Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

大学院生が消えた大学

2009-01-09 23:06:52 | Weblog
今日は非常に寒い日。冷たい雨のなか大学へ行く。いつもより出席者が多い感じ。期末試験が近いせいだろう。来週末には,センター試験もある。雪が降らないでほしい。

週刊新潮今週号で「日本の『恐ろしい数字』」という特集が組まれている。トップに来るのが「妻の『3人に1人』は『夫から暴力』を受けている」,次いで「『心の病』で休職中の『学校の先生』15年連続で最多更新」,「『奨学金』踏み倒し続出で『滞納不良債権』2253億円」,そして「『大学院』まで出たけれど,半分は『フリーター』になる」と続く。教育問題3連発の最後がこれだ。

記事によれば,最近3年間の博士課程修了者の就職率は6割前後。ただし,医学博士を除くと,5割前後と考えられるという。そして,「死亡・不詳の者」と分類されるものが1割弱。大学が把握できる範囲外に「消えてしまった」者も少なくないということだ。こうなったのは,無定見に大学院を拡大した文科省と大学の責任だと,この記事は非難している。

大学で禄を食む者として,あまり第三者的なことはいえない。実際,一般化が難しい問題だと思う。たとえば工学のオーバードクターと,英文学のオーバードクターの問題を一緒くたに論じることはできない。ぼくの専門分野でいえば,ある程度勉強している院生なら,大学でなくても民間企業で専門性を生かす道がある。実際,そういうケースが増えている。

ただ,大きな流れとしては,大学院,特に博士課程へ進学する者は減っていくだろう。博士課程の学生などほとんどいない大学(あるいは学科)はいまでも多数存在するが,今後はその範囲が拡大することになる。その結果,短期的には研究のパートナー/アシスタントを失い,長期的には後継者を育てる機会を失う研究者が増えるということだ。

文系の研究者にとって,それはたいしたダメージではないかもしれない。直接「指導」することよりは,論文なり著書なりを通じて後世に広く影響を残すという道もある(そのほうが難しい?)。ジーンよりミーム,というべきか。あるいは,ぼくの場合は,下手に「指導」などして後進の道を誤らせる危険を回避できると喜ぶべきかもしれない。

いずれにしろ,そのとき大学は研究の場ではなくなる。正確にいえば,大学教員は大学の研究室を使って研究できるが,別にそれは自宅でもどこでもよい。大学という空間でのみ可能な,大学院生を含む研究コミュニティはもはや存在し得ない,ということだ。別の代替的な研究コミュニティが可能かどうか,それが次に考えるべき課題だ。
 

脳にノーといえない(笑)

2009-01-06 17:45:19 | Weblog
今年いただいた年賀状のなかに,脳科学のマーケティングへの応用について語っておられる方がいた。その方の現在の研究から見て意外に感じたが,元々の専門が心理学であることを考えると,不思議でも何でもない。消費者の心理という側面からマーケティングにアプローチしようという研究者にとって,「脳」はもはや避けて通れない話題になってきたということだ。

そんなとき目にとまったのが以下の記事だ:

   Our Unconscious Brain Makes The Best Decisions Possible

ロチェスター大学で脳-認知科学を研究する Alex Pouget 准教授は,人間が無意識に意思決定するとき,合理性を仮定したモデルのような最適な選択を行うことを実験で示し,神経科学的な裏づけも行っている。Kahneman や Tversky は,問題が被験者に十分意識された状況で実験を行っており,そもそもの設定が非現実的だと Pouget は批判している。

(なお,元になった論文は Neuron に昨年末掲載された。まだオンラインで pdf を入手できないが,ドラフトをご本人のサイトで入手できる。)

では,日常の消費者行動はどの程度「意識的」なのだろうか。ここ数日,ある本を3,000円のパーパーバックで注文するか,6,000円のハードカバーにするかで迷いに迷った経験からすると,意識された意思決定というものも,頻繁に(煩雑にではなく)起きていると思われる。もちろん,意識された意思決定のバックグランドにある無意識の働きは無視できないが。

意識と無意識をめぐる議論は,今後もっとホットになると同時に,それを調停・統合するような理論も出てくるだろう。また,いずれの立場からも,脳神経科学的に裏づけを得ようという研究が活発化する。その一方で,fMRI による実験環境が現実の意思決定の場面と大きく異なるという問題も無視できなくなる。多様な研究方法の複合が必要だ。

いずれにしても,それを避けて通れないという意味で,ぼく自身,脳神経科学に関する基礎的なお勉強を始めなくてはならない。手持ちの本のなかで,まず読んでみようと思っているのが以下の本だ。なぜそう思うのか,明確に自覚された根拠はない。まさに無意識のうちに選好されていたわけだが,Pouget がいうように最適な意思決定かどうかはわからない。

脳科学と心の進化 (心理学入門コース)
渡辺 茂,小嶋 祥三
岩波書店

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豊富なイラストに惹かれて買ったのが以下の二冊。ニューロンの構造や化学物質の話から始まる。最初から最後まで読み通すのは大変そうであり,おそらく参考書として使うのに適している。個々の用語について,英訳がついているのも,その点で便利そうだ。

みる見るわかる脳・神経科学入門講座 (前編)
渡辺 雅彦
羊土社

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みる見るわかる脳・神経科学入門講座 後編 改訂版―はじめて学ぶ、情報伝達の制御と脳の機能システム (3)
渡辺 雅彦
羊土社

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2009年を明るくするもの

2009-01-05 23:23:28 | Weblog
職場に初出勤。ただし,学校自体は8日までオープンしない。この隙に研究を… といいたいところだが,実は授業の準備に終始している。昼食時の「ランチョン」はむちゃくちゃ混んでいて,席に座ってもなかなか注文を取りに来ない。年始の挨拶で会社に顔を出し,昼からは早くもビールを飲んでいるオヤジたちや,隣の席でドバイがどうしたとかしゃべっている若い女性たちを見る限り,日本経済は何も変わっていないように見える。そんなはずないんだが…。

AERAの1.12号では,100人の識者による2009年の予言が特集されている。いうまでもなく景気動向に最も多くのページが割かれていて,大方の見方は悲観的だ(そりゃそうでしょう)。国内政治については,政治家たちの予測というより抱負が述べられている。そのなかで意外性があったのが「民主党政権で領土交渉が進む」という鈴木宗男氏の予言だ(ところで鈴木氏と田中真紀子氏は,民主党政権で呉越同舟するのだろうか…)。

「はたらく・格差」というテーマでも,予言よりは提言が多くなる。国兼亜紀子氏は「仕事は溢れている」から選り好みせずに働こうというが,そうした主張はさすがに例外的で,何らかのワークシェアリングを提案する人が多い。小林よしのり氏は「若者は連合の集会に乗り込め」と述べ,正社員と非正規社員,中高年と若者の間での既得権益の再配分を示唆する。格差是正はゼロサムゲームとなる。容易にはいきそうにない。

考えさせられるのが上野千鶴子氏の「男おひとりさまはお先真っ暗」という予言である。男のおひとり様でも,高齢者よりは一世代下の死別・離別シングルは「あらゆる制度から見放されている孤独死予備軍」とのこと。さらに深刻なのが,親にパラサイトしている40代の非婚シングル。彼らは親の年金に依存しているので,親が要介護状態になっても公的な介護を導入しない。「高齢者虐待の加害者の順位のトップが息子」だという。

社会のあり方は,マーケターにとって基本的には所与である。だが,マーケティングが社会イノベーションに貢献する余地がないとはいえない。とりあえず,その可能性に言及することで,今年のやや遅れ気味の「初夢」を語ったことにしておこう。
 

ネットは「貧民の楽園」

2009-01-03 23:47:24 | Weblog
年末に,やっと光回線を自宅に引いた。ところが NTT に委託された業者が勝手に Nifty メールをすべてサーバに残さず Outlook に吸い上げてしまった。最近は,web メールばかり使っていたので,全く余計なお世話であった。Gmail にバックアップを取っていたから,そちらを使えばいいのだが… そうか,これを機に Gmail を中心に使おうかと思ったりする。

光のメリットはまだ実感できていない。工事費無料で,維持費用は ADSL と変わらないから正しい選択のはずだが,Google デスクトップ検索を起動するとネットに接続できなくなるなど,わけのわからぬトラブルも発生。簡単だといわれた AirMac (TimeCapsule) の設定にも失敗。トリセツにはほとんど何も書いていないし,ネットで調べてもチンプンカンプンだ。

インターネットを空気のように感じる生活を送っていても,ちょっとしたつまずきで,その前提が崩壊し,突然デジタル・デバイドということばが他人事ではなくなる。インターネットを操る知識やスキルには寡頭的な階層構造がある。ネット上の情報の大半は少数の人々によって担われ,そこから下位の多数派に知識がトリクルダウンしていく。

だが,そういった「指導的な」インターネットユーザが,eビジネスの優良顧客になるかというと,必ずしもそうではないようだ。以下の本は,ネットは「貧者の楽園」になっていると指摘する。多くのサービスが無料であるため,一定のネットリテラシーがあり,時間もたっぷりあるが,購買力はあまり高くない人々がネットを使いまくっているというわけだ。

情報革命バブルの崩壊 (文春新書)
山本 一郎
文藝春秋

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無料のビジネスモデルは広告収入によって支えられるはずだが,それが可能なのは実はアクセスが非常に多い少数のサイトだけである。では,なぜ無料サービスがこれだけ拡大したかというと,その背後には世界的なカネ余りがあり,マネーゲームによって高い株価が演出されてきた。だから金融のバブルが崩壊したことで,ITビジネスのバブルも崩壊したという。

著者は,これまで適正な収入を得てこなかったネットのインフラ業者やコンテンツ業者は,新たな課金の仕組みを構築する必要があると説く。広告モデルに限界があるとして,次に興隆するのは具体的にどんなビジネスモデルになるのか,ぼくにはよく読み取れなかった。アルファブローガーとして有名な著者だが,本書は素人にとって必ずしもわかりやすいわけではない。

この本によって改めて認識させられたのが,メディアのオーディエンスを顧客としての価値という視点で評価することだ。たとえば新聞の購読者が減少しても,購買力やステータスの点では,ネット利用者より価値が高いかもしれない。こうした視点に基づく評価手法がすでに実務で確立しているのなら何もいうことはないが,どうなんだろう…。
 

2009年はどんな年?

2009-01-01 22:40:15 | Weblog
本日の日経1面によれば「危機は発明や発見の原泉」だという。挙げられている例は以下の通り:

1907年  米株式相場の暴落 →1908年 T型フォードの販売開始
1929年  世界恐慌に突入 →1933年 豊田自動織機が自動車部門設置
1945年  第2次世界大戦終了 →1945年 コンピュータの元祖開発
1979年  第2次石油ショック →1979年 ソニーがウォークマン発売
1997-98年  日本,アジアなど金融危機 →1998年 米グーグル設立
2000年  ITバブル崩壊 →2001年 米アップルがiPod発売

危機のない年に大きな発明がなかったかのかどうか若干気になるが,不況時にイノベーションが起きるという見解自体は珍しいものではない。景気回復がイノベーションというきわめて不確実な出来事に依存しているのだとしたら,一般に景気対策と信じられている政策には意味がないことになる。いまのように手詰まり感のある時代には,そのほうがあり得そうな気がする。

上の例だと,ソニーのウォークマン以降,日本には画期的なイノベーションがないように見える。アップルやグーグルのような存在が日本に現れるかどうか。日経の記事では,トヨタの太陽電池やパナソニックの高齢者支援ロボットが紹介されている。一体誰が次世代の経済を担うのかを問う以前に,新たな成長につながる変異が生じるかどうかさえ不確実に思える。

日経2面は,「壊し屋小沢」総決算,という見出し。イノベーションとは創造的破壊なのだから,破壊には価値がある。政治で確実なことといえば,夏までに総選挙が行われることだ(その時期は不確実だが)。いまの世論の趨勢が続けば,小沢政権が誕生するかもしれない。小泉氏と小沢氏という2人の傑出した壊し屋が,それぞれ歴史に名前を残すことになるのかどうか。

日本は経済一流・政治二流,あるいは経済二流・政治三流などといわれる。政治については,発展段階説がまだ生きているかもしれない。だとしたら,欧米のように「ふつうに」政権交代が起きる国になれば,少しは進歩したといえるだろう。だがそれは,単に「ふつう」になるだけのことで,特に優れた国になるわけではない。現在よりはチョイましというだけのことだ。

日本の経済は,政治に比べ,今後進むべき道について他国から学べることは少ないように思える。経済人は,その達成した地位にふさわしい難問に直面しているわけだ。未来の技術の多くは,現在の技術のなかにすでに潜んでいるという主張がある。革新的なビジネスの芽もまた,それとは知られないまま,ぼくらの周囲にすでに存在しているかもしれない。

ぼくの研究も,そうした時代の要請と無縁ではあり得ない。年頭早々取り組まなくてはならないのが,クルマの製品開発とブランディング,そしてサービス・イノベーションに関するデータ解析。そのあとには,念願のeコマースに関する新たな視点での研究も待ち構えている。それが現場のイノベーションにすぐに直結しないまでも,せめてささやかな応援ができればと思う。

一方で,積み上がった在庫の処理も待ったなしの状態だ。ここ数年,学会発表までして論文化していない研究が数多くある。どれをいつまで,という見通しは必ずしもないが,粛々と進めるしかない。足し算ばかりでは破綻するので,引き算が必要だ。何をどう引くか,これもはっきりした見通しはないが,日々心がけていかなければならない。きつい場面もあるだろうけど。