愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

奈良市田原 白山神社の地蔵石仏

2014年05月15日 | 石仏:奈良

奈良市田原、横田町の白山神社脇に残された地蔵石仏。

白山神社は田原の中心、小中学校の並ぶ田原信号より少し西寄り、民家脇を奥に入った山裾に鎮座する。

元々ここには神宮寺でも在ったのだろうか??境内脇に2~3の石碑と共に立つ。

地蔵石仏は、ここ大和地域では珍しく安山岩を使用、その脆さのせいか?首と腰元の2箇所で断裂、ちょっと痛々しい。

幅56cm、高さ約150cm、像高112cm、光背頂部も不定形に欠落、舟形では無く山型に成っている。

しかし、大きい立派な錫杖を掲げ持ち、2重の古式な蓮台に立ち、厚肉彫りの尊顔は童顔で有りながら引き締まり、よく整って居る。

全体に青いゼニゴケが着生、首の断裂痕にはノキシノブまで生えている。

蓮台の様式やその像容から室町初期の造立だと考えられて居る。

撮影2012.5.5


三重県名張市上小波田 地蔵磨崖仏

2014年05月14日 | 石仏:三重

旧道沿い、杉の古木に抱かれる様に、祀られて居る磨崖の石仏。

三重県名張市、上小波田から下比奈知への棚田と山裾を行く旧道沿い・・・・、現在この奥にはゴルフ場が有り通行不能になって居ますが。

一昔前の田舎を彷彿とさせる荒壁野小屋脇、杉の古木に挟まれた小さな祠の中に磨崖仏が祀られています。

磨崖仏は斜面から崩れ落ちたかの様な格好で斜面途中に留まり、2~3個の石塊に分かれて居ます。

手前正面には錫杖を掲げた稚拙な地蔵立像。

右側面、その足元と思しき場所には三体の石仏が確認できる。

割れた岩陰から覗くように地中に半身を隠した合掌地蔵。

側面二体の石仏は上に合掌地蔵立像、下に半身土中に埋もれた定形地蔵。

元々が、どういう形で何体有ったのかは想像するのも困難ですが、像容から江戸中期の造立だと思われます。

撮影2012.5.4


奈良市大平尾町 阿弥陀如来板碑

2014年05月13日 | 石仏:奈良

奈良市大平尾町、旧小学校校庭片隅に置かれた阿弥陀如来板碑

前回紹介の「上ん堂」への岐れ道、振り返ると深い山の中にポツポツ民家が見える。

ここは大平尾町下出、辻にある八柱神社境内に旧小学校が有り、その境内と共有の校庭片隅に・・・・

みすぼらしくも、旧小学校時代の古い網フェンスを利用した囲いの中で、囚われの身と成っている。

高さ約1.2m、花崗岩山型板碑、正面に縦長枡形を浅く彫り沈め、上部には阿弥陀如来を中肉彫りで刻み出す。

上部に刻まれた阿弥陀坐像は像高25cm、室町後期の特徴ある蓮座に坐し、頭部に円形頭光背を負う。

蓮座に結跏趺坐した像容は小さいながら、特にその尊顔は童顔でなかなかの出来。

永禄13年(1570)の銘が確認され、室町末期の造立。

撮影2011.4.17


奈良市大平尾町 「上ん堂」の地蔵石仏・他

2014年05月12日 | 石仏:奈良

奈良市大平尾町「上ん堂」と呼ばれる小堂脇に集積された石造物の中から・・・・。

大平尾町は山の中、大柳生から春日原生林裏に当たる奈良市田原地区に続く県道47号線沿い、懐かしい景観がそこここに楽しめる山間集落。

そんな大平尾上出、旧小学校前を山側に少し登ると、高い石垣の上に小さなお堂が有る。

現在では境内とも思えぬガラっとした空き地に中世石仏を彷彿とさせる石造品がずらりと並んでいる。

前列、二体の板碑に挟まれて立つ地蔵石仏。

大和地方に多いタイプの切れ長キツネ目、総高130cm、像高106cm、光背上部には地蔵種子の「カ」を刻む。

山深いこの地にあっても、奈良は近く堂々とした定形地蔵立像・・・・室町後期の大永三年(1523)銘が確認されて居るが、残念ながら蓮坐は土中に埋もれ見ることは出来ない。

撮影2012.5.05


三重県名張市夏見  福典寺墓地の一石六体地蔵

2014年05月11日 | 石仏:三重

名張市夏見、福典寺墓地の一石六体地蔵です。

福典寺は名張市中心街の程近く、夏見橋の積田神社より名張川を渡り南西へ約500m、夏見集落東外れの山裾に建ち古い歴史を有すが、天正伊賀乱の兵火で焼失、この地に再建されたようです。

一石六体地蔵は境内から墓地への通路正面、背の高い石組み基壇の上に安置、頂点の尖った山形板石に横長枡形を造り、横一列の小さな六体地蔵を並べている。

立像だろうが体躯は寸足らず、おまけに何処も同じく、ほとんどの尊像を白っぽい地衣類が侵食している。

像高30cmにも及ばない程チンチクリン・・・、近世以降の現代仏かもしれない??

参道入口、無縁仏集積脇には蓮台に結跏趺坐した定印の阿弥陀如来坐像。

こちらは何とか中世の匂いを残している。

撮影2012.5.4


三重県名張市 八幡墓地一石六体地蔵石仏

2014年05月10日 | 石仏:三重

名張地域ではどこの墓地を訪ねても・・凡そ殆どが六体地蔵と言えばこの様な一石六体地蔵 です。

ここは木津川へ注ぐ名張川中流域、名張市最西端にある八幡集落の墓地、しかし周りは工業地帯に開発され、集落だけがぽつんと取り残され古い景観を留めている。

この墓地では古い「しきたりが」まだよく残って居るのか??竹筒の頂部を六本に割ったローソク立てが建てられていた。

山城や大和では見かけないけど・・・・・、これに近いものは、この名張や大和高原室生の各所で目にする。

まるでこけし人形を横一列に六つ並べた様な単純素朴さ。

蒲鉾型の頂部がなだらかな自然花崗岩を整形し、六体地蔵を刻み出しているが、白っぽいゼニゴケが全面を覆い、像容は詳らかでない。

枠外中央にある蓮弁から察するに江戸中期以降の造立。

この墓地では墓石に縄を巻きつけて居るのを見かけたが・・・これは一体何を意味する物なのだろうか??

多くの墓地を訪ねたが、この様なしきたりは今までに見掛けた事がない。

撮影2012.5.4


三重県伊賀市 橋本寺の六地蔵石幢

2014年05月09日 | 石仏:三重

名阪大内インター近く、橋本寺に残された六地蔵石憧。

旧国道25号線脇、木津川と田園地帯に囲まれた中にある檀家寺・・・、最近改築が成ったのか良く整備され真新しい。

六地蔵石憧は境内脇の墓地内に安置されている。

どうも何処から見ても落ち着かず、アンバランスな感は否めない・・・・後補の蓮台の上に六角龕部を載せ、頂部のとんがり頭の円錐笠を置いていて、子供の積み木の様にも見えたりもする。

龕部も見る限り中世仏の匂いは消え失せた江戸期以降のもの・・・石仏としての価値は見いだせませんが・・・このアンバランスさがどことなく良い。

撮影2012.5.4


三重県名張市 上小波田墓地一石六体地蔵

2014年05月08日 | 石仏:三重

昨日アップの下小波田近く、上小波田墓地で見かけた一石六体地蔵さん。

カイヅカイブキの植え込みの前、こちらは大きな平石の笠を着た六体地蔵で珍しい。

横長花崗岩自然石に枠を残し、隅を落とした横長枡形を造り、中にレリーフ調の六体地蔵を刻み出している。

この集落では最近新仏でも出たのだろうか、ロウソクが六本、新しい花と、お供の傘が置かれていた。

最近田舎にあっても生活は都市化が進み、こうした古い「しきたり」の見れる墓地ももう僅か・・・。

僕ら世代の田舎育ちには、どこかやるせないけど・・、懐かしい景観の一つです。

横の無縁墓集積には六字名号と合唱地蔵の大きい板碑。

撮影2012.5.4


三重県名張市 下小波田墓地二石六体地蔵

2014年05月07日 | 石仏:三重

名張市下小波田墓地に佇む、一見、一石六体地蔵かと見紛う様な二石六体地蔵石仏。

集落から外れた田圃の広がりを目の前にした山裾の墓地・・・・最近綺麗に整備されたようで陰湿さは全く感じられない。

そんあ墓地入口に、コンクリート基壇設け、この一風変わった六体地蔵が安置されている。

元々一石だった物をこのように加工したのか??何故にわざわざ二石に分けて居るのか?ちょっと不思議な気もします。

向かって左の三体・・・・いずれも口を空いてにこやかに笑って居ます。

こちら向かって左の三体、口をつむいで居ますが、ちょっと苦笑いしてる様にも・・・・。

江戸期の庶民的な匂いが感じられる様な気がします。

撮影2012.5.4


三重県伊賀市 阿保の子安地蔵さん

2014年05月06日 | 石仏:三重

何とも判り難い山裾に隠れるように在る磨崖石仏。

伊賀市阿保、青山小中学校のすぐ近く、昔はこの前を古道が通って居たのでしょうか??確かに現在も信仰の続いている気配は伺われますが・・・どう見ても痛々しすぎる祠です。

磨崖仏は祠の奥、山裾から突き出した大きな花崗岩の岩肌に刻まれて居ます。

子安地蔵と呼ばれる石仏は高さ50~60cmの縦長枡形を彫り沈めた中に大雑把ながら右手錫杖、左手に宝珠の定形地蔵立像を刻み付けている。

地蔵は蓮台に立つ像高約40cm、拙さと共に風化摩耗も目立ちます。

しかし一層のこと、前に置いた祠などは取り外し、もっと皆に見てもらえるようにした方が良いかもしれない・・・・。

撮影2012.5.4


三重県伊賀市 沖の四面石仏

2014年05月05日 | 石仏:三重

沖集落の南端にも石造品の集積が在り、なかに見慣れぬ四面石仏が在る。

今にも田植えが始まりそうな、水をいっぱいに蓄えたた田園風景の広がる中・・

野道脇、集落の入口と思しき一画に小石仏や板碑が並べ立てられ、その向かって左端に目を惹く石仏が立っている。

石仏は、角柱状花崗岩自然石の三方上部に幅一杯の舟形光背を設け、なかに如来型坐像を刻み出し、残り一面は背光五輪塔を高さ一杯に刻み付けている。

高さ約1.5m、正面と五輪塔のある裏面は幅が広く側面は少し狭い画像通りの板柱石。

広々とした田園風景の中、立ち尽くす風変わりな野仏はそれだけで絵になる景観。

水輪に月輪を線彫りし、なかに種字を刻んでる・・・・浅学の僕に確定は出来ないが、調べて見ると、どうも「釈迦如来」のバクか?「宝生如来」のタラークか様な気がする。

いずれにせよ南方向の主尊を五輪塔に置き換えた四仏塔(柱)、・・・・現在は東向きに立って居る。

五輪塔の向かって左側、現在南向きの石仏・・・これはどう見ても阿弥陀如来で本来ならば西向きのはず。

この石柱はどうやら、90度左に向いてる様です。

これは、弥勒如来か不空成就如来座像?? 

 

こちらは多分薬師如来?阿閦如来(あしゅくにょらい)坐像??

共に像高30cmばかり、別に見たところ銘などは確認できず、これだけで本来の姿だったのかも不明ですが・・・、何とも味わい深い石仏でした。

撮影2012.5.4


三重県伊賀市沖  双体地蔵石仏・他

2014年05月04日 | 石仏:三重

ここは一体なんの跡地なのだろう??、マツバウンランの咲き乱れる中に様々な石造物が並び立てられている。

昨日紹介の沖集落、近鉄伊賀線と不動寺ののちょうど中程・・

民家の庭先脇、田圃に囲まれた空き地の一画に板碑や小石仏を従えるよう・・・、中央に不自然な岩塊に刻まれた双体地蔵石仏が立っています。

高さ約1.5m、磨崖を切り出したような岩面に舟形並び光背を薄く彫り下げ、中に連ザに立つ双体地蔵立像を刻んでいる。

中央頂部、月輪内には阿弥陀種子のキリークを刻み、向かって右手の縦長枡形には法名らしきものが見える。

像容、蓮台からは室町後期の造立が伺われるが・・・・、何かこの場所は取って付けた様な場所にも思われる。

撮影2012.5.4


伊賀市沖 一石六体地蔵

2014年05月03日 | 石仏:三重

伊賀市郊外、沖の墓地に安置された奇妙な形の一石六体地蔵石仏。

沖は伊賀市中心部より南へ約7km、木津川右岸を走る国道422号線沿い、並行する近鉄伊賀線「依那古」駅東側の田園地帯に点在する長閑な里山地域。

そんな集落の東、山裾の不動寺から更に登った斜面に大きな墓地が有り、その入口脇に一見苔むした自然石にしか見えない一石六体地蔵が置かれて居る。

石仏は上下すぼみの高さ約1mばかりの紡錘形自然花崗岩の三面旨く利用し、それぞれに各二体づつ、都合六体の地蔵をを刻み、一石六体地蔵としている。

<中央、西面>

西面を中央にして、左右に各二体づつの地蔵を配し、正面としているが、いずれの面も乾いた白っぽいコケの侵食が激しく像容も覚束ないほど・・・。

<左側、北面>

覚束無い像容ながら像高40~50cm、ローカル色豊かな稚拙な彫りだが・・・どことなく庶民の顔つきで親しみやすい。

ますます酷い南面の二体・・・・まあしかしこんな六体地蔵を見るのは初めてでした。

尚、下の不動寺には天文3年(1534)銘の大きい地蔵菩薩石仏がある。

撮影2012.5.4


奈良市須川町  神宮寺阿弥陀如来石仏、宝筐印塔、他

2014年05月02日 | 石仏:奈良

奈良市須川町、神宮寺に有るを石造物を何点か・・・。

奈良市大柳生近く、南山城「笠置」に抜ける街道筋、なだらかな山襞と風光明媚な棚田に隠れるように建つ上須川の在所。

棚田を挟んで北側斜面上部に真言宗御室派の「天竜山神宮寺」の鄙びた佇まいが在る。

山門を潜って境内に入ると、目の前に上部光背を欠いた石仏、その奥にどっしり構える大柄な宝篋印塔が目に入る。

石仏は細長い庫裡の前、自然石の基台上に立ち、高さ85cm。

右手施無畏印、左手与願印の阿弥陀如来立像、光背面に室町後期の天文十年(1541)の銘が、確認されている。

この時代は特に多くの地蔵石仏が造られた時代だが・・・・。

山門を潜って境内に入ると、目の前に上部光背を欠いた石仏、その奥にどっしり構える大柄な宝篋印塔が目に入る。

石仏は細長い庫裡の前、自然石の基台上に立ち、高さ85cm。

右手施無畏印、左手与願印の阿弥陀如来立像、光背面に室町後期の天文十年(1541)の銘が、確認されている。

この時代は特に多くの地蔵石仏が造られた時代だが・・・・。

境内奥、本堂の向かって左に建つ一際存在感のある宝篋印塔。

花崗岩製、現高約230cm、軒幅約1mもあり、後補の切り石壇の上に立つ。

古式の直立する隅飾りを持ち笠上三段の上を屋根型に傾斜させ特徴的。

大きな塔身には大きい月輪、月輪内には雄渾な金剛界四仏の種子を薬研彫している。

上記を考え合わせ、鎌倉中期の造立だと言われ、奈良市の文化財に指定されて居る。

築地塀の前に並べ立てられた大きな五輪塔。

立派な反花座に立つ鎌倉末仕様の五輪塔は高さ約150cm・・・・・、この寺は明治時代近くの四寺を統廃合して建てられ石仏もそれぞれから移転されて来たという。

撮影2012.5.1


三重県旧島ヶ原村 高仙寺跡地蔵石仏

2014年05月01日 | 石仏:三重

同じく旧島ヶ原村、現在は地区の公民館になっている高仙寺跡に残された石仏さん達。

島ヶ原きっての古刹「正月堂(観菩提寺)」の裏手、鄙びた里山集落、奥村区の公民館脇に並び建てられ、「旧高仙寺」の遺仏だと思われる。

中でも小さいながら人目を惹くのは、小さな地蔵堂に厨子を設け、その中に安置された石仏さん。

身の丈50cm足らずだろうか・・・首と腹部で断裂、おまけに光背の殆どを失ってるものの、堂内で大切に安置されていたのか?像容の傷みは殆ど見られない。

室町期の特徴をよく表す二重蓮座に建つ定形地蔵立像・・・ローカル色の強い彫りだがなかなかの出来栄え。

その前に一列横隊で並び立つ地蔵石仏と宝筐印塔板碑。

穏やかな顔の地蔵菩薩立像は天文(1532~)頃の作??

こちらは童顔ながら凛々しい顔つきの地蔵菩薩立像・・・首で断裂、右上光背も欠損。

蓮座までコンクリート漬けじゃ、ちょっと苦笑いせずには居られない。

撮影2012.5.1