前回紹介の空海寺より通りを北へ100m程、四辻の北西角に五劫院という名古刹がある。
源平の争乱で焼失した東大寺を復興へ導いた重源(ちょうげん)の開基に依る東大寺の末寺で五劫思惟阿弥陀仏像を本尊とする。
本堂のの裏には広い墓地があり、その入り口辺りの小さなお堂の中に二体の大きな地蔵石仏が祀られている。
向かって左、ちょっと黒っぽい石仏が「見返り地蔵」と呼ばれる地蔵石仏で、誰一人として見逃すことなく極楽へ送り届けるようにと振り返っていると言われています。
顔面をやや左に曲げ、体を斜めにして歩行する姿を表し、右手錫杖、左手宝珠を持つ地蔵を厚肉彫りで刻み出している。
安山岩で総高2m、像高約1.5m、永正十三年(1516) の刻銘が有り、室町時代中期の造立。
信仰篤いためか磨耗が進んでいるようにも見えるが??・・・・、元々このような彫だったのだろうか??
このように実際首をひねった石仏などは、他に見たことがない。
右手にはほぼ同じ体躯の定型地蔵、こちらは洗練された美しさをもっている。
やっぱり室町中期の造立。
墓地に進んで小石仏の集積の中央には大きな地蔵十王石仏が三界萬霊碑と共に立つ。
高さ約2m 幅約90cmの長方形花崗岩に、像高145cmの定型地蔵立像を刻み出し、光背の左右に十王像を配し、室町後期の造立。
奈良市街地域には多く、ここでもやっぱり地蔵十王石仏が信仰されている。
撮影2011.6.29