非国民通信

ノーモア・コイズミ

“親を休む”ことも

2010-05-23 23:02:03 | ニュース

生活苦と夫婦の不仲で“鬼父・鬼母”が急増!?
過去最多の児童虐待の裏に潜む悲しすぎる事情(DIAMOND online)

 児童虐待をテーマにしたドラマ「Mother」(日本テレビ)が好評だ。一方、ニュース番組では毎日のように虐待事件が報道され、週刊誌にも頻繁に非道な“鬼父、鬼母”の見出しが躍る。

 身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、そしてネグレクト(育児放棄)――。子どもの虐待はなぜとどまることがないのか。

 その裏事情を現場に聞いてみた。

(中略)

 NPO法人児童虐待防止全国ネットワーク理事長の吉田恒雄さんは「対応件数は虐待の数そのものではなく、実態が深刻化しているかどうかについては、なんともいえません。対応数が増加したということは、それだけ通報が増えたということでもあり、虐待への社会的認知度、理解度が深まった証拠ともいえます」と説明する。

 ただ、経済情勢の悪化は、“鬼父、鬼母”をさらに生む可能性もある。虐待の温床ともいえる“家庭内の軋轢(あつれき)”が、不況によって引き起こされやすくなるからだ。

 実際、2009年3月におこなわれた全国児童相談所長会の報告では、虐待する家庭の状況でもっとも多く見られたのが「経済的困窮」。全体のおよそ3割を占めていた。

(中略)

 失業と不安定就労を繰り返すうち、不安とストレスから、イライラを子どもについぶつけてしまう親がいても不思議ではない。

 父親は一家の大黒柱となり、妻子を養うもの――そんなプレッシャーがワーキングプアの夫を暴力へと駆り立てる危険もある。

(中略)

 夫婦間、親子間で怒るイライラの連鎖――川松さんによれば、父親が正社員の家庭もけっしてその例外ではないそうだ。

 給与カットでダブルワークをしていたり、人員削減で残業が増えていたりすると、夫の帰宅はどうしても遅くなる。そうなれば、妻はひとりで子育ての責任を抱え込むことになる。

 引用した記事を書いている西川敦子という人は掲載誌の中で完全に浮いた存在に見えるだけに(週刊ダイヤモンド的な「お約束」ではなく事実に基づいて記事を書いているので)、編集部や読者層からどういう評価を受けているのかちょっと気になるところでもあったりするのですが、ともあれ今回は児童虐待が取り上げられています。どうやら経済的に追い詰められた不安定雇用層は元より、週刊ダイヤモンドの設定上は安定雇用で給与も下がらないはずの正社員の家庭でも状況は決して楽観できるものではなさそうです。

 祖父母世代との断絶も、親たちにとっては切実である。

 核家族化の影響で、縁遠くなっているばかりではない。祖父母たち自身がリストラされていたりして、貧困に陥っているケースも多々あるという。金銭的にも時間的にも余裕がなく、孫の面倒を見づらいのが実情だ。地方に住んでいたり、もともと親子の縁が切れていたりして、頼れないこともまれではない。

 もう一つ、掲載誌の設定上は若い親たちの親世代=中高年は不況から「逃げ切った」「既得権益」世代ということになっているようですが、もちろん現実は違うわけで、親世代=中高年のリストラに伴う貧困化が子世代=若年層を追い詰めている構造もまた指摘されています。元より「自立」に異常なまでの重きを置く社会でもあるだけに、実家が裕福であっても親に頼るという選択肢を頑なに拒む人も見受けられるなど(参考)、まぁにっちもさっちもいかないのでしょう。公的支援の充実した社会で親族からの自立意識が強まるなら理解できるのですが、日本のように公的支援の薄い社会がこれではどうにも……

 揚句、育児ノイローゼに陥る母親も少なくない。まじめな人ほど子どもの成長ぶりが気になりがちだ。育児本に書いてあることと違うと、それだけでパニック状態に陥ったりする。

(中略)

 だが、「落ち着いた生活ができるようになるまで、お子さんをいったん施設でお預かりしますから」と言葉をかけると、たいていの母親はいきり立ち、抗議の声を上げるという。

 「母親の癖に子どもを放りっぱなしにして」と日頃から周囲に責められ、白い目で見られてきたせいでは――と川松さん。

 母親は子どものために何もかも犠牲にするのが当たり前、という「母性神話」が、彼女たちを孤独へと追いやっている。「自力で育てられないのならなぜ産んだんだ」といった冷たい目線もある。パートナーとの断絶の次に親子を待ち受けているのは、社会との断絶なのだ。

(中略)

 「こんなご家庭がありました。通報を受けて訪問してみると、家の中は足の踏み場もないほどぐちゃぐちゃになっている。『お子さんをお預かりします』と話すと、親子はしっかり抱き合い、離れまいとしていました。虐待はあっても、心では慈しみ合っている。引き離すのが本当につらかった……。

 全部が全部ということではないでしょうけれど、虐待する親が必ずしも子どもを嫌っていたり子育てに不熱心かと言えば、そうでないどころかむしろ反対の場合も多いような気がします。まず子育てに妥協がないからこそ、育児本というマニュアルからの逸脱が即座にパニックに繋がるわけです。いい加減でテキトーな親だったらこんなことにはなりません。そして母親は子どものために何もかも犠牲にするのが当たり前、みたいな意識があるからこそ自分を追い詰めるところもあるのではないでしょうか。もう少し「冷めた」親だったら、自分で育てるのが難しいとわかれば、子どもを施設に預けてまずは自分の生活の立て直しに着手するはずです。しかるに子どもを他人の手に預けることができない「熱い」親だからこそ、そうした割り切りができずに不安定な関係を長引かせてしまっているようにも見えます。

 前出の吉田さんは「虐待しそうだ、と思ったら勇気を出して周囲やSOSを出してほしい。子育てに疲れたら、児童養護施設などで行うショートステイを利用するなどして、“親を休む”ことも大切です」と助言する。

(中略)

 “鬼父、鬼母”を責めるだけでは、子どもは救われない。社会が親を見守り支えることで、子どももまたのびのび育つのかもしれない。

 この辺に私は全面的に同意するわけですが、“親を休む”ための公的支援体制が整っているかと言えば、大体の自治体では改善が求められる状況のようですし、児童相談所の人員不足も深刻な状況にあることが伝えられています。「社会が親を見守り支え~」とのことですけれど、支えようとする代わりに罰を重くしようなんて運動さえあるわけですから始末に負えません(参考)。社会に期待が持てない以上は政治が率先して制度を整えていくしかないのですが、公的サービスの拡充=公務員増=大きな政府に乗り気な政党/政治家がどれだけいるのかと思うと……

 

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コメント (2)
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