遊煩悩林

住職のつぶやき

うしろの正面

2010年04月27日 | ブログ

京都の東本願寺の真向かいに「正面通」という道があります。当初、私は東本願寺から飛地境内の渉成園までのこの道を、東本願寺の正面を意味する「正面通」だとばかり思っていました。だけど、東本願寺の西に位置する西本願寺の真正面にも同じ正面通があることを知って、なるほど東西本願寺の正面通か!なんて思っていました・・・・・
意外なところからその謎が解けました。
韓国併合から100年にあって目にするさまざまな書籍の中のひとつに、豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592-1598)の記載がありました。
秀吉は出兵する大名に、兵士だけでなく一般の老若男女すべてをなで切りにすることを指示し、大名らはその証拠として鼻を削ぎ、塩漬けにして持ち帰ったといいます。その鼻を埋めた場所が「耳塚(1597築造)」として今でも京都に遺されています。実際は鼻だけでなく耳もあったといいます。「鼻塚」でなく「耳塚」と呼ばれているのは、鼻削ぎという野蛮性を和らげるため?だともいわれているそうです。
この「耳塚」について探っているうちに「正面通」が出てきました。
耳塚が築かれたのは、当時、秀吉が奈良の大仏に倣って建立した方広寺(1586着工-1595完成)の門前でした。
「正面通」の由来は、この方広寺の大仏殿の正面を意味しているそうです。
♪かぁごめ かごめ♪の「うしろの正面」もここに由来するとか・・・。
方広寺の大仏建立と同時期、織田信長との石山合戦(1570-1580)にて大坂を追われた本願寺に対して、秀吉は京都に土地を与えて本願寺が建立(1591)されます。それが今の西本願寺であり、方広寺の真西に位置します。正面通は東本願寺ができるまでの10年ほどの間、方広寺から鴨川の正面橋(志ようめんばし)を渡って本願寺まで続いていたわけです。
秀吉の死後、遺体が埋葬された方広寺の東の阿弥陀ヶ峰に豊国廟が建てられ、その麓の方広寺との間に豊国神社(1599)が建立されました。
豊国大明神という神号を与えられ、阿弥陀ヶ峰の豊国廟、豊国神社、そして秀吉の子「鶴松」を祀った祥雲寺、方広寺大仏殿、そして本願寺が同一線上に配置された秀吉の遺恨とその影響を嫌い、恐れたのが家康でした。
家康はその神号とともに豊国廟・豊国神社を廃し、その参道をふさぐ位置に新日吉神社を建てて移祀しただけでなく、祥雲寺は智積院に、方広寺は妙法院に与えてバラバラにします。さらに、秀吉によって退隠させられた本願寺第十二代の教如上人に、豊国神社・方広寺と本願寺を結ぶ正面通を遮断する烏丸六条に土地を寄進して東本願寺(1602)を建て、それによって本願寺の勢力も二分されることにもなりました。
家康の没後、家光によって東本願寺の東に寄進された場所が今の渉成園です。正面通を分断するという同じ理由で、家光が土地を寄進したのかどうかはわかりませんが、もしそうだとしたらやはり、江戸時代にあっても秀吉を称賛しようとする民衆の声があったということでしょう。
秀吉の死は伏せられ、通夜も葬儀もないまま埋葬されたといいます。つまり今でいう「直葬」だったそうです。
ただ、平安京で七条坊門小路といわれていたこの道が「正面通」と呼ばれるようになったのは、♪かごめ かごめ♪が流行した江戸時代中期以降であることを思えば、家康によって徹底的に封じ込められたはずの秀吉の威信が水面下で脈々と流れ続け、江戸時代に廃せられた豊国廟、豊国神社が明治天皇によって再興され、「再び耳塚を築く日も近い」と与謝野鉄幹が詠んだとおり1910年、日本は「韓国併合」を実現させるに至ったのです。
隣国の名もなき一般市民の削がれた鼻の遺跡の存在が、今の「私」に決して無関係でなく、忘れてはならない歴史を教えているのでした。

♪かごめ かごめ♪の「うしろの正面」の文言が登場するのは明治以降といわれ、その関わりは諸説ありますが、正面通の謎を知り、その路をじっくり歩いてみたいと思いました。

*リンクはすべてウィキペディアです

コメント

恩知らず

2010年04月26日 | ブログ

「30代、40代、50代に日本を憂えている人がどれだけいるんだい」という「たちあがれ日本」の応援団長のことばに応えるがごとく、50代の幹部が顔をそろえて結成された「日本創新党」は「松下政経塾新党」ともいわれるそうです。
いずれも新聞報道によれば「時代遅れの保守(中日新聞4月22日)」ともいわれ、「旧世代のタカ派旧党(同)」は「日本復活」を掲げて自主憲法の制定を目指し、「新たな日本を創り上げる」という「若い世代のタカ派新党(同)」は、「自由で力強い『よい国』日本」のために「現実主義の外交・防衛」という指針を掲げています。
もとより民主党自体が改憲を掲げる政党です。
どこを切っても改憲論の政治に対して、世代を超えた市民の「九条の会」の存在は非常に重要だと思います。
憲法九条を通して見出される「世界」と「日本」、そして「私」。
沖縄併合から130年・・・普天間基地の移設問題。
韓国併合から100年・・・歴史認識と教科書問題。外国人参政権をめぐる議論。
靖国神社にかわる戦没者追悼施設建設の賛否・・・。
どれもこれも、この「私」がどんな歴史の中で、何を願って生きているのかが問われる課題です。
それらについて知ることを放棄し、問題を排除し、無関係を装う「私」も同時に知らされます。
「復活」とか「創新」とか、要するに「過去」の栄光に浸って「今」を否定するのか、輝く「未来」を想定して「今」を否定するのかだけの違いにしかみえません。
そんな論術に乗っかって現実を否定するのは簡単なことですが、見るべきは「今」ということでしょう。「今」私たちにもたらされている事柄を「恩」というならば、きちっとそれを確かめ、恩に報いる行いが求められてきます。「今」を見ずに、現実を否定ばかりしていることを「恩知らず」というのでしょう。
まさに恩知らずな私です。

さて「真宗大谷派・九条の会」の具体的な実践的活動として、市議会に

①憲法九条を堅持することを求める意見書提出
②憲法九条の理念に適った「非戦平和の実現を求める」宣言の決議
③並びに非戦平和主義を広めることの決議

の請願を提出することになりました。
これは、「国民投票法」が5月18日に施行されるのにともない、いよいよ改憲の危機が眼前に迫ってきたことをふまえて、東西本願寺に集う念仏者が共同で同会賛同人のそれぞれ地元の市町村議会に提出しようとするものです。
すでにいくつかの自治体に請願が出され、採択された自治体もあります。
今回の陳情が思うとおりの成果を挙げられるかどうかはわかりませんが、何もできないなりにできることだけはやっていきたいと思います。
すでに賛同人になってくださっているご門徒におかれてはよろしくご了解くださいますとともに、同会では新たな賛同人を募集しています。

真宗大谷派・九条の会:鶴見俊介氏記念講演要旨 http://9jo-amita.net/

コメント

寺をゴミ捨て場に

2010年04月15日 | ブログ

伊勢市では、家庭ゴミは「戸別収集」というかたちで回収されています。「戸別」ですから、家庭から出たゴミを指定のごみ袋に入れて、玄関先に出しておけば収集車が回収してくれているわけです。
?この秋から、指定された集積所にゴミを持っていく「集積所収集」になる、とその賛否が寺でも話題になっています。
先日、町区長さんが訪ねてきました。?お寺さんの門塀の前に集積ボックスを置かせてもらえないか?ということでした。?応対した妻から話を聞いて、いくら断るのが苦手な私でもこれはお断りせねばと・・・。
市の広報によれば「景観などに配慮し、路上にある資源ステーションを集約し、数を減らします」となっていますが、「資源ステーション」と「集積所」 の理念は全く別のところにあるのでしょうか。
?常照寺の門前は、行事があれば看板が立ち、告別式があれば立花も並びます。?神宮の遷宮行事では寺の門前を行列と観光客、見物客が通り過ぎます。?そんな「人目に触れる」寺の門前をゴミ捨て場にするというのでしょうか。
と、すぐに区長宅を訪ねました。
?以前から市の担当者からその提案を受けていたという町区長は、無理を承知でこれまでお寺に話を持っては来なかったそうです。しかし担当者がワザワザ山門の塀の写真まで撮って、ここでダメならダメという返答をもらって下さいということで寺を訪ねて来られたということでした。
?町区の集積所は区域の公園だけで、お寺周辺の住民は徒歩5分ほどの公園までごみを出しに行くことになるようです。?ただその条件では、戸別収集を廃止する条件である「すべての地域で、住民の利便性や負担を公平にする」というところに引っかかってくるのでしょう。だから区内にもう一ヶ 所、設置できないかということなのだと推察しました。
?それがまた選りにもよって寺の門前とは・・・
?担当者からすれば、誰しも自分の家の軒先がごみ捨て場所になることを望まないことを想定したうえで、寺に話をふったことは想像に難くありません。おそらく寺にかかわるご門徒の存在など気にかけたことはないのでしょう。?
ただでさえ区域の公共事業や遷宮行事では、公衆便所よろしく寺のトイレが使用され、使用についてはとにかく、使い方が非常にキタナイ!と、お掃除されるご門徒からの声があります。「使えないように鍵をつけよう」という声まであります。?そんな中での今回の話ですか ら「門前に集積所を」なんて、私もさすがに言えません。
かといって、私の家庭もお寺も当然ゴミを出すわけです。私たちもご近所の高齢者も集積所が遠いと不便です。
門前の話はきっぱり?お断りしましたが、ご近所のとくに高齢者の意見を聞きながら「寺の裏の駐車場の脇なら」という代替案は持っておこうかと思っています。?
やはり「頼まれると断れない」八方美人のお人好しの住職・・・といったところでしょうか。
?引き受けるのも断るのも簡単ですが、結局それによる「視線」を私は恐れているのでしょう。?
お寺の行事で賑わしかったり、路上の駐車や、駐輪などの迷惑はかけながら、地域の役にはたたない・・・という視線もあると思います。
しかし逆に「この寺の住職は門前をごみ捨て場所にしているのか」という視線は、そのまま「この寺の檀家は自分の寺の門前をごみ捨て場所にしている」 という視線ですし、それは「この町の住民は寺の門前にごみを捨てにくるのか」「この自治体は寺をごみ捨て場にしているのか」という視線といっても言い過ぎではないような気がします。?
しかしその「視線」は、私が勝手に気にしているだけのことで、問題の本質ではありません。?ゴミ捨て場所の話が自治体から来るという社会的なポジションに寺が位置づけられているということを実感させられるのです。「寺をゴミ捨て場にしよう」と いう発想が生じてくることに悲しさがあるわけです。?
それはこの寺が、それ以外の存在意義を市や社会にアピールできていないという証拠だとすれば、発想を転換して・・・門前の見た目はとにかく、責任を持って寺が集積所をかって出て、批判を全身で受けとめつつ、週2回ゴミ出しに来た方と集積所を清潔にするコミュニティを形成し、門前や境内の清掃に加わっていただくとともに聞法会を開催することをとおして寺の存在意義を果たしていく・・・なんて、その「気」が 問われます。?
♪♪その気もないのに無理すんなー♪♪というメロディが響いてきました。

コメント

はまぐり正信偈

2010年04月14日 | ブログ

4月4日に桑名別院で行われた「花まつり」に妻と子どもたちが参加させてもらいました。
当日の様子を聞くと、下の娘は本山のこども御遠忌キャラクター「鸞恩くん」「あかほんくん」「蓮ちゃん」の3体と大阪教区のキャラクター「ブットンくん」を気に入って、着ぐるみの周囲からずっと離れなかった・・・そうです。

常照寺のサイトhttp://web.me.com/jyosyoji/とリンクしている大阪教区御遠忌サイトに花まつりの記事と写真がアップされていました。

「三重教区にブットンくん参上!」http://www.osaka-goenki.net/

よくよく見れば、桑名別院の満開の桜の下で撮影されたキャラクターたちの記念写真に娘の姿が!

さて、別院の花まつりでは白像パレードや灌仏の他、今回は「はまぐり正信偈」というアトラクションが用意されていました。
?桑名名物の「蛤」 の 貝殻に正信偈の文字を一文字ずつ記入するというもので、来年の本山御遠忌に展示されます。?
当日参加した子どもたちや保護者らが、一人一文字を色とりどりの絵の具で書いたそうです。?
正信偈は7言120句ですから、全部で840文字。
花まつりの参加者らだけでは足りないということで、後日1文字書かせてもらってきました。?
完成までには840人の手が要ります。?
それだけでなく、?割れたり欠けたりする貝殻もありますから、1000個以上もの蛤を用意し、苛性ソーダで煮沸し、カネタワシでぬめりをとり、乾かして、表面を磨いて、文字を書けるようにする・・・ここまでの準備と作業に頭が下がります。

20100408_154036_2

コメント

先見の眼

2010年04月13日 | ブログ

むずかしいことを やさしく
やさしいことを ふかく
ふかいことを おもしろく

9日、75歳で亡くなった井上ひさし氏が遺したことばです。

「かんたんなことをややこしくしている」自分を知らされます。

9条の会にも尽力されました。

日本はもう一度、国際的孤児になりつつある

とは、戦時体験に裏付けられた先見の眼です。
尊い眼のひとつを国は亡くしたわけですが、その眼力から発せられたことばを肝に銘じたいと思います。

九条の会 http://www.9-jo.jp/
真宗大谷派・九条の会 http://9jo-amita.net/

合掌

コメント