数少ない多宝塔がここ三重県伊賀市の佛土寺境内に二基並び建っている。
佛土寺は伊賀盆地の北端、甲賀と伊賀を分ける山並みの南裾部、東高倉に建つ古刹、平安後期の承安二年(1172)の創建と伝えられますが、天正の兵火によって堂宇を焼失、その後現在の寺観に成ったのは大正時代になってからのようです。
互いによく似た多宝塔ながら微妙に形が違うのは江戸期の享保年間と明治初期に補充、組み直しが行われ、西塔は欠損した相輪に変え後補の露盤・宝珠を置いている。
向かって左側の東塔は総高5.73mと高く、享保の再建時に二区の格狭間入り基礎を継ぎ足したようです。
相輪も新しく後補されたもののようです。
<正面(北面)には不空成就(アク)の種子>
初層塔身には方形の輪郭を取り、浅く彫り沈めた月輪内に金剛界四仏の種子を薬研彫りにしている。
西塔は鴈塔とも呼ばれ、少しバランスを欠いた後補の宝珠が、やけの目立っている。
相輪部が宝珠に変わり総高4.7m、こちらも基礎板石以下は補充された石材に成っている。
正面(北面)には多宝如来・釈迦如来、それぞれの種子が浅い薬研彫りで刻み付けられ、他の三面は素面となっている。
後補、補充の石材も多いものの全体では鎌倉様式の塔の形をよく残し、共に鎌倉時代後期の造顕であり、重要美術品・三重県指定文化財として登録されている。
撮影2011.3.12