交野市倉地、源氏の滝への参道脇に打ち捨てられる様に浮かれた石仏さん達。
源氏の滝は交野市北端、岩倉開元寺と言う古代寺院が流星を極め、交野頂上付近からこの山裾あたりにまで伽藍を連ねていたと言う。
そんな岩蔵開元寺は織田信長に依る二度目の焼失に遭い再建されることはなく、その時焼きだされた黒焦げの不動明王は、滝の対岸を登った宣春院・本堂(不動堂)に残されて居る。
源氏の滝と呼ばれるこの滝は、古代寺院「岩蔵開元寺」にちなみ「元寺滝(げんじの滝)」と呼ばれる。
滝は修験道の修行の場として使われ、滝左手の岩座には不動明王の種子が刻まれて居る。
滝からはほんの100m程下流、落ち葉に埋もれるように石仏・石塔が70体程も集められています。
因みに内訳は阿弥陀如来石仏が51体、地蔵菩薩石仏4体、二尊石仏3体、石塔類11体と、圧倒的に阿弥陀如来さんが多いようです。
例により目に留まった石仏を数点・・・・。
斜面近く後列左、舟形加工石に縁を残した舟形を彫り窪め、中に中肉彫りの定印阿弥陀坐像を刻み出す。
しっかりした像容で室町期前期の造立。
その右手、上部に断裂痕を残し、苔むす石仏・・・。
上部を舟形に加工した下部の長い板石状加工石の上部を舟形に彫り沈め中に結跏趺坐する定印阿弥陀坐像を中肉で刻み出し、室町好奇の像立か?
同様の阿弥陀石仏だが、より大まかな簡略化が進み桃山期の造立・・・
総高約70cm、定印の指先もしっかり表現され、肉付きは良いが迫力には欠ける室町中期頃の造立だろうか??
自然石を荒削りに整え、定印阿弥陀を目一杯に刻みだしたこんな石仏も・・・・
かって織田軍の軍勢に踏みにじられたのかも?
撮影2012.6.17