遊煩悩林

住職のつぶやき

逃げられない

2011年12月31日 | ブログ

今年やり残したこと・・・、来年に持ち越したこと・・・、来年やること・・・と考え中、桑名別院の御正当報恩講にお参りさせていただいたご報告がまだだったと。
23日の御満座法要に南勢一組からバス3台で団体参拝させていただきました。
団体参拝記念に結願日中法要の巡讃を指名されたのは光栄でもあり、迷惑でもあり・・・あまりの緊張と足のしびれに耐えきれず衣の裾を踏んづけて破ったり。
とにかく至らぬ引率ではございましたが、ご多用のところご参加いただきました皆さま有り難うございました。
さて当日、満堂の本堂で皆さまとともに聞かせていただいた池田勇諦氏のお話から・・・今年最後の忘備録を。

世間では、都合の悪いことや困ったことを災難というが、仏教ではそれを「宿業」という、と。
「運命」という言葉がありますが、老病死をはじめとする都合の悪いことを「運命」といって受けとめる思考は「あきらめて座り込む」ということに他ならないのではないか。
「宿業」というのは、それらの困ったことを「引き受けて立ち上がっていく」ということだ、とそのようなご了解を聞かせていただきました。
また「死」について往生浄土とか極楽往生と仏教では言いますが、それは決してどこか遠いあの世へ逝くのではなく「ここにとどまって本願のお手伝いをさせていただく」という、ある方のご述懐を紹介しておられました。肉体は滅びていくのだけれども、今、ここで、本願の手伝いをするのだ、と。「本願のお手伝い」というのは、遺された者が「光」、つまり「ほんとうに尊いこと」に出遇っていくはたらきとして生き続けるということでしょう。具体的には、遺された者が「仏さま=光=本当に尊いこと=本願」に手が合わさる人間に育つというお仕事に就かれるということでしょう。
「仏法を聞いたら根性が悪くなる」ということばも強烈でした。
仏教を聞くとちょっとくらい「マシな人間」に、「いい人」になるようなイメージが世間にはあるかもしれませんが、実はそんなことはない、と。
仏教を学ぶというのは、私の老病死を知るということ、つまり自分に都合の悪い事柄を引き受けることを学ぶのですから、そこから逃げようとする人、要するに若く、健康で生きつづけようとする人にとっては「老病死から逃げられない」という道理は大迷惑なんでしょう。
生きるということは老いること、生きるというのは病むこと、生きるというのは死ぬこと、それをそのまま「私のことでございました」と手を合わせて引き受けなさいというのが仏教だとすれば、自分に都合の悪いこと、思い通りにならないことを「引き受けなはれ」というのはやはり娑婆では根性が悪い。
何でも思いどおりにしたいという私にとって、「思いどおりにならんわね」という仏法はどうも根性が悪いとしか受けとれない、そういう世間にいるということです。
そして南無阿弥陀仏を「逃げてはならん」という仏の喚び声として聞かれた方のエピソード。
ある輪番が、念仏のこころについての了解を記すように頼まれて「逃げてはならん」と帳面に書いた。何年かのちに、また違う輪番がその帳面にご了解を記すように乞われて書したというのが「逃げることばかり」。
「逃げてはならん」というご本尊をいただくことによって、そこから我が身を問うたとき「逃げることばかり」の私であったと呼応された方がいらっしゃったと。
ここでは充分その意を尽くせませんが、つまり「如来」と「私」というものの関係性を明示しておってくださるエピソードとして聞かせていただきました。
「如来と私」それはつまり「宗教と人間」といってもいいのでしょう。「救主」つまり必ず救うと誓ってくださった如来が「逃げるな」と、「必ず助けてやるから逃げるな」と言ってくれているにも関わらず、私の方はというと・・・。言われれば言われるほど「逃げることばかり・・・」。何かと理由をつけては逃げ・・・、また「必ず助ける」といういう誓いを疑い・・・。
「ほんとうのこと」つまり道理から逃げてばかりいる私をズバリ言い当ててくださるのが「逃げるな」という本尊であるのです。
年末年始の寺社への参詣を思うとき、たとえ都合の悪いことであったとしても自然の理を引き受けなさいというホトケさまに、どうか都合の悪いことがないようにとお祈りするのは滑稽なんでしょう。「逃げるな」という仏さまに、「どうやったら逃げられますか」と聞いているのです。自然の理に反する。それでもそれでも逃げることしか浮かんでこない私の無明を照らす「光」。
改めて、逃げることばかりの一年でありました。まことの道理から逃げてばかりいる自分を知らされるということが尊いのでしょう。しかし、まことの道理に背いているということは、偽、そして嘘ばっかりってことです。
それでも「逃げるな」「逃げるな」と、飽きることなく追いかけ続けてくださる仏さま。そのおはたらきに対して「もう勘弁してください」とどこまでも背き続けようとする私・・・。
さて、新年の光に遇うということを想うとき、カウントダウンして新しい時を祝うというのは、何か過去を切り捨ててリセットしていくような感覚がどうしてもあります。
ではなく、ゴーンと鐘が鳴り響くなかでいつの間にか新たな年を迎える・・・つまり物事の終わりがそのまま次のはじまりにつながっていたという尊さを大事に、今年も鐘の響きを聞き、そして修正会をつとめたいと思います。どうか皆さま、温かい格好でお出かけください。
では本年のお付き合いに深謝して、明年もまたよろしくお願いします。

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上手に死ねるか

2011年12月30日 | ブログ

年末。あまりの二日酔いに、気忙しさを家に置いて、散歩がてら近所の映画館(進富座http://www.h5.dion.ne.jp/~shintomi/へ出かけました。タイトルは「エンディングノート」http://www.ending-note.com/
数日前に友人がfacebookで紹介してくれて、昨日たまたま聞いたラジオに監督の砂田麻美さんが出ていたこともあって、プッシュされている感があったのでした。
末期がんを告知された父親を実の娘が撮影したドキュメンタリーで、脚本や演出のないナマの日常から「生老病死」と「家族」についてリアルに問われました。
訳者の芝居の「生老病死」ではなく、実際の家族の「生老病死」が、決して暗いものではなく、忌んでいくような感覚からかけ離れたイメージで描かれています。
親は仏教徒だけど、リーズナブルなイメージでキリスト教を選んでいくというカジュアルさや、ハナレグミの歌う主題歌の「天国さん」というタイトルなど、これまでどこか禁忌的に扱われてきたような事柄をゆるく壊してくれている感もあります。しかもそれが作り物ではなく「実際」「現実」にというところがポイントです。
死の意味の転換とでもいうのでしょうか。私たちが知らぬ間に身につけてしまっている「死はよくないこと」といったイメージを、宗教的教義といった厳粛な視点ではなく、優しく身近なところから変換してくれるような感じを覚えました。
「死んだら無になる」的なニヒリズムを突破しようという提案というか試み・・・試みではなく実践。「死=無」という非生産的思考では生きられないよ、という宗教的メッセージを宗教色を薄めて表現しているような、です。
「生まれる」とか「生きる」ということばかりが尊ばれるような中で、「死の尊さ」と「その先に存在する光」を表現したかったと、主人公の実の娘である33歳の砂田麻美監督はインタビューで語っています。
その「光」について「1人の人生が終わっても、次の人にバトンが渡されて世界は続いていく。続いていくことは光だと伝えたかった」とも。http://sankei.jp.msn.com
その光こそ私は宗教性だと思うのですが、死について「時として気が狂いそうになるほど残酷なものだけれども、その先に存在する光みたいなものもある。言い換えれば、光を見つけ出さなければ、残された者たちが生きていくことは難しい」と、そういう意味では「宗教的提案」とも「宗教的実践」とも受けとれるのではないかと思います。
「宗教」というだけで怪しんでいくような日本人の体質を改善するような、つまり、お願いごとをしたら叶えてくれるような胡散臭いドラえもん的宗教観ではなく「ほんとうの宗教観」を提起しているようなイメージです。
「非日常」だと思っている病や死が、実は「日常」の事柄であったと知らされるのと同時に、日本人が戦後遠ざかってきた「ほんとうの宗教」が、実は「光」としていつも身に寄り添うていることを知らしめる作品として観ました。
「光」がなければ私たちは、生きていくことも、死んでいくこともできない。
がんを告知された主人公の「私は死ねるでしょうか?上手に死ねるでしょうか」という台本なき台詞が印象的です。
「上手に生きなくてもいい。上手に老いなくてもいい。上手に病まなくてもいい。上手に死ななくてもいい」というのが光でしょう。その光に照らされることで、死にいたるまで「上手くやろう」とする自分を教えられます。

「この映画を見た 100人のうち99人が自らの家族を思いだしてくれたとしても、『自分には家族がいないから分からなかった』という1人のことを考えられる作り手でありたい」という細やかな感性が込められた映画です。
告知を受けてからの半年という時間がつくっていくものは、家族にとってそれのない何十年よりも尊いのかもしれません。ただ、震災によって家族と生命について考えさせられた年の暮れ、じっくり死に向き合うこともできずに津波に流されていった無数のいのちに、生き残った私も常に臨終を生きていることを思います。

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生きる悲しみ

2011年12月19日 | ブログ

原発事故について12月16日に首相が「原子炉は冷温停止状態に達し、事故そのものが収束に至ったと確認された」と語る前日、東本願寺の視聴覚ホールで「原子力問題に関する公開研修会」が開催されhttp://higashihonganji.or.jp、インターネットで中継されました。
今回の研修では、福島第一原発から50kmに位置する福島県二本松市の眞行寺の佐々木道範さんから「被災地に生きる」という現地の報告を聞かせていただきました。
原発から50km離れている二本松市は避難対象区域に指定されていませんが、放射線量の高い環境のため、眞行寺が運営する同朋幼稚園の園児らは真夏でもフードつきのウィンドブレーカーを着てマスクをして通園したといいます。
内部被曝を避けるために屋外活動は全くできず、閉め切った屋内でしか遊べない子どもたちのストレス。どうして外で遊んではいけないのかも分からない子どもたちを、目に見えず、匂いもしない放射能から守っていくことの困難さに耐えきれない保護者の苦悩。
県外に避難した福島ナンバーの車には「福島に帰れ!」と落書きされ、ガソリンスタンドで給油をしてもらえないといった嫌がらせもあったという。
震災後、多くの学者や専門家という人がやってきて、様々な場所で「大丈夫ですよ、安全ですよ」と言ってまわった。次々に地元を離れる人々の中で、様々なしがらみによって地元を離れられない人々は、何とかそのことを信じたいという思いでいたといいます。
しかし、子どもたちの尿からセシウムが検出された。乳児の母親の母乳からも出た。佐々木さん自身、父親としてどんなことがあっても子どもたちを守ってやると思っていた、その子どもたちの尿からも放射性物質がでた。
ある中学生は母親に「私は子ども産めるのかな」と聞くそうです。
またある少女は「私たちもう結婚できないね」と話しているともいいます。
離婚と自殺が増えているといいます。
佐々木さんは、子どもたちの「何でこんなに悲しまなくちゃいけないの?」「何でこんなに苦しい思いをしなくちゃいけないの?」「僕たちが悪いことをしたの?」 「誰がわるいの?」という問いかけに「当初は国や東電に怒りを向けるばかりでしたが、今は『このオレ』自分自身のせいだったと、子どもたちによって気づかされた」と語られました。
子どもたちが生まれる前から、放射能の危険性や原発の問題は言われていた。指摘されながら関心を持つこともなく、耳を傾けることもなく、知ろうともしなかったこの自分が、子どもたちが外で遊ぶこともできなくさせた、子どもたちを被曝させた超本人だと。
そう教えられたときにふっ切れたところもある、と。
園庭や境内の除染が行われたものの、子どもたちの積算被曝量を押さえるためにはデッキブラシでこするような除染ではなく、グラインダーで屋根を削ったり、外壁を剥がしたりという作業が必要だそうですが、今は「子どもたちと楽しく除染作業をやってます」と。
このことばを私をどう受けとっていくのかと問われました。

佐々木さんは現在、二本松市で「市民の放射能測定室」を運営する「NPO法人TEAM二本松http://team-nihonmatsu」の理事長もつとめています。
SPEEDIの情報は公開されず、食品放射能基準値が引き上げられ、「大丈夫です」「安全です」と言われて・・・「それでは大切な人の命が守れない」、だから「自分で考えて!自分で勉強して!自分で測って!自分で守る!」その為に飲食物の放射能測定装置を購入して「市民放射能測定室」を設置した。
秋田県の主婦から粉ミルクの検査の依頼が来た。それが「明治ステップ」だった。http://business.nikkeibp.co.jp/
それがきっかけで最終的には36万缶が交換されることになり、取材が殺到した。その報道のありさまは「明治」をただ悪者にしているだけの報道で中身がない、といいます。

質疑の時間。参加者から「いま、必要なものはありますか?」との問いに「ホールボディカウンターが欲しいと思っています」と言っておられました。佐々木さんの報告の後で「内部被曝の危険性」について講演された村田三郎阪南中央病院副院長の指摘によれば、この装置による医療機関の検査は数千人待ちで、しかも一般の医療行為の妨げになるとしてほとんど行われてないといってもいい現状だといいます。そしてそこにはデータを残したくない国の意図があるとも。放射性物質の量が減少する時間稼ぎだともいわれています。
また国が、どの時期に、どういった意志で、どんな情報の操作や隠蔽を行ったかについても言及されました。それを受けて佐々木さんは、事故の当初から被爆限度の操作やデータの隠蔽をやる間に「どうしてひと言『妊婦や子ども、授乳期の女性だけでも避難しろ』と言ってくれなかったのか」と悲しみを表現されました。

それでも子どもたちが被爆したのは自分のせいだと、悲しみに立たれた人がいます。
「こんなことになる」と教えられながら無視し続けたのは彼だけではないにもかかわらず、その悲しみさえも無視しようとしている自分を教えられます。
佐々木さんは「福島さえ、福島の人だけ騒がずにおってくれれば・・・」という空気を感じるともいいます。
少なくとも、この研修会の翌日の「原発事故は収束」宣言は自作自演にしか思えません。?悲しみを覆い隠していくことで、ますます悲しさが膨らんでいきます。?同じ悲しみに立つことができない私は、悲しみに立って生きておられる方々の声を騒音のなかでいつまでも聞き漏らさないようにしなくてはならないことを思います。

次回の「原子力問題に関する公開研修会」は、2012年2月10日(金)14:00から東本願寺視聴覚ホールで行われる予定ということです。

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眠りと悩みの中で

2011年12月15日 | ブログ

2011

「あの鐘を鳴らすのはあなた」 和田アキ子

あなたに逢えてよかった
?あなたには 希望の匂いがする
?つまずいて 傷ついて 泣き叫んでも
?さわやかな 希望の匂いがする?

町は今 眠りの中
?あの鐘を 鳴らすのは あなた?
人はみな 悩みの中?
あの鐘を 鳴らすのは あなた

あなたに逢えてよかった
?愛しあう 心が戻って来る
?やさしさや いたわりや ふれあう事を?
信じたい心が 戻って来る

町は今 砂漠の中?
あの鐘を 鳴らすのは あなた
?人はみな 孤独の中?
あの鐘を 鳴らすのは あなた

町は今 眠りの中?
あの鐘を 鳴らすのはあなた
?人はみな 悩みの中
?あの鐘を 鳴らすのは あなた

作詞 阿久 悠

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きずな

2011年12月12日 | ブログ

今年の漢字「絆」。
清水寺の貫主がどんな心持ちで揮毫されたのかはわかりませんが、阪神大震災の年が「震」、中越地震の年が「災」だったことを思うとどうも違和感を覚えます。
この違和感は何なのかと自問するのですが、それは「絆を大切に」という肯定的なキャッチフレーズで用いられる印象が強いからかもしれません。ただ

「絆」というのは、もともと馬の足をからめて縛る紐のことで、人を束縛する義理や人情に喩えられたり、自由を奪って人をつなぎとめる意味で使われてきました(同朋新聞2011.11「時言-JIGEN-」)

といいます。そして「絆」で結ばれた仲間やグループの内側では閉鎖的で、外側に対しては排他的な面がそこでは指摘されます。
「強い絆を感じた」という被災者の肯定的な言葉まで否定するつもりはありませんが、一方で「原子力ムラ」という表現に象徴されるような「絆」がはっきりしたのも今年です。
私たちは常に末端のところで何らかの「ムラ」の絆に絡めとられていると思うのです。
時に私自身「(狭義での)『宗教』に閉じこもっているんじゃないか」と友人に指摘されたり、現に内側でも「大谷ムラ(真宗大谷派の教団組織)」という言葉でその構造的な閉鎖性が表現しているような窮屈な絆にどっぷり絡まっていたりするわけです。
個別な事例はとにかく、仏教は、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)の迷いの境地に繋ぎとめて縛りつける「きずな」を、横さまに切って解き放つ教えであると教えられます。
「ひとつになろう!」というスローガンは危険なんです。群れて、そうなれないものを排除するんですから。
絆を切らなくてはならないのではありません。切っても切っても絡まってくる足もとの「きずな」に気づかせる眼と、どんな「きずな」に絡まっているのかということを知らせる視点が求められるのだと思います。
年末年始のひととき是非お寺へお出かけいただき、ほとけさまのまなざしにともに触れたいと思います。

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