遊煩悩林

住職のつぶやき

不戦の実践

2010年02月21日 | ブログ

かつて、私たちの宗門は、宗祖の教えに背き、仰せになきことを仰せとして、戦争に協力してまいりました。世界の人々、とりわけアジア諸国の人たちに、言語に絶する惨禍をもたらし、仏法の名を借りて、将来ある青年たちを死地に赴かしめ、言いしれぬ苦難を強いたのでした。私たちはそのことへの深い懺悔より、すべての戦闘行為を否定し、宗門が犯した罪責を検証し、これらの惨事を未然に防止する努力を惜しまないことを誓いました。(「不戦決議」より)

京都の真宗宗本廟(東本願寺)では毎年4月1日から3日まで「春の法要」がお勤まりになります。
法要期間中の4月2日の「全戦没者追弔法会」に団体参拝をします。
常照寺の所属する南勢一組では、次の要項で参加者を募集しています。

法要名称 全戦没者追弔法会
テーマ  「往生をねがうしるし 世をいとうしるし」
法要期日 2010年4月2日(金)
場  所 真宗本廟(東本願寺)御影堂
日  程 10:00~「全戦没者追弔法会」参拝
     (内容 追弔の偈朗読・法要・記念講演) 
     12:30~「阿弥陀堂素屋根」視察
募集人数 45名(南勢一組/大型バス1台)
参加費用 5,000円(バス代・昼食費込)
申込〆切 3月8日

日中戦争開戦前の1935年、中国の胡適という人は米ソの軍備増強が未完成のうちに、日本は中国に戦争をしかけてくるとの前提の上で、それでも日本の陸海軍の勢いを抑止できるのはアメリカ海軍とソビエト陸軍によるしかないという展望をたて、いかに米ソを日中の紛争に引き入れるにはどうすればいいのかと、「日本切腹、中国介錯論」を唱えたといいます。

中国は絶大な犠牲を決心しなければならない。この絶大な犠牲の限界を考えるにあたり、次の三つを覚悟しなければならない。第一に、中国沿岸の港湾や長江の下流地域がすべて占領される。第二に、河北、山東、チャハル、綏遠、山西、河南、といった諸省は陥落し、占領される。そのためには敵国は陸軍を大動員しなければならない。第三に、長江が封鎖され、財政が崩壊し、天津、上海も占領される。そのためには、日本は欧米と直接衝突しなければいけない。我々はこのような困難な状況下におかれても、一切顧みないで、苦戦を堅持していれば、二、三年以内に次の結果が期待できるだろう。[中略]満州に進駐した日本軍が西方や南方に移動しなければならなくなり、ソ連はつけ込む機会が来たと判断する。世界中の人が中国に同情する。英米および香港、フィリピンが切迫した脅威を感じ、極東における居留民と利益を守ろうと、英米は軍艦を派遣せざるをえなくなる。太平洋の海戦がそれによって迫ってくる。
「世界化する戦争と「中国の国際的解決」戦略」
石田憲編『膨張する帝国 拡散する帝国』所収(東京大学出版会)

以上のような状況に至ってからはじめて太平洋での世界戦争の実現を促進できる。したがって我々は、三、四年の間は他国参戦なしの単独の苦戦を覚悟しなければならない。日本の武士は切腹を自殺の方法とするが、その実行には介錯人が必要である。今日、日本は全民族切腹の道を歩いている。上記の戦略は「日本切腹、中国介錯」というこの八字にまとめられよう。

「三年はやられる、しかしそうでもしなければアメリカとソビエトは極東に介入してこない、との暗い覚悟を明らかにしている。一九三五年の時点での予測ですよ。なのに四五年までの実際の歴史の流れを正確に言い当てている・・・」と「それでも日本人は戦争を選んだ(朝日出版社)」の中で東京大学加藤陽子教授は語っています。
国民の46.8%が農業従事者であった当時の日本。政党の選挙スローガンに農民救済の項目はなく、陸軍のスローガンには農民救済策が満載されていたという。そこで「政治や社会を変革してくれる主体として陸軍に期待せざるをえない国民の目線は、確かにあった」と加藤教授は指摘しています。「国民生活の安定を図るを要し、就中、勤労民の生活保障、農山漁村の疲弊の救済は最も重要」という陸軍の文句は「今の政党の選挙スローガンと間違えそう」と言っています。そんな謳い文句に興じているときに、中国では、日本切腹の介錯の道筋をたてていたのです。
こうした背景の中、祖父の兄弟は戦地に赴き1937(昭和12)年に戦死していったことを思うと、選挙時の「国民の生活が大事」という謳い文句には首を傾げなくてはならない私でありながら、そんな謳い文句を掲げさせ続けている国民の一人として、戦没者の嘆きと願いに耳を澄ませ春の法要にお参りしたいと思います。

コメント

何が欲しいかわからない

2010年02月18日 | ブログ

誕生日。
?早朝に妻の両親から一升瓶が何本か届き、兄からは「誕生日は酒でいいか?」と丁寧に確認までもらいました。?
誰に聞かれたわけでもありませんが「何が欲しい?」という問いは難問だなぁと思います。?
それを聞いてくれた人との関係性によって欲しいものが変わるのですから。?
ときに土地であったり、家であったり、自分のお店であったり、ゴルフクラブやリゾートホテルの会員権であったり、車であったり、時計であったり、メガネであったり・・・。
最後は宝くじでも買おうかってなオチです。
?私は何かとよくメガネを買う方なので、例によってメガネでもつくってもらおうかと妻に相談したところ「あれ?時計じゃないの?」という答えが返ってきました。?ちょっと手が出ないと思って心にしまっているつもりでしたから、ちょっとした驚きでした。?自分が欲しいものを自分でない誰かが教えてくれたような不思議です。
?朝、本堂でお勤めをしながら考えました。
?聞く人によって答えが変わるような自分なのですから、ホトケさまに「汝よ!何を欲するか?」と問われたら何と答えようかと。?
そう考えるだけで緊張感のある「おあさじ(朝の勤行のこと)」でした。
?仏教に触れることがあって、「望みは何じゃ?」と問われて「健康」とか「商売繁盛」とか「家内安泰」とかの祈願しか出て来ないような自分であることをあらためて知らされます。?
「往生浄土」とか「信心獲得」などと、なかなか自発されて来ない、無意識にはあるのでしょうけれどもそれが自分の望みとして自覚できないわけです。?
「何が欲しい?」と聞かれて「信心」とも言えないような、そんな僧侶がここにいるわけです。

さてさて昨夜のテレビにヤンキースからエンジェルスに移籍した松井秀喜選手の姿が映っているのを見ました。バシッとスーツに身を固めた空港での画像でしたが「ええオッサンやな!」と思わず口走って失敗しました。同学年でした。
?つづいてNHKの「プロフェッショナル-仕事の流儀-」という番組を見ました。?
若きプリンスと呼ばれる上田泰己という生命科学者を密着した内容でした。
?昭和50年の生まれです。
?同学年・同年であれども「畑」が違えば「ベテラン」であったり「プリンス」であったりするわけですが、自分の「畑」と「じぶん」について考えさせられました。?

上田泰己氏が番組の最後にこう言っていました。?
あなたにとってプロフェッショナルとは?というお決まりの質題に対して

時間のように、掴みようがないもの、見えないもの、形がないもの。そういったものに形を与える。そういう人だと思います。

僕はそういう人になりたい。

このコメントを聞いてこんな言葉が浮かびました。
私が日ごろ意識している言葉のひとつですが、

凝視無形 聴無声

という言葉です。「形なきを凝視し、声なきを聴く」というのです。
禅問答的にも聞こえますが、私はそうは受け取っていません。
「ご本尊」はカタチもなくオトもない。
だけど如来のお姿となり、ナムアミダブツという音にまでなって届いてきたわけです。その姿と声を見過ごさず、聞き漏らさずに凝視し、聴いてこられたのがお釈迦さまをはじめインド・中国の祖師方であり法然・親鸞であったわけです。それが身近なおばあちゃんの毎日の念仏となって私の耳にまで届いてきました。
この生命科学者も「無形を凝視」しているのだなぁと勝手に共感したわけです。
彼の「そういう人になりたい」という願望が印象的なのです。
「形がないモノにカタチを与えるような人」というのですから、目に見えない「ほんとう」という事柄を立体的な如来の像に彫り上げるような仏師のようなものです。
科学は未だ矛盾だらけだが、その進歩によって少なくとも2つの提案ができるだろうといいます。
「できること」と「できないこと」。
それがはっきりすれば医療の現場で「あきらめない」と「あきらめる」という提案ができる、そんなニュアンスだったと思います。
興味深いことばでした。科学のチカラならば「何とかなるだろう」みたいな、いい加減なことがなくなるとすれば、アテにしてはならないことまで科学のチカラをアテにすることはなくなっていくわけです。
それは「自力と他力の狭間」に思えるのです。
科学という他力をアテにするという意味ではありません。科学のチカラという自力を断念して、真実の「他力」を開いていくしかないという道筋が立てられているのです。
専門とする「体内時計」の研究は「何のために?」という問いに「それが幸せというものにつながっていてほしい・・・」と、オンエア上は留まっていましたが「幸せ」についての尺度も持ち合わせているように感じます。

「何が欲しい?」「何が望みだ?」「どうなりたいのだ?」と問われて曖昧にしかできない自分にとって「何のために」はさらにハードルの高い問いではありますが、やはりどこまでいっても「悩み」「苦しむ」、その「苦悩を引き受けていくため」でしかないのだと思います。
苦しみを解放していくための科学や宗教でなく、苦しみを引き受けていくことができる科学と宗教であれば、互いに矛盾に満ちた闇の部分を照らしあっていくことにはなりはしないかなんて考えてみました。

さてさて、私の「畑」では誕生日に際して、釈尊成道(お釈迦さまがおさとりを開かれた)の年齢だとか、親鸞が流罪に遭われた年齢だとか教えてくださいます。
35歳。念仏という仏教が面白くなってきました。
ですが面白がってばかりもおれません。親鸞は流罪でしたが、ナムアミダブツを申したことによって死刑になった人もいます。
?そんな「念仏の畑」に身を置きながら、お釈迦さまのおさとりも、宗祖のご苦難も「飯のタネ」にしかしていないのです。
仏を利用し、疑い、反抗ばかりしている自分ですが、せめて「ほんとう」のことに「掌(たなごころ)の合わさる」人間に育てられるために、そういう「畑」に身を置き続け、「自と他の苦悩をともに引き受けられる」人間になりたいと、願望のみ記しておきます。

コメント (2)

オニのオンガエシのおはなし

2010年02月03日 | ブログ

そのむかしあるところにキジンという鬼神さまがおったそうな。?
鬼神さまは毎年冬と春、春と夏、夏と秋、秋と冬の4回の節分をとても楽しみにしていたそうです。
?節分にヒトサマのところへ遊びにいくと、いつもご馳走を用意して待っていてくれるからでした。
ご馳走だけでなく、ヒトサマと歌ったり踊ったり・・・わずかな時間でしたが鬼神さまとヒトサマが仲良くできるそれはそれは楽しいおマツリのひとときでした。?
鬼神さまはどうしてヒトサマがご馳走を用意してくれているかを考えたりはしませんでしたが、ヒトサマのつくった柔らかくておいしいオマメがたくさん食べられるから鬼神さまはヒトサマのことがとても大好きでした。
?鬼神さまは、大好きなヒトサマのご馳走のお礼にいつも「とても大切なこと」を伝えてくれていました。?
でも鬼神さまが伝えようとする「とても大切なこと」は、実はヒトサマが聞きたくない嫌なことでした。?
あるときヒトサマは考えました。?鬼神さまにご馳走なんか用意するから、知りたくもない嫌なことを聞かされるのだ。?だったらもうご馳走なんか用意しないでおこうと、鬼神さまをお迎えしないことにしました。?
そんなこととは知らずまた節分になると鬼神さまはやってきました。
?するとそこには誰もおらず、ただ「オマメ」が調理もされずに置いてありました。
?大切なことを伝えたかった鬼神さまはヒトサマに会えずに残念でしたが、みんな忙しいのだろうといって帰っていきました。?
しかし、次の節分もまた次の節分も同じことが続きました。?
鬼神さまは心配になりました。?
ヒトサマはどうしてしまったんだろう??その度に鬼神さまは寂しく帰っていきました。?
そんなことが鬼神暦で数日、ヒトサマの暦でいえば何百年が過ぎました。
?ある春を迎える節分に鬼神さまがヒトサマのところへやってきました。?
すると・・・、ヒトサマの姿が見えました。鬼神さまはウレシくなって「やあみんな、今日こそはみんなに大切なほんとうのことを伝えたいのです」といってヒトサマのところに行こうとすると・・・。?
このオニめが!性懲りもなく来やがって!とっとと豆喰って帰りやがれ!といって堅いオマメを鬼神さまに投げつけました。?
鬼神さまは、ヒトサマはすっかり変わってしまった。だれも「大切なこと」を聞こうとはしてくれなくなってしまったといって悲しみました。
?鬼神さまは後から知ったことですが、最近は節分になると「大切なこと」をいわないフクノカミさまがヒトサマのお家の中に招かれているそうです。
?今では、毎年4回の節分は、そのうち1回だけになってしまい、しかもそれはフクノカミさまをお迎えするおマツリになってしまったのでした。
それでも鬼神さまはいつかのヒトサマからのご恩を忘れず、お礼をしなくてはいけないと、カタチを変えスガタを変えてヒトサマに「ほんとうのこと」を伝えようとするようになりました。

コメント (2)