<南面>
「柳生の里」、南外れの国道369号線沿いの高台に建つ立野寺に、前回紹介の新殿神社石塔と良く似た十三重石塔が建っている。
正式には大悲山観音院立野密寺とする高野山真言宗の寺ですが、中世に創建されたとの伝承を持つほか由緒は不明です。
懐かしい佇まいを残す山里の高台に建つ寺は殆ど訪れる人もなく静まり返っていますが、こんな片田舎にあって住職家族も在住で境内の手入れも行き届いています。
明治の廃仏毀釈でいったん廃寺になりましたが・・・のち明治15年には再建され遺物はそのまま引き継がれているようです。
十三重の石塔は薬師堂と本堂の真ん中辺り、携帯でも一番目立つ場所に在り、やっぱり少し華奢な姿ですが・・・すくっと建っています。
ご覧のように相輪は新しく後補されたものですが、二重の基礎石に載る初軸部には顕教四仏を半肉彫りで刻みだして居ます。
正面を西に向け舟形光背の中蓮華座に座する像高20cmばかりの薬師如来坐像と思える石仏・・・・本来ならここは阿弥陀なのだが??
南面からの全容・・・・、総高約4m足らず、基礎石に刻銘はなく全て素面ですが屋根石の作りや四仏の像容から南北朝~室町初期の造立とされて居ます。
南面初軸部の石仏・・・本来なら釈迦如来なのですが・・・・・どうでしょう、見分けが付きません。
背面は東向きですが・・・、これはどう見ても阿弥陀如来坐像です。
北面の弥勒の筈ですが初軸部がすっくり180度回転しているようです。
屋根石は結構重厚で鎌倉期の名残をとどめて居ます。
境内南の片隅には寄せ集めたと思われるこんな五輪塔・・・
地輪部正面には鎌倉期の像容を持つ合掌地蔵、舟形光背のなか蓮華座に立ち像高約20cm
地輪部一方だけにこうした石仏が入るのはあまり見かけない。
傍らの地蔵さん、高さ約1m、中世石仏の面影をとどめる江戸時代初期の造立。
こんな片田舎の山寺に在って、この石仏達はどんな歴史を乗り越えて来たのだろう・・・・。
撮影2012.7.29