愛しきものたち

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慶尚道北慶州市 太宗武烈大王之碑

2011年11月03日 | 韓国 石仏:史跡他

前回紹介の金庚信(キム・ユシン)墓より約1.5km程南下した仙桃山(ソンド山)麓に西岳里古墳群と呼ばれる陵墓郡があり、最前列、最大のものが新羅第29代王である太宗武烈王(金春秋、在位654~661)の陵墓です。

陵墓は、お馴染み韓国式の土饅頭で余り代わり映えはしませんがその参道脇に有る石造墓碑は韓国国宝第25号に指定される見事な石造美術品です。

太宗武烈王は、金庚信(キム・ユシン)と共にに唐の後援勢力のもと、三国統一の基盤を固めた人物でその業績を称える為、文武王の元年(661)に造立された。

表門を入ってすぐ、碑閣の中にこの国宝は誰の監視も無く据え置かれ、勿論直に触ることは出来ないがすぐそばまで近づき写真を撮ることは全くのフリーです。

有るべきはずの業績を称えた碑身そのものは現在欠損して見られませんが見事な亀跌(きふ)と、本来「碑身」の上に載る魑首(ちしゅ)が残されています。

碑身の一部は近くの民家から発見されたようですが現在何処に有るかは知りませんが??

「亀跌」と呼ばれる霊亀は像身3.8m、高さ約1m、幅2.5m首を掲げた全身には見事な彫刻が施され寸分のすきも見れ無いほどの完成度です。

当時同盟関係にあった唐の影響を受けたと言われるこの亀跌は群を抜く、再興傑作だと称されています。

本来「碑身」の載る位置には6匹の龍が3匹ずつ絡まって如意珠を奉じた「魑首」が据えられています。

高さ1.1m、幅1m、厚さ36cm。

左右側面に三体づつの竜頭を連ねた造形も素晴らしいと云うより他に言葉も見つからないほど・・・・・。

中央で断裂していますが見事に複雑な絡まりようです。

中央には武烈王(武烈王)の次男であるギムインムンの書であるという「太宗武烈大王之碑」の八文字・・・

全体的に力強く、緻密で統一新羅初期の写実主義様式の代表作と云われているのも納得できます。

明日香キトラ古墳のあの亀と龍が絡み合う「玄武壁画」をふと思い出した。

撮影2011.10.3

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