非国民通信

ノーモア・コイズミ

新自由主義者が目指したもの

2009-02-09 22:34:33 | 編集雑記・小ネタ

 かの有名な「囚人のジレンマ」のバリアントの一つに、こんなのがあります。

2人の兵士が戦場で敵兵と対峙していた。

2人がともに前線に踏みとどまった場合、
両者はそれぞれ70%の確率で生き延びることができる

2人がともに逃げ出した場合、
両者はそれぞれ20%の確率で生き延びることができる

片方が前線に踏みとどまり、片方が逃げ出した場合、
逃げ出した兵士は80%の確率で生き延びることができるが
一方、一人で戦場に残された兵士が生き残る確率は10%

 喩えの中身がちょっと気に入らないところもありますが(例え話ではなく現実なら正解は他にあるでしょう)、囚人のジレンマよりもわかりやすいのではないかと思います。ここでもし、読者の皆さんが司令官だったとして、前線の2人の兵士にはどう指示を出すのが最善でしょうか。必ず命令に従うと仮定した場合ですが、2人がともに戦場に止まれば、生存の期待値は1.4人、2人が逃げ出せば期待値は0.4人、片方が逃げ、片方が止まれば期待値は0.9人です。何が全体のためになるかは一目瞭然ですね。

 一方、読者の皆さんが戦場の一兵卒だった場合はどう行動すべきでしょうか? 自分が前線に踏みとどまった場合、相方も踏みとどまれば生存率は70%、しかるに相方が逃げれば生存率は10%です。相方の選択が半々の確率で為されるとしたら、踏みとどまった場合の生還確率は平均40%ですね。逆に自分が逃げ出した場合、相方が踏みとどまれば自身の生存率は80%、相方も逃げれば生存率は20%です。例によって相方の選択が半々の確率で為されるとして、逃げた場合の生還確率の平均値は50%ということになります。個人単位で見れば、逃げ出した方が得、少なくとも相方よりは高い確率で生き延びられるわけです。ところが、個人単位で見れば逃げた方が得だからと、全員で逃げ出せば生存確率は20%にしかなりません。

 で、今の日本経済がそういう状況ではないかと思うのです。個々の企業が利潤を最大化するために行動する、自分の会社を守るための選択を繰り返した結果、企業単位で見れば景気は回復、業績拡大を果たしながらも、社会全体で見ると沈滞しているわけです。御用学者はこれまで、企業業績が好調に推移すれば、いずれその分が労働者にも還元されると強弁してきました。戦後最長の景気回復局面を経て、それが全くの虚偽であったことは実証済みですが、ともあれ企業がどれだけ利益を積み重ねても、社会の経済的な豊かさには繋がりませんでした。なぜでしょうか、個々の企業を見てみれば、バブル期を上回る空前の利益を上げていたのに……

 企業は自社の利潤を追求します。あわよくば80%の生存率を目指す、悪くとも「自社が敗れて他社が生き延びる」事態を避けるべく、他社より自社の生存率が高くなる選択肢を選ぶものです。ところが、こうした選択を上記のジレンマに当て嵌めると、それぞれ20%の生存率しか得られないわけです。そこで指揮官である政治の役割は、70%の生存率を目指すこと、自社の利益のために社会を犠牲にしようとする企業を抑えて、個々の企業単位ではなく社会全体で見た場合の最適解を示すこととなります。しかるに、財界の御用聞きに徹してきた我らが自民党政府は、その役割を放棄してきたようです。

 そう言えば新自由主義者は、格差は問題として認めても貧困は問題にしませんよね。彼らは正社員の待遇を引き下げることで非正規雇用との格差を是正すべきと念仏のように繰り返しています(参考)。なるほど確かに、それでも格差をなくすことはできますが、その結果として貧困層が爆発的に増加するわけです。しかし、御用学者が格差を問題視する素振りを見せることはあっても、貧困に目を向けることはありません。格差は問題だが、貧困は問題ではない――小泉・竹中路線の信奉者には絶対的なものよりも相対的なものを重視する傾向があるようです。

 ゆえに、どうすれば社会全体の生存率が高くなるかではなく、どうすれば他社よりも高い生存率を得られるか、この後者が財界人の関心事なのかも知れません。社会全体を考えるなら各企業が「前線に踏みとどまる」のが最適解ですが、ここでもし抜け駆けする企業が出た場合、自分だけ「逃げ出す」企業が出た場合、逃げた企業が生き延び、踏みとどまった企業が潰れるかも知れない、自社が他社に「負け」てしまうかも知れないわけです。その「負け」だけは決して受け容れられないのが「構造改革」の信奉者であり、「負け」ないため、「勝つ」ためであれば生存率20%も厭わない、そして司令官は何も言わないどころか「自由にやれ」と放任する、その結果が現在なのでしょう。

 

 ←応援よろしくお願いします


コメント (9)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ハシシ | トップ | 救いようがない »
最新の画像もっと見る

9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ノエルザブレイヴ)
2009-02-10 14:49:14
勝ち負けと言うのはプライドに関わる問題ですからね。「プライドが傷つくのは耐えられない」というのは私には例えば極右の人の行動原理(歴史観とか差別とか)にも見いだせるように思います。
そしてそれ故にプライドをくすぐる方法(相手を引きずり下ろしてでも追い付き追い越す、とか)がごまかすのに有効に働いてしまうのでしょう。
返信する
全体最適? (あぐりこら)
2009-02-10 19:42:25
部分最適は必ずしも全体最適に直結しないとかいう、どこかの経営学本の受け売りで「だから貴様が犠牲になればみんながシアワセになれるんだ」と理不尽な自己犠牲を求める「経営者目線」の人間がいますよね。

連中の「全体最適」は往々にして組織レベルにとどまり、社会の「全体最適」ではない(つまり所詮は部分最適)というところがオメデタイのですが、最近は化けの皮がはがれつつあるようです。
返信する
新自由主義と決別を (怪人20面相)
2009-02-10 21:31:08
新自由主義は、企業の利潤の追求のみを考慮したイデオロギーです。
企業さえ儲かれば、人がホームレスになろうが、凍死しようがおかまいなしといったところでしょうか。
日本で派遣切りが止まらず、多くの人が生活基盤を失い、路頭に迷っている姿を見れば、新自由主義がいかに非人間的なものかがわかります。
新自由主義と決別できなければ日本の未来はありません。
返信する
竹中さんが・・ (前田)
2009-02-10 22:17:10
新自由主義をどう定義しているかはわかりませんが、

その代表とみられる竹中平蔵さんは常々
「格差はあっても良い。問題は、貧困である。」
とおっしゃっておりますが。

問題は、短期の配分ではないのです。
一番大きな問題は、
皆平等に貧乏になるか、格差があっても社会としては豊かか(この格差の是正は政府が行えばよい。)
という問題です。

小泉竹中路線をおそらくとりちがえているでしょう 。
返信する
後には屍しか残らない (ふみたけ)
2009-02-10 23:15:44
ま、新自由主義的価値観は徹底した「他者否定」に成り立ってるのは嫌と言うほど理解してます。
あの人達の言う競争というのは、ゴールを逸脱すると文字通り「死」が待ち構えている「チキンレース」であって、勇気や恐怖でそれを否定する人を「怠け者」と罵り、こうした困難を名誉ある挑戦と言う始末です。
私は自他とも認める臆病者ですので、そうゆう考えを否定します。さらに言うと、こんな考えが誰かを幸せにするなんてとても思えません。
返信する
Unknown (非国民通信管理人)
2009-02-10 23:30:38
>ノエルザブレイヴさん

 経済右派と政治右派が重なりがちなのは、その辺の考え方の相似があるのでしょうね。プライドが高く、勝ち負けに拘る、お互いに利益を得るより、仮想敵よりも上に行くことを好む、そうした行動原理で一致しているのかも知れません。

>あぐりこらさん

 あくまで近視眼的と言いますか、組織レベルでは(悪い意味で)実行されていることが、社会レベルでは出来ていないのですよね。化けの皮がはがれつつある、結果は明らかになりつつあるわけですが、彼らがそれを受け容れられるかどうか……

>怪人20面相さん

 「人間の顔をした社会主義」はあっても「人間の顔をした資本主義」はありませんからね。自社の利潤を追求する企業を舵取りして社会全体の利益を考えるのが政治の役割のはずですが、企業にもっと好き放題やらせようとする有様ですし。

>前田さん

 この格差の是正は政府が行えばよいと仰いますが、政府は格差を是正しようとしていません。
 格差があっても社会としては豊かかと仰いますが、GDPは福祉国家に大きく引き離されるようになりました。

 まず前田さんは、現実を直視することから初めてはいかがでしょう?
返信する
Unknown (非国民通信管理人)
2009-02-10 23:33:59
>ふみたけさん

 よほどの自信家(実力が伴っているとは限りませんが)には、たぶん好ましいものなのでしょう。「勝てる」と思っている限りは、ですが。決して期待値の高い賭ではないと思うのですが、負の側面が見えなくなってしまっている人にとっては、多分そうではないのでしょう。
返信する
まさに (Bill McCreary)
2009-02-11 09:54:40
>そこで指揮官である政治の役割は、70%の生存率を目指すこと、自社の利益のために社会を犠牲にしようとする企業を抑えて、個々の企業単位ではなく社会全体で見た場合の最適解を示すこととなります。しかるに、財界の御用聞きに徹してきた我らが自民党政府は、その役割を放棄してきたようです。

いや、ほんと。自民党の政治も、すくなくともある時期までは、それなりにそのような努力をしてきたと思うんですけど、現在はほんと財界の御用聞きですよね。安倍レベルの馬鹿を、財界の最高幹部がやたら熱心に擁護したくらいで、あれだけ無能な人間でも擁護するくらい財界には自民党って魅力があるところなんでしょうかね。

>決して期待値の高い賭ではないと思う

新自由主義のゆく果ては、99%(数字が違っても本質は同じです)の敗者と1%(省略)の商社であって、当方は勝者になれる可能性が皆無なので新自由主義には賛成しませんが、賛成する人は自分が1%に入ると考えているんでしょうね。本人が馬鹿なのは仕方ないですが、他人に迷惑はかけてほしくないですね。
返信する
Unknown (非国民通信管理人)
2009-02-11 14:33:38
>Bill McCrearyさん

 小泉・竹中時代が積極的に財界に便宜を図り、その後は無策な安倍晋三が御用聞きに徹することで政治の役割を放棄してきたんですよね。安倍自身は経済に関して何ら策がなくとも、それだけに財界の意見を押しつけやすい、ゆえに財界からすれば都合の良い人材だったのかも知れません。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

編集雑記・小ネタ」カテゴリの最新記事