遠目には崩れた石垣、おもちゃ箱の積み木をひっくり返したような状態の磨崖石仏群に「なんじゃこりゃ・・・・」と思わずつぶやく。
柱状摂理の岩壁に彫ったものなのか、はたまた激しい地殻変動でも有ってこのような形になってしまったものなのか?まるでジグソーパズルの磨崖石仏、縦横に走る断裂で首と言わず足と言わずバラバラ状態のものが多く近づくのも危険なほどの惨状です.
安心院の中心から国道500号線で山手、別府方面に約5分も走ると左手に「安心院里の駅」のある「小の岩の庄」信号、これを過ぎ次のT字を左手に入って直ぐ、山手斜面の一段高くなったところに崩れた石垣状に見える楢本磨崖石仏群があり、道路は石仏前で少し広くなっており何の問題も無く駐車出来る。
道路から5mばかり石段を上った鉄柵の向こうにある磨崖石仏群は間口約20m、覆い屋などもなく露天で撮影にも問題なしだが、その分痛みも激しいのだろうか??
上段左端の金剛力士.多聞天
石仏群は上下二段、その数 45体だと云うことですが、写真でも解るようにその一体一体を確認できるような状態では有りません。
誰の目にも最初に目につくのは上段の不動明王で、他よりも一段と大きく顔は誇張され、全体に赤い彩色の跡が残っています。
この不動坐像の向って右の壁面に応永三十五年(1428)戊申三月と墨書銘があって、室町時代の作であるようですが???。
右側第一龕 地蔵、不動明王、多聞天
上段 薬師と日光月光菩薩 下段に十二神将が三体見える
上段には薬師三尊・釈迦三尊・多聞天・仁王などの像が彫られているようですが中肉薄肉彫入り混じり、その上苔むし風化欠損が多く完璧な状態のものは皆無に等しいが、そこここに彩色の跡が見受けられて妙にほっとしたり。
地蔵を中央に十王、比丘??
下段には十二神将、十王・地蔵・阿弥陀三尊・不動・多聞天などが刻まれているが、実際ここに立って眺めてみると崩れた石塊のそこここに石仏の部分部分が刻まれていると云ったジグソー状態で、どれが、どれの、どの部分なのかといった塩梅です。
像高もまちまちなのですが約1m前後のものが多く 45体もの石仏がもう少し良い状態で一同に会していたら壮観だったろうと想像するしかないのは惜しい。
大日かなあ?十王の首が無い
十王の首かも??
撮影2009.12.26
あちらの石造文化はやっぱり凄い、ぐるっと大分だけでも1週間ほどかかりそうですけどね・・。
まあ、時間とお金と相談ってとこですが???
もうこれは驚愕ですね
安心院という地名は
知っていても
この磨崖仏はまったく初めてです
中途半端な
修復はしないでほしいですが
守って欲しいですね~
うわ~
ますます九州が…