Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

経済政策論争に「集合知」は生まれるか

2009-01-24 23:34:38 | Weblog
『新潮45』1月号で榊原英資氏と岩井克人氏が対談している。タイトルは「金を使うなら頭を使え!」。岩井氏は「かくも巨大な金融恐慌を生きている内に目撃しえたことに心底驚いています。しかし,起こったこと自体には驚いていない。資本主義は本質的にこうした不安定さを持っていると常に主張してきましたから」と述べる。そして,この不安定性を政府の介入や規制でなんとか抑え込むことを主張する。『不均衡動学』発表から四半世紀,その主張は確かに一貫している。

新潮45 2009年 01月号 [雑誌]

新潮社

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現在の不況からいかに脱するかについて,榊原氏も岩井氏も金融政策はもはや有効でないという点で一致する。岩井氏は,各国が協調して財政出動することを提唱する。世界経済を一国経済とみなせる場合,再びケインズ政策は有効になるという。榊原氏は政策協調の可能性には懐疑的で,ミクロの産業政策を提唱する。いずれも政府にそれなりの役割を期待する考えだが,異論を持つ経済学者も少なくないはずだ。金融政策を重視する説,あるいは自由放任主義などなど。

専門家の意見がここまで分かれることが,たとえば医療の世界にはあるのだろうか。セカンド・オピニオンという概念があるぐらいだから,所見の対立は珍しくないはずだ。とはいえ,それは経済政策ほどではないと思われる。なぜなら,政策論争の底流には,個々の業界や地域への利益誘導や政治的思惑がうごめいているから。そこに知的ゲームを得意とする学者や専門家が参入すると,議論が華やかになる一方,出口はますます見えにくくなる。さまざまな私怨も入り込む。

だが,それでも政治評論に比べればまだましかもしれない。『新潮45』の同じ号に,政局を扱った論稿がいくつか載っているが,その多くが「政界再編成」を期待するトーンになっている。しかし,何の政策を基軸に政界再編成をすべきなのか,それによって国民にどんないいことが起きるのかが,どれを読んでもはっきりしない。そんなことより,小沢氏が加藤紘一氏を担ぎ出すとか,小泉元首相が再登板すべきだとか,東国原知事を自民党総裁にしろとかいった話に終始している。

誰を頭に据えるとか離合集散の話は,ドラマとしては面白い。ただそれは,深刻な経済危機から脱することに直接関係しないように思われる。もちろん,今後どういう政権が実現するかは,日本経済の行く末に影響を与えるだろう。しかし,当面の危機を即座に解決する妙案は,どの政権にもない。大恐慌からの真の回復は,第二次世界大戦による軍需拡大を待つしかなかったという説もある。そうした過激な療法は副作用が大きすぎるので,基本は自然治癒を待つことである。

本屋にはいろいろな経済書が溢れているが,マクロ経済学を本職とする経済学者(その線引きは必ずしも明確ではない)の手になる本は必ずしも多くない。かつてなら『現代経済』とか『東洋経済 近代経済学シリーズ』といった,学会誌でも一般経済誌でもない雑誌があって,そこで経済学者たちの論争が掲載されていた。いまや論争はウェブに移行しているのかもしれないが,フェーストゥーフェースの座談会や準アカデミックな論文を通じた論争も捨てがたいものがある。

そういえば,一世を風靡した「集合知」という見方は,経済学者やエコノミストたちの論争に対しても適用可能だろうか。つまり,利害や思惑,あるいは複雑な感情をうちに秘め,差異化そのものを好むかのような人々の議論から,それでも何かが集約されて「知」として浮かび上がってくることがあるのかどうか。最近 "Marketing 2.0" というスローガンのもと,集合知をマーケティングに活用しようという主張がある。マクロ経済の世界にそのお手本があると心強いのだが…。

「みんなの意見」は案外正しい
ジェームズ・スロウィッキー,小高 尚子
角川書店

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最近出たばかりの以下の本は,むしろ差異(difference)の役割を強調する(それが原題だ)。 著者は,政治行動のエージェントベース・モデリングで知られる研究者なので,政治的思惑が絡んだ経済政策の論争がどこに向かうか,それを好ましい集合知を生み出す方向に誘導可能か,といった問いを投げかけてみたくなる。現時点でそこまで答えられないのはしかたないが,社会科学的リアリティを踏まえた集合知の研究が進むことで,そこに徐々に近づいていくと期待しよう。

「多様な意見」はなぜ正しいのか 衆愚が集合知に変わるとき
スコット・ペイジ
日経BP社

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