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非国民通信

ノーモア・コイズミ

日本人ではないから悪いのか

2011-03-05 23:26:31 | ニュース

前原外相に進退論 外国人から献金受領 4年で20万円(朝日新聞)

 前原誠司外相は4日の参院予算委員会で、京都市内の在日韓国人の女性から政治献金を受け取っていたことを明らかにした。政治資金規正法は外国人からの寄付を禁じており、献金を受けた経緯や前原氏側の認識次第では同法違反の罰則にも問われかねない。自民、公明両党は外相辞任を要求し、民主党内からも辞任論が出はじめた。進退問題に発展する可能性もある。

 なにやら前原が「外国人」から献金を受け取っていたとかで新たな火種になっているようです。中身はと言えば4年間で20万円という慎ましい個人献金ですが、かつて「(二階俊博の方が献金額が大きいのに)小沢が責められるのはおかしい」と奇々怪々な主張を繰り広げていた人は、この金額の「慎ましさ」を前に何を思うのでしょうか。まぁ、世間一般では「外国人」から金を受け取ったことが大きく取り沙汰されているわけです。ダメなものはダメという決まりなのでしょうけれど、所詮は個人の献金ですから特定の団体や組織あるいは企業から金銭を受け取るよりは危惧すべき点は少ないようにも思われます。それでも「外国人」などとんでもないと、そういう感覚が根強いのでしょうね。

 今回のケース、前原は相手が外国籍と知った上で受け取っていたようですから既存の法を公然と無視したという点では非難の余地はありますが、じゃぁ今後は個人献金を受ける際には「おまえは日本人か!」と相手の国籍を確認しなければならないとしたら、それもまた世知辛いものです。法人や組織と関わりを持つなら取引先の信用調査をするぐらいは常識でしょうけれど、個人の場合にはどこまで踏み込むべきなのか、大富豪が1人で巨額の資金を提供するならいざ知らず、さしたる影響力など行使できるはずもない個人献金レベルの話です。日本人であるかを問うて神経質に「外国人」を排除しなければならないのか、その辺は問われてしかるべきでしょう。

 上で軽く触れたように個人と法人、私人と組織・団体では意味合いも大きく異なってきます。概ね前者には融通を利かせ、後者には厳格にというのが妥当なところと思われますが、昨今の日本社会の情勢を見るに、むしろ外国の影響が強まった方がずっとマシなのではないかという気がしないでもありません。しばしばグローバル化への批判、昨今ではTPP批判の文脈の中で諸外国は「日本を脅かす侵略者」のごとく位置づけられがちですけれど、でも日本の企業や政治って、そこまでして守るべきものなのかと疑問に感じるわけです。いっそのこと外国のそれに置き換えられた方がマシではないか、少なくとも今より酷くなることはないのではないか――その辺は極論であるにせよ、あまりに「外国人」あるいは「外国」の進出を警戒するのは弊害ばかりが多いのではないかと思います。

 

相撲界の外国人枠に翻ろうされる海外出身力士(リアルライブ)

 高島部屋に所属していた元幕下・大天霄(だいてんしょう)こと、高山健氏(旧名:ノロジンハンド・アユルザナ=26)が、無断で出された引退届により解雇されたとして、解雇無効確認や給与支払いを求めた仮処分申請について、東京地裁(伊良原恵吾裁判官)が日本相撲協会に対し、3月から2カ月ごとに15万円(場所手当相当)の支払いを命じる決定を、2月25日に出していたことが分かった。代理人は「解雇無効が認められず、支払額も請求の一部にとどまった」として、即時抗告などをする方針を明らかにした。

 大天霄は01年3月場所で初土俵。最高位は関取目前の幕下7枚目まで昇進したが、10年7月場所限りで、本人の合意なく、師匠の高島親方(元関脇・高望山)に引退届けを提出されたと主張している。最後の場所の番付は幕下10枚目だった。

 モンゴル出身の大天霄は09年11月に日本国籍を取得している。相撲界には外国人枠が存在する。かつては、1部屋2人以内、全体で40人以内の規定であった。これが、02年に40人枠が撤廃され、1部屋1人に変更された(変更時点で1部屋2人いた場合は可)。ところが、複数の外国人力士を所属させるため、親方が半ば強制的に帰化させる例が後を絶たなかった。大天霄もそのケースと思われる。この現状を是正するため、10年2月に外国人力士枠が外国出身力士枠に変更され、外国出身力士は帰化者を含め1部屋1人のみとされた。これにより、大天霄らが帰化までした意味はなくなった。

 高島部屋には大天霄をクビにした直後の10年9月に、モンゴル出身の10代の青年が入門。この青年はいまだ新弟子検査を受けていないもようで、大天霄との関連性は不明。だが、外国出身力士が1人しか在籍できないため、高島親方が大天霄を切って、この青年を選択したと見る向きもある。

 さて暴行致死はともかく八百長は大問題という「国技」の世界では、こういう事例もあるようです。「(外国人が)日本人と同等の権利が欲しいのなら、日本に帰化すべきだ」と言い放つ手合いには事欠きませんけれど、今度は帰化したところで「出身国」による差別が待っているのですから世話はないです。結局、日本国籍を取得したところで国外にルーツがあれば差別の対象とされる、それは角界に限らず、政界や一般社会全般でも同様ではないでしょうか。「外国人」からの献金をことさらに問題視している人の大半は、その「外国人」が日本国籍を取得したところで決して態度を変えることはない、また新たな非難の口実を見つけてくるはずです。

 

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こんな人でも政治家になれる辺りが、特にダメなんだと思うな

2011-03-03 22:46:36 | ニュース

“自虐”日本に驚く世界のエリートたち
――日本人の自国批判で傷つく人も(DIAMOND online)

 母校エール大学でのシニアフェローとしての任期を終え、先週からハーバード大学に移籍した。ここボストンでも、ありがたいことに刺激的な毎日である。エールでもハーバードでも、世界中から集まっている知識人と交流していると、一つだけ共通する反応がある。それは、「日本人ほど日本に厳しくて自虐的な人たちはいない」と皆がいうことだ。「自国に対して過剰なほどに自虐的な日本人」に世界の知識層たちは驚いているのだ。

 田村耕太郎という、自民党から民主党に鞍替えしたことで話題を掠った元議員がいます。自民党から民主党に乗り換えて、今度の選挙では河村や橋下の類と連携するような動きを見せたら、ある意味で日本の政治家としてはパーフェクトな経歴に思えないでもありませんが、その田村氏が果てしなく頭の悪い記事を書いています。まぁ掲載誌が掲載誌だけに生半可な頭の悪さでは驚くに値しないのですけれど、こういう子どもの作文レベルの代物が大手を振って罷り通る辺り、一面では日本の現状を象徴しているのかも知れません。 

 さて、さりげない学歴自慢で箔を付けることから「作文」は始まります。それによると「自国に対して過剰なほどに自虐的な日本人」に世界の知識層たちは驚いているそうです。いきなり「世界の知識層」と大風呂敷を広げる辺りに胡散臭さが爆発していますが、この辺は良しとしましょう。例えばまぁ、産経新聞の「溶けゆく日本人」みたいに著しく自虐的な言論が歓迎されているところもあるわけです。別に日本人の規範意識は低下していない、性道徳が乱れたりもしていない、「ゆとり世代」は先行世代より馬鹿なワケじゃない、にも関わらず自国民のモラルの低下を嘆いて止まない日本人は自虐的に振る舞っていると言えないこともないでしょう。ただ、それは厳密に言えば「自分」に厳しいのではなく「隣人」に厳しいのであって、自虐というよりは嗜虐に近いところもあります。この辺もまた大いに問題視される余地がありますが、しかるに田村耕太郎の挙げた例はというと――

 

日本人「日本政治は世界一ダメだ。総理がコロコロ変わって、だらしない」

中国人「投票できるだけましでしょう。われわれは政治家もトップも選べない。指導者層の批判なんて絶対できない」

アメリカ人「われわれは選べるけど、間違ったリーダーを選んだら4年間替えられない。この激動の時代にだよ」

韓国人「4年か。うちは5年間替えられないんだ。つい最近そのためにひどいことになった」

シンガポール人「うちはリークワンユーが建国以来31年間もやってたよ。結果はよかったけど、絶対批判できない」

アメリカ人「エジプトはムバラクが30年。いいリーダーが見つかるまでダメなリーダーを替え続けられるのは、“激動の時代”に悪くないんじゃないの?」

 まず最初に挙げられたのが政治です。日本は総理がコロコロ変わるからダメだという「日本人」に対して「世界の知識層」は「(自分の国は)リーダーを変えられない」と反論しているようです。確かにリーダーを「変えられない」ことのデメリットも存在しますが、では日本はリーダーを「変えられる」のでしょうか? 昨今では選挙を経ないリーダーの交代が相次いでいるのは日本在住者であれば当然ご理解されていると思います。日本はリーダーが「変わる」けれど、それは別に国民の意思で「変える」ことができることを意味してはいないはずです。どうにも田村耕太郎は「変わる」と「変える」の区別が付いていない、自動詞と他動詞の区別すら付けられないように見えますが、ともあれ政治家を(少なくともアメリカや韓国と同様に一定期間は)「変えられない」という点では日本も負けてはいません。その上で日本は総理がコロコロと変わるわけです。

 

日本人「日本では格差が開く一方だ」

インド人・ブラジル人・中国人・アメリカ人「はあ?スラム街ってあるの?親が子供の臓器を売ったり売春強制したりしてる?本当の貧困を見に来る?」

 次に貧困問題が挙げられています。この項目は異様に短いですが、にも関わらずツッコミどころは盛りだくさんです。まず、この作文全体に言えることですが比較対象国が限定されすぎています。田村耕太郎は「世界の知識人」と紹介していますが、そこにヨーロッパの知性は登場しません。日本を擁護する上で都合がよい(と、田村耕太郎が思い込んでいる)国しか出てこないわけです。そこで日本よりも格差が大きそうな国として上記4カ国が選りすぐられたわけですが、実態はどうでしょうか? 確かに日本よりも貧困問題が深刻な国は存在しますが、既に日本の格差はOECD諸国の平均を上回って久しいですし、その拡大も急速に進んでいます。仮に日本の「今」がインドやブラジルよりもマシであったとしても、それは「格差が開く一方」であることの反駁にはなっていません。

 そもそも日本だって売春矯正くらいはありますし、「スラム街」と呼ばれる地域が存在しないのは、単に「汚物を消毒」する手が早かっただけではないでしょうか。例えばホームレスを日の当たらないところに追いやって貧困問題を「なかったこと」にしているのもまた日本の一面です。ましてや欧米の定義ではホームレスに相当する住居を持たないネットカフェ難民なども急増中、餓死者だって今や珍しいものでは無くなりつつあります。こうした「本当の貧困」が日本に存在しないかのごとく語れるのは、その話者が自国の貧困問題から目を背けてきたという事実を証明するだけのことです。

 

日本人「新卒の内定率もとうとう7割を切ったよ」

韓国人「えっ?まだ6割以上が卒業してすぐ就職できるの?韓国は4割台だと思う。TOEIC900点でも就職できない」

中国「それ恵まれすぎだよ。中国は経済が高成長しているけど新しい大学がどんどんできて競争はますます激しい。学生は専攻も語学もすごい勉強しているけどすぐ就職できるのは3割くらいだ。だから皆世界中どこへでも出かけて行って就職を探す」

ブラジル・インド「新卒内定率って何?そんな統計できるの?若年失業率なら3割から4割の間かな?」

アメリカ「まだ7割近くがそんなことしてるの?インターンもさせずに雇うの?学生もインターンせずに会社に入るっていうのは、同棲もせずに結婚するのと同じか?」

 で、この辺も本当にどうしようもありません。この場合の「新卒の内定率」とは大卒者の場合を指しているのでしょうか(日本では大卒者の就職難ばかりが報じられ、多数派である非大卒者の就職事情は語られないものですから。ちなみに学校基本調査によると、2010年3月卒業者の就職率は60.8%と、「7割を切った」というより「6割を切りそう」と語った方が適切に思われます)。そうであるなら大学進学率が9割近い韓国と、5割程度しか大学に進学する人がいない日本との事情の違いは考慮すべきですね。大学生が多くて就職難の韓国と、大学生が少ないのに就職難の日本、同じ就職難でも評価は当然ながら変わってきます。

 そもそも新卒限定で内定率を問う意味がある国と、そうでない国があるはずです。しばしば新卒一括採用は日本の特異な採用慣行として語られるものですが、他の国はどうなのでしょうか。基本的に日本では新卒者と「社会人」経験者が競合することはありません。学校を出たばかりのヒヨッコと「社会人」経験者が同じ土俵で競い合わなければならないとしたら、それは当然のことながら「新卒の就職は厳しい」ことになりますが、日本ではまず第一に新卒者専用の採用枠を設け、新卒者だけに雇用機会を与えているわけです。しかもその新卒専用の雇用枠は中途採用の枠よりも遙かに大きい、加えて昨今では中途採用を減らして新卒採用にシフトする企業が相次いでいます。このような異常な新卒優遇の採用が行われているにも関わらず「新卒でさえ」就職難の日本と、新卒者を特別扱いすることなく他の経験者と競い合わせる国がゆえに「新卒だから」就職難の国とでは、これまた当然ながら評価は異なってしかるべきでしょう。

 ついでに言えば、新卒で就職できなかった際のリスクが日本と新卒一括採用「ではない」国とでは根本的に異なります。新卒で就職するとは限らない、別に新卒でなくても不利にはならない社会であれば、それこそ「新卒内定率って何?」ということになるのかも知れませんが、しかるに新卒を絶対的に優遇している反動として、新卒でなくなった場合の就業機会が致命的に制限される日本では、新卒で就職できるかどうかは極めて深刻な問題です。この採用慣行の違いを無視して、他の国も新卒の就職は難しいのだと言い放ったところで何の意味もありません。

 

日本人「やっぱり時代の寵児はシンガポールだね!直近も15%成長なんてすごいね。日本からも資産家が移住している」

シンガポール人「逆だろ。日本人になりたいシンガポール人の方が多いよ。日本は固有の文化があるし、四季もある。シンガポールは狭いし、常夏だし、表現の自由もないし。世界中で“明るい北朝鮮”って揶揄されていること知っているよ。規制もいっぱいで堅苦しい。リークワンユーがいなくなったらどうなるかわからない。英語の公用語化はよかった。これで世界へ脱出できる!」

 ……で、これが最後です。日本人曰く「やっぱり時代の寵児はシンガポールだね!」だそうです。今時シンガポールを時代の寵児と絶賛する日本人なんて絶滅危惧種に近い気がします。まぁ、仮に「日本人」がシンガポールの経済成長を羨んでいるとして、それに対する「シンガポール人」の反応はどうでしょう。「日本は固有の文化があるし、四季もある」とか、なにやら日本のネット愛国者みたいな台詞を語らせていますけれど、シンガポールにだって固有の文化はありますし(どこの国にだってあるものです、日本だけが特別に持っているものではありません!)、そもそも四季の有無は優劣の問題ではない、別に常夏のシンガポールに比べて四季のある日本が上位に位置するとかいった類ではないはずです。何より「日本人」はシンガポールの経済を賞賛しているのに、「シンガポール人」は経済成長については一切を無視しており、話は全くかみ合っていません。

 

 どうにも田村耕太郎が壁に向かってつぶやいた妄想にしか見えない「世界の知識層」の反応を引用してきましたが、どれ一つとして日本の現状を擁護できるものになっていないことは、ある意味で興味深いと言えます。勿論どこの国にも相応の問題はある、何一つとして問題を抱えていない理想郷は存在しませんけれど、だからといって「他の国もダメだから」と日本のダメさ加減を相殺することはできないわけです。本当に「自国に対して過剰なほどに自虐的」なのか、それとも本当に反省すべき点があるのか――その辺は上記に挙げたような無理な擁護しかできない、いかに話を作ったところで問題からは逃れられていないところから推して知るべしです。

  

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日本の現実

2011-03-01 23:21:34 | ニュース

今期営業益1700億円超に=更生計画の2.6倍以上―日航(時事通信)

 会社更生手続き中の日本航空が2011年3月期の連結営業利益を1700億円超と見込んでいることが25日、明らかになった。昨年8月末に東京地裁へ提出した更生計画では641億円の見通しだったが、コスト削減の徹底により2.6倍以上に膨らみ、過去最高益となる見通しだ。手元資金が増えることで、経営課題である資金繰りの改善や財務基盤の強化が進むことになる。 

 相も変わらず賃金水準が下がり続ける昨今ですが、日航は過去最高の営業利益を記録する見通しだそうで、何とも景気のいい話です。しかるに、日航が不法な「整理解雇」を強行してきたことは記憶に新しいところでもあります。増収増益でも人員削減、給与カットは当たり前なのが日本的経営というものなのでしょうけれど、過去最高益を記録してもなおクビを切られるというのであれば、ちょっと操縦桿をひねってどこかに突っ込んでやりたい気にもなりますよね。

 かつて小泉純一郎は「景気が回復したら、改革する意欲がなくなってしまう」と語りました。好景気では構造改革という名の破壊を正当化しづらくなってしまう、だからこそ景気回復は避けねばならなかったわけです。そして日航に出資した銀行の関係者は「資金繰りの心配が薄れると、リストラが緩む」との警戒感を見せたことが伝えられています(参考)。経営難や資金不足を口実とすればリストラも正当化しやすいけれど、業績好調で手元資金も潤沢とあらばリストラを正当化できなくなってしまう、そうなってしまうことこそが警戒されていたのでしょう。

 この景気の良い「見込み」があったにも関わらず、日航は整理解雇を強行しました。業績からすれば当然、社員を残すことは可能だった「のに」、解雇に踏み切ったわけです。会長の稲森でさえ、解雇した社員を残すことは可能であったかと言えば「経営上不可能かというと、そうではない」と漏らしています(参考)。むしろ残すことが可能だった「のに」解雇したのではなく、残すことが可能だった「から」解雇したと考えるべきなのかも知れません。決算が終わって、過去最高益が記録されてしまえば不当な整理解雇への理解は得にくくなります。だからこそ、好業績が明らかになるより先に解雇を済ませておきたかった、それが性急な整理解雇の本当の理由なのでしょう。

 小泉にとって改革とは景気回復のための手段ではなく目的であったように、日航ひいては日本の企業にとってのリストラもまた、経営改善のための手段ではなく目的そのものなのでしょう。なにしろ日本のエグゼクティヴにとっては労働者こそ打倒すべき階級敵なのですから(参考)、まず何よりも労働者のクビを切ること、賃金を抑制することの方が優先されるわけです。だから「資金繰りの心配が薄れる」という本来なら喜ばしいことですら警戒の対象にされてしまう、これこそ日本的経営と呼ばれるべきものです。

 諸外国では一定の要件を満たせば解雇可能だが、日本では要件を満たさないと解雇できない――そう経済系のメディアでは盛んに語られています。経済系の論説の頭の悪さを象徴するかの如き物言いでもありますが、建前はさておき実態はどうでしょうか? 日航のような大企業でも、解雇要件を満たさないままリストラが強行されているわけです。しかも日本の監督官庁は決して主体的には行動しません。解雇に抗うためには、個人なり団体なりで裁判に訴え出るしかありません。アメリカのように訴訟へのハードルが低い社会ならいざ知らず、日本ではなかなか裁判で争うのは難しいところですし、日航のように組合があれば団体で訴えることもできますが、労組など存在しない企業が圧倒的多数を占める日本の場合は個人での行動を余儀なくされ、個人の無力さから泣き寝入りを強いられるのが現実です。結局のところ、日本における解雇規制とは経営側の良心次第という極めて脆弱なものしか存在しないと言えます。

 良くも悪くも日航は「国」との関わりも強い、日本を代表する企業です。その日航において、業績好調であるにも関わらず、解雇を回避する努力も見られないまま、特定労組加入者や特定の年齢層を狙い撃ちにするなど恣意的な選択による不当な解雇が強行され、それが黙認されるとしたら、まさしく国が不当解雇にお墨付きを与えているようなものです。経済誌に書かれているような社員が法的に保護されたユートピアからはほど遠い、合理的理由を欠いた「自由な」解雇が罷り通る現実がそこには厳然と横たわっています。

 

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民主党マニフェストがいかにいい加減なものだったかが改めてはっきりした

2011-02-27 23:37:33 | ニュース

子ども手当2万6千円、「議論当時びっくり」 首相答弁(朝日新聞)

 菅直人首相は24日の衆院本会議で、民主党が2009年衆院選マニフェスト(政権公約)で子ども手当の支給額を月額2万6千円としたことについて、「議論がなされている小沢(一郎)代表の当時、ちょっとびっくりしたことを覚えている」と答弁した。党代表の首相が公約の実現性に当初から疑問を持っていたことを自ら示した発言だ。

 民主党のマニフェストでは、小沢代表時代の07年参院選以降、子ども手当は月1万6千円から2万6千円に増額された。この日の本会議での首相の発言は、社民党の阿部知子政審会長が「現実の財政状況で満額支給は当面不可能」などと問いただしたことに答えたもので、議場は一時騒然となった。

 野党は反発し、自民党の谷垣禎一総裁は「小沢さんが提案したものだから責任を負わないぞ、と言っているように聞こえた。無責任極まる発言だ」と指摘。公明党の石井啓一政調会長も「民主党マニフェストがいかにいい加減なものだったかが改めてはっきりした」と批判した。

(中略)

 一方、首相周辺は戸惑う。岡田克也幹事長は「最終的に我々はマニフェストを選んでおり、びっくりしたけど合意したということだ」。政府高官は「首相は正直なのだが、本当のことを言ってはいけない時もある」と漏らした。

 そりゃまぁ、私だって民主党の公約の実現性には政権交代前から疑問を呈してきたわけですけれど(財源もさることながら民主党の「本気」に疑わしい部分が感じられましたから)、当時から民主党の幹部であった人間にそれを言われたくはないものです。経済系の言説がそうであるように、とかくお金の動くところほど根拠などなくとも力強く断言してしまえばそれで済まされるところがありますが、首相にしてこの体たらくなのですから日本が凋落を続けるのも当然の帰結でしょう。とりあえず明らかになったのは、菅直人が実現性に自らも疑問を感じている公約を掲げて、有権者に支持を訴えてきたということです。もっとも有権者側に民主党の公約の実現性を判断する材料が与えられていなかったかと言えば決してそんなことはなかったわけで、有権者は「騙された」のではなく、ただただ考えることを止めて「信じた」のだと見るべきだと思います。

 

岡田幹事長に怒声=神奈川県連パーティー―民主(時事通信)

 民主党の岡田克也幹事長が25日、横浜市内で開かれた党神奈川県連のパーティーで出席者から激しいやじを飛ばされ、会場内が騒然となる場面があった。菅直人首相の政権運営や小沢一郎元代表の処分をめぐり党内対立が先鋭化する現状に、統一地方選を控えて危機感を強める地方組織が不満を爆発させた形だ。

 岡田氏があいさつで、衆院選マニフェスト(政権公約)の見直しに理解を求めたのに対し、「マニフェストを守れ」「挙党態勢ちゃんとやれ」などと怒声が上がった。これに対し、岡田氏も「誰が見てもできないことをいつまでもできるというのは、まさしく国民に対する不正直だ」と、開き直って応酬した。 

 さて、冒頭のニュースで岡田は「最終的に我々はマニフェストを選んでおり、びっくりしたけど合意したということだ」と述べています。しかし、岡田自身が別の会場で見せたマニフェストへの姿勢はどうでしょうか? 曰く「誰が見てもできないことをいつまでもできるというのは、まさしく国民に対する不正直だ」とのこと、産経新聞のように民主党を目の敵にしている新聞ではなく、簡潔すぎて退屈な報道が特徴の時事通信からさえ「開き直って応酬した」と書かれてしまう有様です。岡田もまた幹部として「合意した」はずのマニフェストを反故にすることを、屁とも思っていないことがわかります。

 ただ世論調査が示す結果を見る限り、民主党の掲げた公約は決して有権者の支持を集めたものではありませんでした。幅広く支持されたのは一部の公務員叩き的なものだけで、子ども手当のような類は賛否両論がいいところだったはず、むしろ公約実現のための手段、財源捻出のための手段として掲げられた「ムダ削減」の方にこそ有権者の期待は寄せられていたわけです。だから菅内閣のマニフェスト撤回の動きは必ずしも民意に反するものとは言い切れないのですが、とはいえ自らが有権者に約束してきたものを軽々しく撤回するような政治家が非難されるべきなのは当然でしょう。ましてや、その約束が実は自らも実現の可能性を疑わしく思っていたものとあらばなおさらです。選挙と求人広告には嘘が許されるのが慣例ですけれど、実現不可能とわかっているものを「できる」と言って契約を迫るとしたら、それは詐欺以外の何者でもありません。

 岡田は自党のマニフェストを「誰が見てもできないこと」と語っています(外国人地方参政権とか民法改正とか、財源とは無関係な公約はいずこへ?)。それは政権交代前から同じであったはずなのに、今になって「誰が見てもできない」などと言を翻すのはどうでしょうか。選挙で国民に嘘を吐いたことの責任を取って政界から永遠に身を退こうとする段階での発言なら理解できますが、今後とも閣内に居座ろうとしている人間がこれを口にするのですから呆れるほかありません。岡田には「誰が見てもできないこと」を有権者に約束した、その詐欺行為の責任が問われてしかるべきです。

 しかるに最悪なのは、菅内閣を追い落としたところで、それに取って代わるのは「さらにタチが悪い」連中であろうということでもあります。往々にして現状の停滞感に乗じた台頭してくる連中は、その前任者以上に有害な破壊者ばかり、政権は「変えれば変えるほど悪くなる」のが実情です。しかも昨今では台頭著しいポピュリストに靡いているのが無党派層とは限らない、名古屋市長選でもわかるように既存政党支持層、とりわけ民主党支持層がポピュリストに靡く傾向も強まっています。民主党内の現執行部に反発している勢力もまた、「維新」と称して河村や橋下の類と連携を模索する動きが盛んです。あの菅よりもタチが悪い連中が勢力を伸ばそうとしている政治って何なんだろうと嘆息せざるを得ません。まぁ「誰が見てもできないこと」を掲げた党に投票してしまうような有権者なのですから、次もロクなのを選ばないこと請け合いです。

 

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カッコーの巣の上へ

2011-02-23 23:02:36 | ニュース

<特集ワイド>ご存じですか? 20~30代で受診増「大人の発達障害」(毎日新聞)

 大人の発達障害が注目されている。これまでは子どもの障害とされていたが、大人になっても症状が残る人がいる。特に20~30代で発達障害を疑って受診する人が増えているという。大人の発達障害とはどのようなものなのか。

(中略)

 会を主宰する冠地情(かんちじょう)さん(38)は「発達障害の人の多くは、学校や会社で『努力が足りない』『相手の気持ちを考えろ』などと散々叱られ、自信をなくしている。自己肯定感を取り戻すことが重要です」と話す。

 熊谷みゆきさん(33)は、約20社で契約社員などとして働いたが、いずれも人間関係になじめず辞めた。幼いころから自分から人に話しかけられなかった。小学生の時に先生から「あの子に委員会があると伝えておいて」と頼まれたのに、話しかけるタイミングがつかめず伝え損ねて叱られたことを今も覚えている。

 昨年9月まで1年半、テレホンオペレーターとして勤務。比較的単純な受け答えが中心の間は何とかこなしたが、用件の予測がつかない社内の電話も受けるように指示された途端、うまくいかなくなった。相手の声が言葉として聞き取れず、伝言もあいまいな説明しかできなかった。

 何度注意されても改善できず、次第に朝起きるのがつらくなり、出社してもトイレに閉じこもる時間が増えた。昨年6月に発達障害と診断され、仕事を辞めた。一つよかったことは、人と違うことばかりする熊谷さんに絶縁を言い渡していた姉が、障害と分かってからは一番の理解者になってくれたことだ。

(中略)

 「大人の発達障害がわかる本」(洋泉社)を監修する吉祥寺クローバークリニック(備瀬(びせ)哲弘院長)を、発達障害で受診する人はここ2、3年で約2倍に増え、特に20~30代が多い。備瀬院長は「啓蒙(けいもう)が進み、メディアが取り上げる機会が増えたこと」を要因に挙げる。20~30代に多いのは、就職を機に問題が表面化することが多いからだ。

 発達障害は先天的に脳の機能が偏ることが原因で、知的発達に問題のないケースも多い。学生時代は成績も悪くなく、気の合う友達と付き合うだけでも済むため障害が見過ごされやすい。しかし、就職するとより高度な社会性や協調性、コミュニケーション能力が求められ問題が顕在化する。

 例えば児童虐待なんかが典型的ですが、実態は大差なくとも社会的な知名度が上がることで認知件数が飛躍的に増加することがあります。従来は水面下に隠れていたものが、急に顕在化し出すこともあるわけですね。そこで今回、発達障害の受診件数が急増していることが伝えられています。ただ記事が伝えているところを見ると、どうも受診件数が増えているだけであって、実際に発達障害として診断結果を下される人が増えているかというと巧妙に言葉が濁されているフシがありますので、その辺はちょっと怪しいところです。まぁ、急に発達障害の人が増えるはずもありません。確実なのは、自らを発達障害と疑うようになる人が増えているということです。

 引用元では「発達障害は先天的に脳の機能が偏ることが原因」とされていますが、こういう風に説明されると「誰だって偏っているに決まってるだろうが」と言いたくもなります。映画「カッコーの巣の上で」でジャック・ニコルソンが精神病院に収容され自由を奪われている患者達を指して、「町を歩いているバカどもと変わるもんか」と言い放つシーンがありますけれど、誰だって欠けているところ、抜けているところがあるわけです(それに無自覚な人は多いにせよ)。実際のところ、ちょっと尺度が変われば誰だって障害を持っているのではないかという気がしますね。

 一方で「就職を機に問題が表面化することが多い」、そして「(学生時代は)障害が見過ごされやすい」とも伝えられています。要するに学生生活を送る上では何の支障もない人でも、昨今の就業環境においては障害者となってしまうわけです。果たしてこれは、本人の障害の問題なのでしょうか? 超・買い手市場に甘やかされた雇用側が従業員に完全無欠であることを要求するが故に、職場で「欠陥」を露呈する人が増えているだけではないでしょうか。「コミュニケーション能力」と称して社員にエスパー並みの「気の利かせ方」を求めるなら、それに適応できない人が続出するのは当たり前の話です。

 順番が前後しますが、中段で紹介されている熊谷みゆきさん(33)の事例には興味深い点があります。何でも「熊谷さんに絶縁を言い渡していた姉が、障害と分かってからは一番の理解者になってくれた」そうです。これをどう見るべきでしょうか? 逆に言えばこのお姉さん、「障害」と認定されない間は決して理解者となってくれなかったことを意味しています。この辺もある意味、日本的なのかも知れません。本人に何ら変化がなくとも、医師が下した診断結果次第で周囲の対応が180°変わることも珍しくないわけです。

 たとえば、生活保護申請の場合を思い浮かべてください。本人の窮乏状態もさることながら、ものを言うのは医師の診断書だったりすることも多いのではないでしょうか。職場においても、「障害」と診断されないうちは罵声が飛んでくる一方で、「障害」と診断されると腫れ物に触れるような扱いになったりすることも少なくないはずです。診断の前後で本人には何の変化はなかろうとも、医師がどう診断を下したかどうか、それ次第で周りの人間は態度を変えるものです。診断を受けることで変わるのは「患者」ではなく、「患者」を取り巻く周囲の人間と言えます。

 引用した記事で触れられているように、発達障害を疑って「受診する人が増えている」わけです。いったいどういう意図で受診しているのでしょうか。もちろん、自身が発達障害かどうかをはっきりさせたい、発達障害であるなら何らかの手段で治したいと、そう思っている人が大半でしょう。しかし、そうした人々の中にも「『障害』として認定を受けたい」という願望もあるような気がします。熊谷みゆきさん(33)のケースを考えてください、熊谷さんは「障害」として診断されることで初めて、姉から理解を得ることができたのです。自分ではなく、周りの対応を変えるために受診している人が多かったとしても、もはや不思議に感じることはありません。

 結局のところ、学生生活を送る上では何ら支障がないレベルの「偏り」でさえ、昨今の就業環境においては深刻な欠陥となり、社会から排除される要因となってしまいます。障害がないのであれば、「できて当たり前」が無制限に要求されるものです。そして、このような労働環境における免罪符の代用品が、医師による「障害」という診断結果になっているかも知れません。診断書がなければ「努力が足りない」として罵倒されるばかり、「ちょっとぐらい欠点や偏りがあってもいいじゃないか」みたいな感覚は通用しない、それこそ「甘え」のごとく扱われるものです。しかるに「障害」として認定されることで初めて「障害なら仕方がない」として周囲の非難から逃れられるようになるとしたら、「障害として認定されたい」という思いで受診に踏み切る人が増えたとしても驚くには値しないでしょう。医師の診断書でもなければ「つらさ」を理解してもらえない、追い詰めた人が増えれば増えただけ、受診が増えている、そんな因果関係であるようにも思えます。

 

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反発を頂くような行動や中身は一つもない

2011-02-21 23:49:16 | ニュース

反発頂く行動や発言ない…枝野長官が不快感(読売新聞)

 枝野官房長官は20日、自らの北方領土視察に関するロシア側の反応について、「私の行動も発言も、(ロシアの)反発を頂くような行動や中身は一つもない」と述べ、不快感を示した。

 視察後に訪れた北海道白老町で記者団の質問に答えた。

 枝野氏は19日に上空から国後島と歯舞群島を視察した。20日には根室市の納沙布岬から歯舞群島を視察し、記者団に「一刻も早くはっきりと先が見えるような状況で、島を見つめて頂けるよう努力する」と語った。

 アホの枝野が外国に対して挑発的な言動を取るのは毎度のことですが、それに対して「反発を頂くような行動や中身は一つもない」などと述べているそうです。これを本気で言っているとしたら、その頭の悪さには呆れるほかありません。とりあえず今回、発言の是非に関しては保留するとしましょう。日本側の一方的な言い分であって国際的に通用するものではない、あくまで国内向けのパフォーマンスであって他国に対する呼びかけとしては意味をなしていない等々ツッコミどころはありますが、まぁ立場上はやむを得ない発言でもありますから。

 ただ、どのような発言であれ、それがどういう結果を招くかについて理解できないようであれば、官房長官としての能力不足を問わざるを得ません。床屋政談ならいざ知らず、発言には責任を伴うのが政治家というもの、それも与党幹部ともなればなおさらです。にも関わらず、予測されてしかるべき相手の反応を理解できていないとしたら政治家失格と言う他ないでしょう。

参考、悪いのは相手だとしても

 どちらが良い、悪いかというのを単純に決められるケースは滅多にないですけれど、仮に相手が「悪い」と決まっていたとしても、だからといって自らの「正しさ」を一方的に主張すれば済むというものではありません。子供の喧嘩ならともかく国家間の外交である以上、求められるのは「どちらが正しいか」ではなく、「上手くやる」ことです。枝野は毎度ながら、日本側の「正しさ」を言い放っては「反発を頂くような行動や中身は一つもない」と踏ん反り返っているようですが、結果としては徒に相手国の反発を招いているだけです。相手国と交渉して好条件を引き出すような駆け引きは皆無、ただ「俺は正しい」と主張するだけの子供じみた態度でしかありません。しかし、こうした考え方は枝野の個人的資質の問題ではなく、国民感情もまた枝野と同レベルと思われる辺り、なおさら頭の痛いところです。

 

内閣支持率20% 発足以来最低 朝日新聞世論調査(朝日新聞)

 朝日新聞社が19、20日に実施した全国定例世論調査(電話)によると、菅直人内閣の支持率は20%で、昨年6月の内閣発足以来最低となった。不支持率も62%で最高。また、菅首相の進退について聞いたところ、「早くやめてほしい」が49%で、「続けてほしい」の30%を上回った。

(中略)

 一方、民主党内の小沢一郎元代表に近い国会議員から菅首相の退陣を求める動きが出ていることについては「評価する」が19%で、「評価しない」が69%に上った。

 政治資金問題で強制起訴された小沢氏に対し、民主党が裁判終了まで党員資格を停止する処分を打ち出したことについては、「適切だ」が52%、「軽すぎる」が28%、「重すぎる」が9%だった。

 小沢氏が、検察審査会が決めた強制起訴と検察の起訴とではまったく違い、議員辞職や離党を必要ないとしている主張については、「納得できない」72%が「納得できる」17%を大きく上回った。

 一方、日本国内の有権者に向けては「反発を頂くような行動や中身は一つもない」と言っても良いのではないかという気がします。菅内閣ひいては与党民主党への支持は減り続ける一方ですが、しかし「反発を頂くような行動や中身」はどれだけあるのか、よくよく考えてみると意外に怪しいものです。それはもちろん、左派からすれば逆進課税を進めようとする菅内閣は許容しがたい存在と言えますが、世間一般の無党派層からすれば敢えて菅内閣に反発すべき要因はほとんどないように思われます。ただ何となく「ダメっぽい」という沈滞感だけで、見限られているフシはないでしょうか?

 菅内閣をもっとも強く攻撃しているのは、自民党よりも小沢一派にすら見える昨今ですが、この小沢一派の動向を評価する向きはほとんどありません。小沢への党員資格停止処分に関しても過半数から「適切だ」との評価を得ています。じゃぁ、菅内閣が支持されたって良さそうなものです。しかし菅内閣の支持率は下がり続けています。

 他には何かあるでしょうか? 法人税減税や消費税増税といった逆進化だって、必ずしも有権者の反発を買っているとは言い難いところです。民主党と同様に法人税減税と消費税増税を唱えてきた党だって特に支持率を落としているわけでもない、逆に議席を増やしていたりもするのですから、この辺が支持率を落とす要因となっているとは考えにくいところです。ではマニフェスト放棄に関してはどうでしょう? 最新の世論調査はこれから出てくると思われますが、マニフェストに記載された個々の政策への支持は、政権交代直後の民主党の絶頂期においてさえ、決して高いものではなかったことを思いだしてください。民主党は支持するけれども、民主党が看板に掲げた政策は支持しない人が多かった、民主党そのものの支持率は高いけれど、マニフェストの個別の項目への賛同者は少なかったわけです。ならばマニフェストの放棄もまた、世論の離反を招く要因としては合理性を欠くと言えます。

参考、国民が民主党に期待するもの

 自らが責任を負うべき立場に立って、以前ほど無責任な官僚叩き、公務員叩きができなくなったのもありますけれど、菅内閣がやってきたことを具体的に思い起こしてみると、それが必ずしも世論の反発を招くようなものであるとは考えにくいのです。枝野だけではなく菅だって十二分に世論に媚びた政治家であり、実際のところ国民の要望に添った政治を続けているのではないでしょうか(だからこそ日本は沈滞の度合いを深めるわけですが)。世論に抗って大きな政府へ踏み出したわけでもないのに支持率が急落するとしたら、それこそ「反発を頂くような行動や中身は一つもない」を不快感を示しても良さそうなものです。

 

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もう「日本」には期待しない方が良いんじゃないかと思った

2011-02-19 23:20:31 | ニュース

コメ31%牛肉46%高騰、20年農水省試算(読売新聞)

 農林水産省は18日、新興国での需要の増加などによって食料価格の上昇傾向が続くとした「世界の食料需給見通し」を発表した。

 2020年には穀物価格が08年に比べ名目で24~35%、肉類が同32~46%値上がりすると予測している。18日からパリで開かれる主要20か国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議では、食料価格高騰が主要議題となる見通しで、価格安定に向けた対応が焦点となる。

(中略)

 需給見通しは、農水省が独自の計算モデルを使って試算している。

 「農水省が独自の計算モデルを使って試算」だそうです。とかく官僚や省庁の類は全否定されがちですが、こういうケースの信頼度はどうなんでしょう。農業に関しては農水相の官僚や族議員といった普段なら国民の敵とされる人々の方が保護政策に熱心だったイメージがある、概ね世論に近いところにあるような気もします。天下りにしても鯨研みたいなのは批判の対象とならないようですし、日本「人」の優位を説くような言説には眉を顰める人も日本「食」の優位を説くことには無抵抗で、食生活の欧米化=悪みたいな言説も垂れ流されがちです。食料論議もまた経済論議と並んでトンデモやダブスタが罷り通りやすいところなのかも知れません。

 今回の試算からわかるのは、需要増加などよりも天災の方がよほど影響が大きいということですね。2008年から2020年までの12年間で、食料価格が僅かに3割程度しか上昇しないということの方が、私にはむしろ驚きです。日本「以外」の国なら12年もあれば名目GDPも3割くらいは上昇するでしょうから、日本人以外が苦労することはあまりなさそうに見えます。一方で経済成長を止めた日本だけは例外となりそうですが、だからといって市場を閉ざしたところで何の解決にもなりません。まぁ、他国から食料を買えなくなるほど貧しい国は必然的に数値上の食糧自給率が高くなりますので、そうなったら農水省としては目標達成となるのでしょうか。

 菅の唱えるTPP参加は不評ですが、小沢の唱えていたアメリカとのFTA締結はどうだったんだろうと思わないでもありません。小沢の対米FTAはスルーで菅のTPPは叩くとしたら、まぁ「小沢先生なら何とかしてくれる」ってことなのでしょう。とりあえず私としては他国を侵略者と見なすような見解には頷けない、仮に他国が日本への侵略者たり得るとしたら、それに対して採るべきは交流を閉ざすことではなく互恵的なパートナーとなるべく努力することではないかという気がしますし、他国との関係悪化を自明の真理として防衛手段を整えるよりも良好的な関係を保つことの方に重きを置くべきではないかとも考えるわけです。それが軍事であろうと食糧問題であろうとも。

 

民主・原口氏が維新の会…橋下知事らと連携へ(読売新聞)

 民主党の原口一博前総務相(衆院佐賀1区)は13日、佐賀市内で開かれた民主党県連常任幹事会で、地域主権の推進を目的に掲げた政治団体「日本維新の会」と「佐賀維新の会」を結成する考えを明らかにした。

 大阪府の橋下徹知事や名古屋市の河村たかし市長らとの連携を目指すという。

 佐賀県内の民主党系議員や首長らに参加を呼びかけ、佐賀維新の会を今月中にも結成、その後、自身が代表となって日本維新の会を発足させ、全国的なネットワークづくりを進めるという。

 総務相当時、地域主権を推進していた原口氏は、「地域主権を前進させる人はすべて同志。改革を進める力を結集し、幅広く支援できる団体にしたい」と語った。

 さて民主党の分裂が決定的になった昨今ですが、こんな動きもあるようです。東京でも同様に「東京維新の会」を結成、橋下や河村と連携する動きがあることも伝えられています。そりゃ民主党は(鳩山の頃から)ダメだと思いますが、そこから距離を取って行き着く先が橋下と河村であるなら、なおさら事態は悪化してするばかりでしょう。しかるに有権者サイドはどうなのか、先の名古屋市長選では無党派層よりも熱心に民主党支持層が河村たかしを支持する有様です(参考)。自民党はもうダメだから別の政党を、民主党はもう救いようがないから別の政党を、そういう選択は結構なのですが、結果としてより悪いところへと流れていくばかりだとしたら事態は絶望的です。もはや日本には自力で復興できる可能性が失われているかに見えてきます。

 菅は「平成の開国」だの抜かしていますけれど(「維新」を掲げる連中と、好む言葉は似ていますね)、私が期待したいのはむしろ「平成の敗戦」です。とりわけ日本の政治文化や日本の企業文化には、もう未練などありません。日本的な政治、日本的な職場環境などはさっさと破壊されて、どこか他の国のそれに置き換えられる、グローバルな水準のものに置き換えられた方が、ずっとマシなのではないでしょうか。少なくとも今より悪くなることなど、とても考えられないですから。

 

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採用に積極的な業界ですから

2011-02-17 23:30:30 | ニュース

光回線の強引勧誘に苦情増 クーリングオフ適用外が背景(朝日新聞)

 インターネットの光通信サービスの契約を巡る消費者トラブルが増えている。「強引な勧誘を受けた」などの苦情相談が、全国の消費生活センターに2010年度は11月までで3500件を超え、前年度同期の約1.6倍。クーリングオフ(無条件解約)などを定めた特定商取引法が、契約代理店など電気通信事業者に適用されないことも、増加の背景にあるようだ。

 昨年夏、埼玉県久喜市の男性会社員(42)宅に、光通信サービスの代理店を名乗る男性営業員が訪ねてきた。「いまだにADSLを使っているなんて。絶対に損はないから乗り換えて」。留守番をしていた母親(73)に契約を持ちかけた。「いりません」と言って帰らせても、週に3、4回来ては1、2時間も勧誘を続けたという。根負けした母親が息子名義で契約。男性は代理店に苦情を言い、契約解除したが、代理店契約を結んでいた通信会社にも苦情を言うと、「どこが問題なのかと、取り合わなかった」という。

 光通信はインターネット回線の一つで、従来主流だったADSLに比べ、大容量のデータを高速で通信できる。動画や音声を送受信する機会が増えたことなどで需要が高まり、通信会社が直接販売するほか、通信会社と契約を結んだ代理店が戸別営業に回っている。同じ地域で多数の代理店が営業活動をするなど業者間競争が激しくなっている。

 経済誌や就活本の類をいくら読んでも永遠に知ることはできないけれど、直近で就職活動をしたことがあれば簡単に気づくことと言うのも多いと思います。エコノミストやコンサルタントの類が「見ないで済ませる」「なかったことにする」代物には事欠きませんから。アホなコンサルの著書を鵜呑みにして、すっかり裸の王様になっている人もまた多いわけですけれど、そうこうしている間にも日本社会は経済を中心に着々と衰退を続けています。

 さて光回線の強引な勧誘に苦情が増えているそうです。まぁ、そうなんでしょうね。何となくわかる気がします。だってほら、光回線の勧誘をする仕事の求人って恐ろしく多いですから。あれだけ盛んに求人を出している業種であるなら、その営業活動が活発であろうことは容易に想像が付きます。業態としては「押し売り」と呼ぶのが実態を正しく伝えているのでしょうけれど、その辺の内実は丁寧に包み隠して至る所に求人が出ているわけです。以前にも同様に強引な勧誘が問題視されているマンション販売業を取り上げたことがありますが(参考)、それと比べても通信回線経の押し売りは求人が多いように見えます。かつてはタクシー業界が「雇用の受け皿」みたいに言われたものですが(実際に受け皿として機能したかははなはだ怪しいものです)、今「雇用の受け皿」と呼ばれるにふさわしいだけの求人を出しているのは、こうした押し売り・勧誘系のビジネスと言えそうです。そして勧誘系ビジネスの中でも特定商取引法の規制の適用外となる通信関連は、とりわけ営業活動にも採用に積極的になるのでしょう。

 強引な勧誘を受ける側の人にとっては迷惑この上ないでしょうけれど、勧誘する側だって必死なんです。相手のニーズなど考えている場合じゃありません。とにかく契約を取らなければ自分のクビが危うい、こんな仕事でも続けざるを得ない、生きるためには人の心を捨てて戦闘機械にならなければならない、アフリカ辺りの紛争国の少年兵みたいな状況に置かれている労働者も多いはずです。他に選択肢があれば、こんな道を選ぶ人などほとんどいないと思いますが、「生きるためにはそれしかなかった」みたいな状況に追い込まれている人は増加の一途にあるのではないでしょうか。

 学生に対して「中小へ目を向けよ」などと説くのが昨今の流行りですが、しかるに「採用に積極的な中小企業」の実態は決して語られることがありません。ではいったいどういう企業が積極的な採用姿勢を見せているのか、実際に求人を見てみると真っ先に目に付くのは、引用元でも問題視されているような勧誘系の職種、要するに押し売りだったりするわけです。人に迷惑をかける押し売りなんてやりたくないと、良心が咎めない真っ当な仕事を探せば採用は遠のき、選り好みするから悪いのだ、企業のせいにするなと説教されるのが現状であるにも関わらず、その一方で押し売りが迷惑がられているとしたら、もはや生きていてごめんなさいとでも言うほかなさそうです。。

 ちなみに、この手の押し売りは、しばしば「コンサルティング営業」なんて触れ込みで求人が出されていたりします。私に言わせれば「コンサルw」といった風情ですけれど、アホなコンサルタントの妄言を鵜呑みにする人も後を絶たないことを見るに、それなりに「かっこいい言葉」として認識されているのかも知れません。しかし、コンサルタントの「中小に目を向けよ、中小は採用に積極的だ」という虚言を真に受けて、「採用に積極的」名業界に飛び込むと、「コンサルティング営業」として世に迷惑をかけ、当然のこととして疎まれる日々が待っているわけです。とんだお笑い種ですが、このお笑い種に否応なく付き合わされるのが日本の現状でもあります。

 

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150年前は北海道すら日本ではなかったのだが

2011-02-15 23:02:14 | ニュース

日ロ交渉「男女関係に似ている」前原氏、ロシアラジオで(朝日新聞)

 ロシアを訪問した前原誠司外相が12日、ロシアのラジオ局「モスクワのこだま」に出演した。北方領土は「日本固有の領土」との主張を従来通り繰り返した一方、日ロ交渉を「男女の関係」にたとえる表現も飛び出した。

 前原氏は、平和条約が締結されていない日ロ関係については、「戦後が終わっていない」との見方を示した。

 北方領土は「日本人のみが住み続けた島」だと説明。約7500人の元島民が今も帰還を願っている、と訴えた。北方領土を巡る日ロ両国の食い違う立場については「真実は一つだが、国際政治はそれぞれにとってよい解釈をしがちなものだ」と説明した上で、「国際法に照らせば、日本の立場が支持されると思う」と自信を示した。

 平和条約締結までどのくらいかかるか、との質問に、「お互いがどれほど大切に思っているかによる。男女の関係に似ている」と回答。好きな映画には、ソ連が舞台の「ひまわり」を挙げ、「ロシアにはいいイメージを持っている」と締めくくった。

 変な誤解に基づいて支持を集めていたり過大に評価されている政治家もいれば、少数派ながらも等身大の理解を受けている、正当な評価を受けている政治家もいます。前者の代表は小泉純一郎であり、政権交代前であれば鳩山と小沢を筆頭として民主党全般が該当するでしょうか(小沢は今でもそうかも知れませんが)。そして後者の代表は森と麻生でしょうかね。森と麻生に関しては、その政治家としての資質にふさわしい評価を、支持率という形で受けていたように思います。やっかいなのは明らかに前者の方ですが、今回取り上げる前原は民主党にあっては希有な例外と言うべきか、民主党幹部でほぼ唯一の、誤解に基づく支持も偏見に基づく嫌悪も受けていない、有権者から正しく理解されている政治家です。ネット世論上で菅や仙谷を叩いている声、あるいは橋下や河村を擁護する声の8割は脳内設定や無理解に基づいた不当なものであるように思われますが(まぁ前者に関しては大いに批判される余地がありますが、しばしば筋違いの叩かれ方をしていますので)、前原に関しては概ね適切な理解に沿って非難されていると言っていいでしょう。まぁ、政治信条面では全く賛成できない議員なんですけれど、変なねじれはないのかなと。

 さて前フリが長くなりましたが、前原外相が日ロ交渉を指して「男女の関係に似ている」と意味不明のコメントを残しています。昨今の日本では男女のすれ違いも広がりがちと言いますか、本当に気のあった相手としか結婚しない、高望みするばかりで決して妥協しない傾向もあるように思えるだけに、それが男女の関係に似ているのなら「全面的に満足できる条件でなければ首を縦には振らない」という日本側の宣言に聞こえなくもありません。

 それはさておき、ツッコミどころは盛りだくさんです。北方領土は「日本人のみが住み続けた島」と前原は断言しているようですが、では「今」北方領土に住んでいる人は何人なのでしょうね? そもそも「日本人」が指す範囲はどうなのか、「日本」に編入される以前より長きにわたって独自の文化を持っていた人々こそ、北方領土に元から住んでいた人々であり、最も長く住んでいた人でもあるはずです。そうでなくとも日本占領以前に北方領土に移り住んだロシア人だっているわけで、結局のところ北方領土を「日本固有の領土」などと言い放つのは、北米大陸を「アングロサクソン固有の領土」と強弁するようなものだと思うのですけれど。加えて「約7500人の元島民が今も帰還を願っている」とも語られていますが、じゃぁ朝鮮半島とか満州地域とか台湾とか、同様に日本が占領していた地域の「元住民」が同じことを願ったらどうなのでしょう?

 北方領土は日本の領土なのだと、日本国内ではそういう建前が支配してきました。自国政府の都合の良い説明には批判的であるはずの政党も、ソヴェト政権と不仲であったせいか北方領土問題に関しては日本側の一方的な主張を受け入れているフシもあります。そのせいか日本政府側の設定が日本国内においてはほぼ無批判に垂れ流されているわけですが、しかし世界から見るとどうなのでしょう。「国際法に照らせば、日本の立場が支持されると思う」と前原は自信を示したとのこと。ただ日本「以外」の国で作られた世界地図を見る限り、北方領土に関してはロシア領と見なすのが普通のようです。日本政府が異議を唱えていることが注記された地図もありますが、どちらの立場が支持されているかは考えるまでもないように思います。

 まぁ米ソ対立が激しい時代ならば、無理筋であろうとソ連と対立してさいれば西側諸国は味方に付いてくれたものかも知れませんが、今はそんな時代ではありません。かつてソ連側が応じる姿勢を見せた2島ずつの山分け案を、日本が4島一括変換へと要求を切り替えることで拒絶してしまった以上、この問題は終わってしまったのです。かくなる上は領土獲得は放棄して「利権」の獲得を狙うのが上策に思えますが、とかく実利よりもイデオロギーを優先させるのが近年の日本政府であるだけに、それも難しそうです。とどのつまり前原発言は日ロ交渉を何ら進展させるものではない、ただただ前原が日本国内に向けて「外国に屈しない強い姿勢」をアピールしただけの話と言えます。

 

首相の「暴挙」発言は国民の声…前原外相が説明(読売新聞)

 前原外相は11日の日露外相会談で、菅首相がロシアのメドベージェフ大統領の北方領土訪問を「許し難い暴挙」と批判したことについて、「国民の声を代表するものだ」と説明した。

 日本の国内世論の厳しさを伝えるとともに、日本政府の公式な見解ではないと釈明する狙いもあったとみられる。

 で、菅にもまた「許し難い暴挙」云々と、外交上は何の意味もない完全に国内向けの発言があったわけですが、これを指して「国民の声を代表するものだ」と説明したそうです。私がロシア側の代表だったら「だからどうした?」と返したくなるところです。まぁ、こういう論法は日本の政治家が好むところなのかも知れません。死刑制度に関しても「国民の声」を理由に堅持している等々、為政者が自ら下すべき決断の責任を国民にアウトソーシングしているとも言えます。まぁ国民にも責任はあるのでしょうけれど、政治家が「国民の声だから~」と言い訳するようになったら、それはお終いだと思います。

 

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どうしてチョコなんだよ

2011-02-13 22:43:22 | ニュース

中3女子、チョコで途上国支援企画 スーパーなどが協力(朝日新聞)

 中学生が一人で企画を思いつき、インターネットを駆使して大学生や企業とつながった。バレンタインデーに合わせて大手スーパーでチョコレートを販売するイベントを、東京都の中学3年生の森川絢瑛(あやえ)さん(15)が11日に催す。ただのチョコではない。途上国を支援する「フェアトレード」のチョコだ。

 「もともと社会の役に立ちたいっていう気持ちが強い」と森川さん。1カ月前、フェアトレードの制度を広く知ってもらいたいと考えていて、バレンタインに合わせたイベントを思いついたという。

(中略)

 2日、森川さんはツイッターなどで募った販売スタッフ向けに、フェアトレードを学ぶ研修会を都内で開いた。「お客さんに『フェアトレードって何?』って聞かれたらちゃんと答えられないといけないから。単に企業の商品を売ることが目的ではないので」。会場には首都圏の女子中高生16人が集まり、日高ゼミの学生が講師を務めた。

    ◇

 〈フェアトレード〉 途上国の生産者が自立した生活を守れるような適正な価格で取引をすること。途上国で作られた安い産品は、児童労働や農薬の大量使用などで生産コストを下げている場合がある。国際フェアトレード基準を守っている製品には「国際フェアトレードラベル機構」の認定ラベルがつけられている。

 「会場には首都圏の女子中高生16人が集まり」とのことで、盛り上がったのか盛り上がっていないのか非常に微妙に見えるのですが、何故か全国紙で取り上げられています。企画を思いついたのが中学生ということで取り上げられているとすれば、児童ポルノ問題では正義感ぶる一方で子どもに黄色い声援を送って止まない日本の世相をよく表しているとも言えそうです。

 さてフェアトレードの理念そのものには大いに共感する一方で、どうにも釈然としないところもあります。それはフェアトレードという概念の適用される範囲が、どう見てもごく一部の農産品に限定されており、工業製品や各種サービスに関しては完全にスルーされているかに思えることです。この手のフェアトレードに参加している人の内、いったいどれだけの人がチョコやコーヒー「以外」の商品を視野に入れているのでしょうか。チョコレートだけをフェアトレードの対象にしたところで、それはあまりにも小さな一歩です。決してムダではないにせよ、その小さすぎる一歩で満足しているとしたら、良心的なフリをしているだけの単なるアリバイ作りに他なりません。

 工業製品や各種サービス業にしたところで同様、従業員が健康で文化的な生活を送れるよう適正な雇用環境を維持している、労働基準法を守っている企業に「国際フェアトレードラベル機構」の認定を付けるくらいのことは可能なはずです。反対にフェアトレードの認定を受けられない企業の製品やサービスは白眼視されるようなことがあっても決しておかしくありません。しかし現実はどうでしょうか? 従業員を次から次へと自殺に追い込むFoxconnで生産されたiPodやiPhoneは日本でも売れ行き好調ですし、自動車絶望工場で生産された日本車はアメリカの自動車産業を絶えず追い詰めています。従業員の犠牲の上に成り立つワタミのサービス(参考)は利用者からは好評のようですし、すき家を筆頭に総じて飲食業界は従業員の待遇が悪いところほど業績を伸ばしているように見えます。とりわけ日本では、従業員に身を削らせることを以て「消費者のため」の企業努力として歓迎されてさえいるのではないでしょうか。

 まぁ、トヨタやキヤノンの従業員の扱いが非人道的であるといっても、それに続く業界2番手、3番手の企業が労働者を「フェア」に扱っているかと言えば、そうとは限らないのが頭の痛いところです。店員の安全を考えていないという点では業界トップのすき家が群を抜いているのは間違いのないところであるにせよ(参考)、労働者の扱いがマシな企業を探すのはなかなか難しいように思います。キヤノンがダメならリコーやゼロックスはマシなのか、トヨタがダメならホンダマツダはマシなのか、業界トップで槍玉に挙げられやすいところ以外にも、特に中小では、というより世間の注目が低い中小でこそ酷いところが多いですし。

 だからこそ、工業製品やサービス製品に対してもフェアトレードの概念が適用されるべきなのです。その製品やサービスは適正な価格で取引されているか、提供する側の従業員に適正な賃金が支払われているか、労働基準法は守られているか、そういう尺度に基づいた認定があっても決しておかしくはないでしょう。フェアトレードの自動車、フェアトレードの介護サービスがあっても良いはずです。しかるにフェアトレードの対象になるのが、せいぜいチョコレートとコーヒーぐらいに止まり続けるとしたら、そこにある種の欺瞞を感じずにはいられません。

 携帯電話はiPhoneを使い、プリンタはキヤノン、そしてトヨタの車に乗りながらコーヒーとチョコレートだけは「フェアトレード」などと言い出す人がいたら、それこそぶん殴ってやりたい気にもなります。全くもってフェアでないメーカーの製品を愛用する一方で、安価な嗜好品だけ「フェアトレード」を称するとしたら、そんなものは「フェアトレードごっこ」に過ぎません。フェアトレードに参加する良心的な自分に酔いしれているだけです。善意を身にまとった「フェアトレードごっこ」はそれなりに世間の関心を集めているようですが、むしろそれはフェアトレードの理念を矮小化しているように思います。そうではなく、フェアではない事業者を淘汰していく社会政策として、チョコレート「以外」、農作物「以外」の領域に踏み出すことが、フェアトレードの次なる一歩として待望されるところです。

 

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