3mにも及ぶ程の総高を持ち、見慣れない造形で建つ伊賀には数少ない宝塔です。
永保寺は喰代(ほおじろ)と言う曰く因縁の有りそうな難解地名の土地に建つ古刹ですが、今は無住となりその広い境内は地域老人のゲートボール場と化して居る。
永保寺の在る喰代(ほおじろ)は、伊賀市街中心辺りより南東方向に約10km、県道56号線喰代交差点から南方、すぐ見える位置に建って居る。
周囲は懐かしさの残る里山地域、すぐ近くには伊賀流忍術の百地砦も有り歴史ゆかしい土地柄です。
そんな境内の片隅に立つ宝塔はどうも見なれない奇妙な塔姿、やけにのっぽ過ぎます。
素人の僕が見てもおかしいのは塔身と基礎石の間に入った、まるで国東塔の特徴的な蓮華座と反花が在り、基礎石の下部にはまだ四段の切石を組んだ基台を設けて居る。
どう見ても蓮華座と反花、四段の基台は新しく江戸時代以降のもの・・・・。
笠部、塔身、基礎石は古様で鎌倉期を彷彿とさせるが、基礎石に記銘は見つからない。
部材の大部分は新しく、江戸時代の後期、一連の安政大地震の前触れとして起きた伊賀上野地震に依る倒壊、破損で再興する際、大きくより立派に見せるため継ぎ足しされたものだろうと思われる。
もしかして笠部や相輪部も、それより以前に後補されたものかも???
撮影2011.3.12