非国民通信

ノーモア・コイズミ

現実と願望

2006-07-23 18:23:14 | 非国民通信社社説

 先日こちらでも取り上げた天皇発言メモですが、予想通りネット上では捏造論や別人の発言であるとする説などが急増中です。その論拠となるべき証拠も急ピッチで生産されています。まあ私も新聞報道は日付以外は信用しませんし、天皇が何を言おうと知ったことではありません、なので例のメモが何であろうがどうでもいいところはあります。

 ところで、ジャーナリズムとアカデミズムの決定的な違いは何処にあるのでしょうか? それは、一方が情報源を明らかにするのに対し、もう一方は情報源を隠匿することです。アカデミズムの世界では情報源の明示は常識であってこれを怠ることが許されるのは一部の特権的な御用学者だけです。学生など格下の研究者の論文の審査の場合、情報源の明示の仕方が該当する学会のルールに従って正しく行われているかが念入りに審査され、論文の内容など全く省みられないほどです。一方でマスコミ側の主張によれば情報源の秘匿は絶対の原則とのこと。そんなわけでいったい何を証拠にそんなばかげた記事を書いているのかと、しばしば疑問に感じるのですがその論拠はいつも隠されているのです。ひょっとしたら2ちゃんねるあたりが情報源なのでしょうか。いずれにせよ情報源が不明とあっては受け手の側で真偽を判断する材料が得られません。新聞やテレビを前にしたとき、そこで展開される世界は果たして真実でしょうか?

 例えばこんな記事、実際は何の罪も犯していないのに、危険運転致傷容疑で10ヶ月拘留された人の話です。この例が意味するところは、罪を犯さなくても罪を犯した者として裁かれうるということです。今回は不幸中の幸いでなんとか釈放されましたが、無実のまま処罰された可能性の方が高かったのは言うまでもありません。彼は実際には何の罪も犯してはいませんが、そんなことは警察側にとってはどうでもいいことでした。真実がどうであれ、犯人と判断されれば罰せられるのです。

 よくジャーナリズムが垂れ流す嘘の中には、若年層の犯罪増加があります。これは全くの嘘であり、増えていません。そんなことは統計資料でも見れば明白ですが、マスメディアではこの偽りのニュースが流れ続けていますし、御用学者もこれを繰り返しています。公的機関が公表している統計資料では若年層の凶悪犯罪は減っているのですがどうしてこのような嘘が社会的権威のある言論媒体から流されているのでしょうか? 公的機関が公表している統計資料なんて信じない!という信念があるのならまだわかるのですが、ね。

 人はしばしば現実と願望を混同します。別に真実は隠されてはいないのですが、隠されてもいない現実を直視する代わりに自分の夢へと逃げ込みます。若年層の犯罪は減っています、それを裏付ける公的資料は公開されています、それを知るつもりがあればいくらでも知ることができます、しかし、そうしたくない人は現実ではなく自分の願望を見ます。そうあって欲しいと思い願う人々は現実よりも自身の望んだ世界を見るのです。いまの世の中には隠された真実なんてありません。ただ、そこから目を背ける人がいるだけです。

 マイケル・ムーアの『華氏911』に「目新しいことは何もない」と実に的外れなコメントをつけた批評家がいました。目新しいことが何もないのは当たり前です。あの映画の中でムーア監督が見つけた真実など何一つありません。別にムーア監督が決死の取材で隠された真実を探り当てたなんてことは、全くないのです。別にムーア監督が取り上げなくても、真実はずっと前から公表されていました。ただ、目を背けていただけです。あの映画の意味は、有名人が真実に向けて注目を集めたこと、わかりやすくかみ砕いて説明してくれたことであって、何か新しいことを教えてくれたことではないのです。

 しかしムーア監督の映画、影響力を懸念されてはいたものの結局のところアメリカにおける支持率を動かすことはできませんでした。おそらく『華氏911』で自身の政治的立場を変えた人はほとんどいなかったと思います。あの映画を支持した人は自分たちの信じるものをより大きな声で語ってくれる存在に鼓舞されたことでしょうが、逆に否定している人は相変らず現実から目を背け続けています。「あの映画は政治的に偏っている」「歪曲されている」と。『華氏911』を見て、急に現実を認めるつもりになった人などほとんどいない、元から現実を認めている人が映画を支持し、最初から現実を認めるつもりのない人は最初から映画を否定する、『華氏911』はヒットしましたが大統領選の結果には影響を与えませんでした。

 先の天皇発言メモだってそう、北朝鮮のミサイル実験もそう、イスラエルのレバノン侵略もそう、若年層の犯罪もそうです。別に真実は隠されてはいませんが、真実がどちらであろうとそれは受け手の側にはあまり影響しません。それぞれ、自分のそうあって欲しいと願うものを見るだけです。天皇発言メモにしたところで、それを信じるか信じないかは証拠の有無にではなく願望にあります。信じたくない人はどんな証拠が挙がっても信じません。そこでは真実など何の意味も持たないのです。天皇発言メモに反論すべく、その論拠となる資料も急ピッチで捏造されているわけですが、結局のところ『華氏911』と同じ程度の効果に終わるでしょう。どんなに頑張って論拠を作成したところで、元から反対の人は反対、賛成の人は賛成です。言論にできることは、賛成する人を鼓舞すること、反対する人に唾を吐きかけることだけです。どっちに真実があろうと、それが影響することはないのです。

 例えば靖国問題、靖国神社が戦争を賛美するための機関である、その証拠は誰でも目にすることができます。しかし現実を受け入れるかどうかはその人次第です。冤罪の場合も同様、彼が無罪であることは調べればすぐにでもわかることでしたが、それを見るかどうかは取り調べ担当者次第でした。北朝鮮に日本を脅かす力があるかどうか?それも明白ですが、現実を見るかどうかはその人の立場に寄ります。これを好機と外向きの軍事力を増強させたい人は、たとえ現実がどうあろうとも北朝鮮の脅威を見るでしょう。真実がどうあっても、それは何の影響力も持ちません。あからさまな捏造記事がとりわけネット上には大量に存在し、流布され続けていますが、どんなあからさまな捏造記事でも信じたい人は信じますし、それを検証したりはしません。真実がどうであるかと言うことよりも、どうあって欲しいと願っているか、願望が結果を決めます。我々は現実が力を失った世界に生きているのです。


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