お台場の産総研で開かれた「第1回サービス工学ワークショップ」に参加した。まず産総研の内藤氏が,サービス産業のベストプラクティスを数々取材を通じ,現場にどんな KPI (Key Performance Indicator ・・・最近よく聞くことばだ) が暗黙知としてあるかを語る。次いで,樋口先生,佐藤先生,照井先生が,統計科学的立場から,このWSの課題である「大規模データがサービスの設計と反証・修正にどのように貢献し、サービスの生産性の向上につながるか」について発表。そして井上先生が「本には書けなかった」データマイニング実践のさわりを紹介された。
こうしたきわめて真っ当な報告のあとで,ぼくが道化の役割を演じることになった。そもそもサービスの大規模データはどこにあるのだろう? そこには期待されるレベルの完備性があるのだろうか? そもそも,そうしたデータを分析し,モデル化することで,サービス・イノベーションを起こせるのだろうか? ぼくはそれを,第三者的に揶揄するつもりはない。なぜなら,自分自身がデータ集めにコミットし,学生たちに分析しイノベーションについて考えよ,とけしかけているからだ。その難しさを直視したうえで,ギリギリ何ができるかを問いかけたつもりだったが・・・。
次いでぼく自身のいささか乱暴な試みに話を進めたのが,余計だったかもしれない。それは,ある選択肢を選んで満足し,推奨意向を持った顧客から他者へ属性情報が移転するというモデルで,実データを一部用いて簡単なシミュレーションを行うという話。データから推定した個人の選択モデルをもとに,クチコミのシミュレーションをした,とだけいえばいいものを,実はそれ以上の目論みがあると口走ることで話が混乱した。現実のデータに含まれる問題をサンプリングによる再構成で克服するという構想を,どうしても語りたかったからだ。
話しながら,自分自身でも,本来区別すべきことを一緒くたにして議論していることが実感されてきた。聴衆を目の前にしゃべることで,自分の考えがどこまで正しく,正しくないかがわかってくる。そんなことにつき合わされるのは,いい迷惑だとは思うが,ぼく本人としてはいい機会となった。シミュレーションからセグメントが生成されるかどうかが鍵だという(とぼくが理解した限りでの)本村さんのコメントも,帰り道でその意義に気がついた。つまり,ぼくがやろうとしていることは,従来のマイニングとは少し違う「切り取り」なのだ。それは,きわめて本質的な視点だ。
ぼくのあとは,初対面の神戸の藤井さんがエージェントベース・シミュレーションの話をされる。そのあと,竹中さんが登壇されるはずだが,試験監督の仕事が待っているため中座した。主催者もまた,データさえ揃えば何とかなる,という単純な楽観主義に立たないからこそ,こうした会議を開催されたのだろう。だとしたら,自分はどこまで応えることができたか心許ない。最も反省すべきは,もっと堂々と,恥じることなく「狂って」みせることができなかったことだ。道化としても,まだまだ修行が足りない。
こうしたきわめて真っ当な報告のあとで,ぼくが道化の役割を演じることになった。そもそもサービスの大規模データはどこにあるのだろう? そこには期待されるレベルの完備性があるのだろうか? そもそも,そうしたデータを分析し,モデル化することで,サービス・イノベーションを起こせるのだろうか? ぼくはそれを,第三者的に揶揄するつもりはない。なぜなら,自分自身がデータ集めにコミットし,学生たちに分析しイノベーションについて考えよ,とけしかけているからだ。その難しさを直視したうえで,ギリギリ何ができるかを問いかけたつもりだったが・・・。
次いでぼく自身のいささか乱暴な試みに話を進めたのが,余計だったかもしれない。それは,ある選択肢を選んで満足し,推奨意向を持った顧客から他者へ属性情報が移転するというモデルで,実データを一部用いて簡単なシミュレーションを行うという話。データから推定した個人の選択モデルをもとに,クチコミのシミュレーションをした,とだけいえばいいものを,実はそれ以上の目論みがあると口走ることで話が混乱した。現実のデータに含まれる問題をサンプリングによる再構成で克服するという構想を,どうしても語りたかったからだ。
話しながら,自分自身でも,本来区別すべきことを一緒くたにして議論していることが実感されてきた。聴衆を目の前にしゃべることで,自分の考えがどこまで正しく,正しくないかがわかってくる。そんなことにつき合わされるのは,いい迷惑だとは思うが,ぼく本人としてはいい機会となった。シミュレーションからセグメントが生成されるかどうかが鍵だという(とぼくが理解した限りでの)本村さんのコメントも,帰り道でその意義に気がついた。つまり,ぼくがやろうとしていることは,従来のマイニングとは少し違う「切り取り」なのだ。それは,きわめて本質的な視点だ。
ぼくのあとは,初対面の神戸の藤井さんがエージェントベース・シミュレーションの話をされる。そのあと,竹中さんが登壇されるはずだが,試験監督の仕事が待っているため中座した。主催者もまた,データさえ揃えば何とかなる,という単純な楽観主義に立たないからこそ,こうした会議を開催されたのだろう。だとしたら,自分はどこまで応えることができたか心許ない。最も反省すべきは,もっと堂々と,恥じることなく「狂って」みせることができなかったことだ。道化としても,まだまだ修行が足りない。