊勢への帰着。
祖母のお骨を分けてあったお陰で、血縁のあるみんなと貴重な時間を過ごすことができたのですが、近年、ヒューマニズムからかご面倒からか経済的な状況からか、骨を分けることに躊躇される声を耳にすることがあります。確かに、分骨すると面倒はともかく手間もお金もかかります。忙しい間をぬって収めに行かなくてはなりません。
でもそこに亡き方が私たちをお育てくださる姿に出遇える事柄があるのだと思います。
ご門徒の皆さまにおかれては、どなたでも本山に収骨することができますので、お気軽に問い合わせていただければと思います。
http://www.higashihonganji.or.jp/worship/receipt/honzan/

コメント