富波と書いて「とば」と読ませるらしい。
地名と言うのは語源がどこにあるのかその地域以外の人間にとっては非常に難解なものが多い。
だからこその面白さは否めないけど・・・・・。
ここは東海道本線に平行して走る県道2号線、中の池川橋畔、2月10日近畿地方は大雪になり、この道路も多登場の車で大渋滞。
冨波甲の勧請縄
冨波乙の勧請縄
そんな中、県道と中の池川橋をはさんで冨波甲と冨波乙の勧請縄が雪の中対峙していた。
その間も距離おおよそ100m、川沿いの堤防脇にポールを建てて道きり縄としての勧請縄のように見えますが・・・・。
ここには勧請縄にちなむ伝説が残り、長和元年(一〇一二年)藤原忠重は冨波村を安土に向かって歩いていたところ、村人を苦しめる大蛇の話を聞き、
忠重はこの大蛇を退治したが、大蛇の毒気を受けて亡くなってしまい、村人はこの遺徳を偲ぶために藁の大蛇を作り村の入り口に掲げたという。
現在、冨波村は冨波甲と冨波乙に分かれており、両村で勧請吊り行事がなされ、ここでは勧請縄をジャナワといっている。
富波甲の縄にはカナメモチを結わえてこしらえた小勧請縄で飾り縄の上には御幣がつきたてられている。
うるう年の今年はいずれもが13本で、小勧請縄を(蛇の)足と呼び、御幣は鱗とよぶそうです。
対峙する冨波乙の勧請縄は冨波甲のものを簡素化した形で造形的には、こちらの方がシンプルでより神々しく見えるのは現代人の「目」だからなのだろうか??
撮影2008.2.10