つい先だって、韓国から帰りどうしても又この磨崖石仏に出逢いたく成って訪ねてみたので新しい写真を加えての再UPです。
滋賀県の湖南アルプス金勝山には、わが国屈指の磨崖仏である狛坂寺跡磨崖仏があって、完全な姿で残る本格的な磨崖仏としては我が国最古(平安初期)のものです。
近江は、古代朝鮮半島からの渡来人が移り住み、様々な文化を伝えた地で、日本の古代の石仏や石塔の石造美術は、朝鮮半島の百済や新羅の国々との交流や渡来人の活躍によって生まれたものであるといっても過言ではない。
道の駅「こんぜの里りっとう」から、表示板通りに、山道を車で登っていくと、やがて突き当たり、そこにハイキング者用の駐車場が用意されていてる。
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<前回には工事中だった新名神この山を引き裂くように貫いている>
ここから整備されたハイキング道を歩いて、この石仏を訪ねることになる。
ハイキング道は景色もよく、さほどアップダウンがあるわけでもないので、誰にでも簡単にいけますが、片道約1時間は歩かなければなりません。
途中何体かの石仏に出会いますが、それは後日に紹介することにします。
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表示板によると狛坂寺は、弘仁年中(810~823)女人禁制の金勝寺の別院として創立されたと言われていて、明治はじめまで存続したらしいのですが、廃仏毀釈の影響か、廃寺となったようです。
狛坂磨崖仏は、沢のような崖道を下がりきった少しなだらかなところにあり、思わず感歎の声を上げずにはいられないほどの、大きさと、優美さを備えもっています。
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付近は廃寺跡らしく石垣や小石仏もところどころ見られ、こんな山中に栄華盛衰を見る思いがひとしおな場所です。
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この磨崖仏は、、やや傾いた高さ約6m、幅4.5mの巨石に彫られていて。主尊の如来座像は像高約3m、その脇侍(菩薩像)2体は約2.3m、さらにその上部に三尊の座像2組とさらに、三菩薩立像が見られます。
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正面左手脇の別石には蓮華座の三尊像があり、この3体合わせて全部で、15体の素晴らしい石仏です。
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なんと言っても特筆すべきはこの主尊の像容、日本では他に見られない独特な手印を持ち格狭間(こうざま)入りの須弥座の上に結跏趺坐、裳裾を見事にまとめあげて居る。
これは韓国慶州、南山神仙庵(シンソナム )磨崖石仏と相通ずる点が多い。
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勿論この石仏を作った人たちは渡来新羅系の人々であろうと言われており、奈良時代後期の頃に造られたと言われています。
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手尊の両脇に立つ菩薩像はともに腰をくねらせその顔に笑みを浮かべています。
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向かって左手、別石の三尊像はまるでそのままミニチュア化したような感じを受けます。
「狛」は、朝鮮半島とのつながりを今に伝える地名で、僕の住む山城にも同じ狛のつく地名があって、高麗廃寺跡もあり、何らかのつながりがあったのかも知れないと思うと、感慨一入の思いがしていつまでもここで、この石仏に見入って居たかった。
1000年以上もこの地にあって今尚激しい劣化風化も無く、素晴らしい像容を見られるのはこの像が永らく覆屋に護られ、大切に信仰ていたのでは無いだろうか??
帰り道がきついのをすっかり忘れさせる素晴らしい磨崖石仏です。
撮影2005・12.8/2011.10.30