本日の日経1面によれば「危機は発明や発見の原泉」だという。挙げられている例は以下の通り:
1907年 米株式相場の暴落 →1908年 T型フォードの販売開始
1929年 世界恐慌に突入 →1933年 豊田自動織機が自動車部門設置
1945年 第2次世界大戦終了 →1945年 コンピュータの元祖開発
1979年 第2次石油ショック →1979年 ソニーがウォークマン発売
1997-98年 日本,アジアなど金融危機 →1998年 米グーグル設立
2000年 ITバブル崩壊 →2001年 米アップルがiPod発売
危機のない年に大きな発明がなかったかのかどうか若干気になるが,不況時にイノベーションが起きるという見解自体は珍しいものではない。景気回復がイノベーションというきわめて不確実な出来事に依存しているのだとしたら,一般に景気対策と信じられている政策には意味がないことになる。いまのように手詰まり感のある時代には,そのほうがあり得そうな気がする。
上の例だと,ソニーのウォークマン以降,日本には画期的なイノベーションがないように見える。アップルやグーグルのような存在が日本に現れるかどうか。日経の記事では,トヨタの太陽電池やパナソニックの高齢者支援ロボットが紹介されている。一体誰が次世代の経済を担うのかを問う以前に,新たな成長につながる変異が生じるかどうかさえ不確実に思える。
日経2面は,「壊し屋小沢」総決算,という見出し。イノベーションとは創造的破壊なのだから,破壊には価値がある。政治で確実なことといえば,夏までに総選挙が行われることだ(その時期は不確実だが)。いまの世論の趨勢が続けば,小沢政権が誕生するかもしれない。小泉氏と小沢氏という2人の傑出した壊し屋が,それぞれ歴史に名前を残すことになるのかどうか。
日本は経済一流・政治二流,あるいは経済二流・政治三流などといわれる。政治については,発展段階説がまだ生きているかもしれない。だとしたら,欧米のように「ふつうに」政権交代が起きる国になれば,少しは進歩したといえるだろう。だがそれは,単に「ふつう」になるだけのことで,特に優れた国になるわけではない。現在よりはチョイましというだけのことだ。
日本の経済は,政治に比べ,今後進むべき道について他国から学べることは少ないように思える。経済人は,その達成した地位にふさわしい難問に直面しているわけだ。未来の技術の多くは,現在の技術のなかにすでに潜んでいるという主張がある。革新的なビジネスの芽もまた,それとは知られないまま,ぼくらの周囲にすでに存在しているかもしれない。
ぼくの研究も,そうした時代の要請と無縁ではあり得ない。年頭早々取り組まなくてはならないのが,クルマの製品開発とブランディング,そしてサービス・イノベーションに関するデータ解析。そのあとには,念願のeコマースに関する新たな視点での研究も待ち構えている。それが現場のイノベーションにすぐに直結しないまでも,せめてささやかな応援ができればと思う。
一方で,積み上がった在庫の処理も待ったなしの状態だ。ここ数年,学会発表までして論文化していない研究が数多くある。どれをいつまで,という見通しは必ずしもないが,粛々と進めるしかない。足し算ばかりでは破綻するので,引き算が必要だ。何をどう引くか,これもはっきりした見通しはないが,日々心がけていかなければならない。きつい場面もあるだろうけど。
1907年 米株式相場の暴落 →1908年 T型フォードの販売開始
1929年 世界恐慌に突入 →1933年 豊田自動織機が自動車部門設置
1945年 第2次世界大戦終了 →1945年 コンピュータの元祖開発
1979年 第2次石油ショック →1979年 ソニーがウォークマン発売
1997-98年 日本,アジアなど金融危機 →1998年 米グーグル設立
2000年 ITバブル崩壊 →2001年 米アップルがiPod発売
危機のない年に大きな発明がなかったかのかどうか若干気になるが,不況時にイノベーションが起きるという見解自体は珍しいものではない。景気回復がイノベーションというきわめて不確実な出来事に依存しているのだとしたら,一般に景気対策と信じられている政策には意味がないことになる。いまのように手詰まり感のある時代には,そのほうがあり得そうな気がする。
上の例だと,ソニーのウォークマン以降,日本には画期的なイノベーションがないように見える。アップルやグーグルのような存在が日本に現れるかどうか。日経の記事では,トヨタの太陽電池やパナソニックの高齢者支援ロボットが紹介されている。一体誰が次世代の経済を担うのかを問う以前に,新たな成長につながる変異が生じるかどうかさえ不確実に思える。
日経2面は,「壊し屋小沢」総決算,という見出し。イノベーションとは創造的破壊なのだから,破壊には価値がある。政治で確実なことといえば,夏までに総選挙が行われることだ(その時期は不確実だが)。いまの世論の趨勢が続けば,小沢政権が誕生するかもしれない。小泉氏と小沢氏という2人の傑出した壊し屋が,それぞれ歴史に名前を残すことになるのかどうか。
日本は経済一流・政治二流,あるいは経済二流・政治三流などといわれる。政治については,発展段階説がまだ生きているかもしれない。だとしたら,欧米のように「ふつうに」政権交代が起きる国になれば,少しは進歩したといえるだろう。だがそれは,単に「ふつう」になるだけのことで,特に優れた国になるわけではない。現在よりはチョイましというだけのことだ。
日本の経済は,政治に比べ,今後進むべき道について他国から学べることは少ないように思える。経済人は,その達成した地位にふさわしい難問に直面しているわけだ。未来の技術の多くは,現在の技術のなかにすでに潜んでいるという主張がある。革新的なビジネスの芽もまた,それとは知られないまま,ぼくらの周囲にすでに存在しているかもしれない。
ぼくの研究も,そうした時代の要請と無縁ではあり得ない。年頭早々取り組まなくてはならないのが,クルマの製品開発とブランディング,そしてサービス・イノベーションに関するデータ解析。そのあとには,念願のeコマースに関する新たな視点での研究も待ち構えている。それが現場のイノベーションにすぐに直結しないまでも,せめてささやかな応援ができればと思う。
一方で,積み上がった在庫の処理も待ったなしの状態だ。ここ数年,学会発表までして論文化していない研究が数多くある。どれをいつまで,という見通しは必ずしもないが,粛々と進めるしかない。足し算ばかりでは破綻するので,引き算が必要だ。何をどう引くか,これもはっきりした見通しはないが,日々心がけていかなければならない。きつい場面もあるだろうけど。