河内長野市は大阪南部泉州地域の奈良県、和歌山県と県境を接する金剛山系の山懐の町で、かっては大阪のチベットと言われた地域だそうです。
しかし実際には山懐は大きく開発され新興団地が林立する街になっていました。
それでも少し山の中に入ると、山の谷間に小さな集落があちこちに見られる山峡の地です。
流谷八幡宮のあるこの集落も谷川沿いに連なる小さな集落で、その奥まった谷川に近代的な橋がかかっていて向こう岸にこの流谷八幡宮が見える。
勧請縄は谷川の手前側の勧請杉と呼ばれる二本の巨杉から対岸にある柿の古木の間に渡されている。
昔、この里は甲斐の庄と呼ばれ京都石清水八幡宮の荘園で、長暦3年(1039年)1月6日に京都石清水八幡宮のご神体を勧請するに際し、道から社頭へ一筋の綱を渡し、それに宝殿を託して神体を本殿に遷宮したそうです。
この勧請の場所と日時を記念するために、その跡に植えられたのが勧請杉、その翌年からこの勧請縄は続けられているといわれています。
川幅30mに対して、大縄は60m、大縄の途中に「えいらく」と言われる、榊を小縄で括り、玉串で取り付けたものが、平年では12箇所取り付けられ、閏年の今年はは13箇所と成っていてこれは、ほかの地域でもよく見られる慣わしです。
大綱は概ね五月雨の時までには切れるようですが、この綱が切れる時期で、その年の豊作の良し悪しを占ったと伝えられています。
大阪で、これほど大規模な、勧請縄が見られるのはほかにないのでは??。
撮影 2008.1.18