遊煩悩林

住職のつぶやき

お受けとり

2016年06月09日 | ブログ

いつまでもお念仏の”み教え”をお伝えするために

「永代経は」次の世代にお念仏を手わたす法要です。

それは、今この私にお念仏が届いたのは、それを伝えようとした方々がいたということです。

その願いを受け取りに。

常照寺の永代経のご案内に、こう記しました。

「お伝えするために」「次の世代に手わたす」という目的を設定してしまうと、ちょっと違うかなとも思いますが、要は、伝えようとされた方々のご苦労に思いをいたすと同時に、私がそのお伝えを確かに受け取っているのかを確かめたいということです。

次の世代に、誰かに、「伝える」ということが具体的課題になったとき、自ずと自分が、誰から、何を受けとってきたのかが問われてきます。

 

さて、昨年に続いて名古屋市恵林寺の荒山 優さんがお話に来てくださいます。

今春、名古屋の東別院で厳修された親鸞さまのご遠忌法要を催した演劇「親鸞・恵信尼 結婚披露宴 -750年の時を超えて-」で、親鸞さま役を見事に演じられた若き僧侶です。

お東ネット 東別院 http://www.ohigashi.net/app/webroot/files/detail/files/goenki_0429_01.pdf

優さんに届いたお念仏のみ教えを、優しく私たちにお伝えいただきます。

み教えを受けとりに。ご参詣をお待ちしています。

 

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平等=自然

2016年06月06日 | ブログ

 

映画「水と風と生きものと」の上映会が伊勢であります。

http://tsumugu.brh.co.jp

「中村桂子が旅をします」とありますが、いわゆる「旅レポ」ではなく、いやある意味、ひらたく言えば「旅レポ」と言ってもいいのか?とにかく「旅」といってもテーマは「生命」。生命の旅。

「生命誌【Biohistory】」の提唱者で、JT生命誌研究館http://www.brh.co.jpの館長である科学者の中村桂子さんが「生命誌を紡ぐ」がサブタイトルに謳われています。

「生きものに優劣はない。人間だけが格差社会をつくってしまった」(神戸新聞2015.12.18)と語っている中村さんの言葉に、先日訪ねた奈良の西光寺の清原住職の言葉が重なりました。

「平等が自然の法則なんです」

そして中村さんの「人間は生きものであり自然の一部」とのメッセージに、深く共感します。

人間は自然の一部なのか。それとも。

私は「自然の一部である」と果たして言えるような生き方、生活になっているだろうか。

考えてみたいと思います。

 

会 場:伊勢市ハートプラザみその 多目的ホール 伊勢市御薗町長屋2767

上映日:2016年6月11日(土)

① 開場:  9:30 10:00~ 障害のある方&同伴者対象(50席)(電話かメールにて要事前申込)

② 開場:13:00 13:30~ 一般(200席)

ミニトーク「生命誌研究館ってどんなところ?」村田英克(JT生命誌研究館)①上映前、②上映後

料 金:①500円 ②1,000円(当日1,500円)* 高校生以下は無料

主 催:「水と風と生きものと」を上映する会

後 援:伊勢市 伊勢市教育委員会

協 力:伊勢進富座 にんげんクラブ伊勢 恩送り三重の会

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熱と光を求めて

2016年06月03日 | ブログ

「御開山に申し訳なかったというような気持ちはないんですか」

かつて本願寺を糾弾された米田富さん。

いや今でもそう私たちに問いかけてくださっている米田さんの手帳や名刺が、ユネスコの記憶遺産に登録されたという。

時事ドットコム http://www.jiji.com/jc/article?k=2016052500815&g=prk

 

登録されたのは米田さんの手帳と名刺のほか、「第3回全国水平社大会協議会提出議案」「衡平社趣意書」「猪原久重名刺」の5点。

いずれも奈良県の水平社博物館が所蔵の史料です。

この5点が『水平社と衡平社 国境を越えた非差別民衆連帯の記憶』として、アジア太平洋地域ユネスコ記憶遺産として登録されました。

 

6月2日、三重教区の「差別と人間を考える協議会」の外地研修にて、水平社発祥の地といわれる奈良の西光寺を訪ね、水平社博物館を見学させていただいてきました。

水平社博物館 http://www1.mahoroba.ne.jp/~suihei/index.html

ご住職や博物館のガイドさんのお話をうかがって、「日本で最初の人権宣言」ともいわれる「水平社宣言」が生まれた背景について、今まで気づくことができなかったことを学びました。

それは被差別民衆が、差別してきた側であったはずの対岸の支持を得て水平社が成立していったということです。

それは「宣言」が、被差別民衆の非差別民衆による被差別民衆のための宣言ではないということでもあります。

今回の研修では、その対岸の支持者について具体的に「三浦大我」という人物の名を聞かせていただきました。

西光寺の対岸に位置する誓願寺の住職で、筆名を「参玄洞」といい、「中外日報」の記者でもあった三浦は水平社運動を全面的に支持したといいます。

水平社創立趣意書『よき日の為めに』は、この参玄洞の協力がなければ刷り上がることはなかったと。

水平社宣言が被差別民衆のための宣言でなかったというのはこのことです。

マイノリティの問題はそのままマジョリティの問題だと。

救われなければならないのはいったい誰なのか。

「御開山に申し訳なかったというような気持ちはないんですか」

改めて問われました。

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ここはどこ わたしはだれ

2016年06月01日 | ブログ

われわれは命を落とした10万人を超える日本の男女、子供、何千人もの朝鮮半島出身者、十数人の米国人捕虜を悼む。
その魂が私たちに話しかけてくる。彼らはわれわれに対し、もっと内なる心に目をむけ、自分の今の姿とこれからなるであろう姿を見るように訴える。

伊勢志摩でのサミットを終えたオバマ大統領が、広島の平和記念公園で行ったスピーチの冒頭のことばです。

爆死された方々の声なき声に耳をすませ「内なる心に目を向け、自分の今の姿とこれからなるであろう姿を見るよう」にとの要請と受けとめた感覚。

私もまた同じ場所に立ってそれらの声に耳をすませたいと思いました。

自分には果たしてどんな声が聞こえてくるのか。

 

「自分の今の姿」「これからなるであろう姿」とは、「われわれはだれか」そして「どこにいくのか」という問いに通じます。

先月、お寺の掲示板に

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

というゴーギャンの、また全人類の問いを記しました。

まさにこの問いを問い続けなければならないことを思いました。人間の仕事はこの問いに対して答えを出すことではなく問い続けることだと感じました。

 

またオバマ大統領の「内なる心に目を向け」は、「自己を問う」ことに他ならない。

深く自己を問い、われわれはだれなのか、どこへ行くのか問う中で、ここがどこなのか私は誰なのかがはっきりしてくるのかもしれない。

ただし、イマ、ココ、ワタシは、いつに対しての今で、どこに対してのここで、誰にとっての私なのかということがはっきりしないと問えないように思います。

 

今が何時なのか、ここがどこなのか、私は誰なのか

さて今月18日に公開講座が開かれます。

講師のメッセージに「ここはどこか、われわれはだれか」とサブテーマがあがっています。

そのまま今月の掲示板に記させていただきました。

 

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