非国民通信

ノーモア・コイズミ

大学院は修羅の道

2010-05-25 22:56:58 | ニュース

講師の「細切れ雇用」で、大学は教育できるのか?(日経BP)

 1コマいくらで、いくつ取れるか。大学の講師は究極の細切れ雇用にさらされている。

 「もう専任講師の道は諦めた」

 そう話すのは、第二外国語の非常勤講師、立石誠司さん(仮名、44歳)だ。誠司さんは早稲田大学を卒業後、大学院に進み外国文学を学んだ。修士課程で2年、博士課程は6年在籍して、所定の単位を取り学位(博士号)を取得せずに博士課程を修了する「満期退学」した時は31歳だった。

(中略)

 大学の職場環境は、年を追うごとに悪くなる。誠司さんは、週に3コマも授業のあった理系の大学での授業は3年前に打ち切られた。そこで6年教えていた間、入学生が年々減少していたため、大学間の競争と少子化の影響を肌で感じた。

 ある大学では、数年前に突然、報酬が時給計算に変更され、1コマ90分だった授業が70分に短縮され、その分の収入が減った。補修授業がなくなった大学もあった。全てコスト削減によるものだった。誠司さんの収入は年100万円減った。学会に納める数千円の会費さえも負担を感じる。

 私の専攻はロシア文学だったわけですけれど、博士号を取得した先輩方は皆、路頭に迷っていましたね。引用元で取り上げられている人にしても第二外国語の講師であって、本来の専門であるはずの文学の講師ではない辺り、現状をよく表しているように思います。私も文学の知識を生かせる職に就いた先輩は見たことがありませんが、語学を生かした仕事(たとえば「外国人芸能人招聘業」とか)に就いた先輩は少数ながらいますので。語学はあくまで文学研究の前提知識に過ぎないわけですけれど、文学研究者にとっては語学くらいしか売り物がないのです。

 そのような状況下、博士課程を修了したとしても、専任講師として就職するチャンスが少なく、非常勤講師として働かざるを得なくなる。関西圏・首都圏大学非常勤講師組合などが2005年度に実施した、第3回「大学非常勤講師の実態調査」(回答数1011人)によると、主に大学の非常勤講師を職業とする「専業非常勤講師」の平均値を見ると、年齢は45.3歳で3.1校で勤務。年収は306万円の一方、44%の人が年収250万円未満だ。半数の非常勤講師が「雇い止め」の経験があるという。

(中略)

 さらに、国立大学の元理事は、こう話す。

 「大規模大学以外の大学の経営は厳しい。特に、国立大学は毎年1%の運営費交付金を削られ、人件費に手をつけるしかなくなった。定年退職した教員の後任は補充せず、専任講師の講座は徐々に非常勤に置き換えた。非常勤の単価も3割カットした。事務職は派遣社員で賄っている状態で、正職員採用にしないよう3年経ったら入れ替える」

 前にも書いたかも知れませんが、私の指導教官が定年を迎え退官記念パーティが開かれた時のことです。そこに招かれていた講師の方が、退官する先生の思い出を語るスピーチの最中に「自分も今期限りで契約を打ち切り、これでお別れなのですが~」と恨み言めいたことを満座の前で口にしていたのを今でもはっきり覚えています。引用記事の引用しなかった部分でも触れられていますが、大学のポストは「コネ」が重要、力のある教授のツテがあれば講師の口は回ってくるものの、その教授が定年を迎えた途端に大学側から切り捨てられてしまう、そうした現実もあるわけです。ちなみに雇い止めされた講師の後任は元より、退官した教授の後任すらも補充されませんでした。

 まぁ大学に限らず、経費削減となると真っ先に手をつけられるのが人件費です。営利企業であれば売上を増やすなどの前向きな対応も可能なのでしょうけれど(もっとも大半の企業は成長よりも経費削減による利益確保を是としているようですが)、大学の本分は利益を伸ばすことではありません。金儲けを考えないのであれば、削られた交付金の分だけ「削りやすいところ」が削られることになる、そうした中で人件費が削られ、教授も講師も事務員も圧迫されているわけです。ムダを削る、みたいな発想の元では必然的に、「人」が蔑ろにされる環境(人からコンクリートへ?)が作られていきます。

 文科省の「民間企業の研究活動に関する調査報告」(2009年度)によれば、ポスドク経験者の研究開発者としての採用実績は、「毎年必ず採用している」はわずか0.7%。「ほぼ毎年採用している」(1.7%)、「採用する年もある」(10.9%)を合わせても13.3%に留まる。「全く採用していない」は67.8%に上った。博士課程修了者の過去5年の採用実績は、資本金500億円以上の大企業が積極的だが、その雇用の受け皿も限界がある。ある大手製造業の人事部は「不況でも理系の研究者なら採用するが、新卒で一から育てたい」と話す。文系では、より状況が困難になる。

 これも大学関係に限りませんが、企業は「新卒で一から育てたい」というのがポイントですね。「いつまでも学生気分ではダメだ」みたいな物言いからもわかるように、日本企業は企業社会の外で身につけたものを否定する傾向があります。とりわけ「学校で習ったもの」に関しては全否定したがるのが日本の会社というものなのではないでしょうか。だから大学院で専門的な研究を積み重ねてきた人よりも学部の新卒が歓迎される、他企業でキャリアを積み重ねてきた人の転職は歓迎されるが、大学院や専門学校などで勉強していた人の中途入社は門前払いみたいなことにもなるわけです。

 言うまでもなく学部でも4年間しっかり勉強してきた学生より、勉強は最低限に止めて就職活動に邁進する学生の方が企業からは好まれるものですし、高卒の場合でも商業科や工業科など、職業訓練に近いものを経験してきた生徒が企業から厚遇されているかと言えば甚だ疑わしいところです(就職率は高く見えても、入社後のキャリアは必ずしも……)。結局のところ、日本の会社は会社の「外」で身につけたものを評価したがらない、とりわけ学校で身につけたものを評価したがらないわけです。会社の与える教育を絶対視し、会社の外で得たものは「社会人になる」過程で捨てさせようとする、そうした社会では博士課程修了者など年増に過ぎないのでしょう。高等教育を軽視する社会や政治は、高等教育を軽視する労働環境のたまものでもあります。

 

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コメント (7)
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