正福寺は野洲川とその北側、菩提寺山南裾に細長く並び建つ古い集落。
奈良時代聖武天皇の勅願により良弁が開山したと伝えられる七堂伽藍を完備した古名刹の寺号がそのまま集落名になっている。
七堂伽藍は例のごとく織田信長の兵火により悉く焼失したが後中興され浄土宗念仏道場として今に至っている。
この寺の寺僧墓に有るという鎌倉期の阿弥陀三尊石仏を訪ねて此処を訪れたが、最早遭うことはたがわず、住職の話に拠るともう20年ばかし前盗難という不幸に見舞われ忽然とその姿を消してしまったという・・・・・・。
古い写真で見る限りはさぞかし立派な石仏で在った事が伺えるが・・・、なんとも罰当たりも居たもんで、そういう話を聴くにつけ石仏ファンの僕は愕然とする。
そんな境内の覆い屋内にある一石六体地蔵です。
棺台を思わせるような蓮弁を周りに刻み込んだ大きい角台石に載る、一石六体地蔵で上下に三体づつを二段に刻み出している。
像高約40cm、風化磨耗が進み像容も詳ならず、近江では余り見かけないような・・
自然石の上部に小さな舟形光背を彫って・・・・
小さな小さな定印阿弥陀坐像・・像高30cmにも満たない。
こんな磨崖も・・・、向かって右から阿弥陀坐像??地蔵立像??左端は何が何やら状態・・、良く解りません。
多分近くから此処に移動し来たものだとは思いますが・・・・・。
しかしやっぱり、かってこの寺の寺僧墓に在ったと言う阿弥陀三尊に出遭ってみたかったけどなあ。
撮影2006.4.9:2011.6.12