愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

北白川 子安観音石仏(太閤石仏)

2011年11月25日 | 石仏:京都

大きくて立派だけど、なんともやりきれないほど傷んで何が何やら・・・・、まるで大きなタコ入道のような・・・・。

かって志賀越えとも、「山中越え」とも呼ばれた比叡山裾、白川谷を大津方面に抜ける今出川北白川の辻にある大きな石仏です。

この石仏はその昔豊臣秀吉の目に留まり聚楽第(じゅらくだい)に連れ去られたそうですが連日連夜「白川に戻せ~~・・・」と唸り声上げたので又この地に戻されたと云う曰く因縁を持っています。

その後文政十三(1813)年、白川村の大火見舞われ、両手と首がちぎれ「首切れ地蔵」と呼ばれたいた時代もあったとか??・・また最近の平成8年にはトラックの衝突により首が落ちたという・・・・・。

現在見ての通りの有様、名前は「子安観音」と呼ばれていますがその実大日如来坐像のようですが、しかしそれとて、はっきり確かめようも無いほどに劣化が激しい。

それでも付近の住民には信仰篤く香華の絶えることは無く、広く親しまれているようです。

鎌倉期の像立といわれるこの石仏もその原型は殆ど留めず、顔つきもはなはだ石仏には似つかわしくないほど稚拙過ぎる。

座高2m余りに及ぶその大きさから、志賀側の「見世の大仏」に相対する京都側「北白川の子安観音」では無かったのだろうか??

秀吉が一目ぼれした頃、この石仏っさんはどんな顔をしていたのだろう??。

撮影2011.8.27