どこか幼さの残る顔で立ち尽くす高麗後期から李氏朝鮮前期(1300~1400年頃)に造立されたと言われる石仏です。
論山市のはるか北方郊外「鶏龍市」との境界近く、里山の斜面台地に立ち尽くしています。
「壬辰倭乱」時に兵火で焼き尽くされ廃虚となってしまった「石佛寺」といわれる寺院の弥勒石仏だといわれています。
後、最近になって現在地に祀り直し、傍らに石仏の背後に有ったと言う松の大木に因んで松佛庵というお堂も建てられている。
現在、石仏の背後に松ノ木は無いが、その傍らにはこんもりとした松の木が有って再度石仏を移動したのかも知れない。
石仏は高麗期の特徴そのままの柱状長身の丸彫り石仏で、総高約5m、角ばった顔の頭上には鍋蓋上の宝蓋を載せている。
体躯の背部は殆ど荒削りのままの石材でなんの装飾も無く・・円盤上の台座は返り蓮弁が刻まれています。
前面体躯はワンピース状の衣に衣文が刻まれ、右手は胸に、左手は脇に下ろされ与願印の様にも??
しかし韓国の場合印相など殆ど意味を持たない様です。
因みにこの石仏さんも如来やら菩薩やら良くわかりませんが、韓国では殆どの仏さんが弥勒仏(ミロクブル)と呼ばれることが多いようです。
どこか俗っぽさのある、遠くを無心に眺めるちょっと幼い自分の子供の頃の姿を見出すような石仏さんでした(決してこんな理知的な顔はしてませんが)。
撮影2011.9.29