今、巷で話題になっている大河ドラマで徳川家康が堺から遁走したといわれる伊賀越え。
<現在の多羅尾峠付近・・・旧道と新道が交わる付近>
その伊賀越えで最大難所の御斎峠(おとぎとうげ)越えに際し、言い伝えの残る石仏が近くの多羅尾集落の浄顕寺に祀られている。
御斎峠(おとぎとうげ)は伊賀と、甲賀、山城、を隔てる峠で付近からは伊賀平野を一望出来る。
多羅尾の集落は、家康の伊賀越えに尽力した多羅尾氏が褒賞に幕府直轄代官を任じられ、一時期城下町の様相を呈したと云うが、現在では山懐の辺鄙ながら彼方此方に歴史の匂いが感じられ懐かしさに出遭える山里です。
集落の中程、学校や神社の有る山裾の高台に多羅尾氏の菩提寺とされる清龍山浄顕寺がある。
最近綺麗に整備された浄顕寺の瀟洒な山門を入ると本堂脇の鐘楼前に十王石仏が整然と並べられている。
元々は御斎峠近くの刑場跡に有ったようですがこの寺に移設されたらしい。
ずんぐりむっくりの十王石仏は像高40cmばかりの丸彫で江戸時代初期のものだと考えられてるようですが、顔の表情があの恐ろしい地獄の裁判官の十王にしては穏やかなのがちょっと不思議・・・。
前一列の五王は像容も良く残り痛みも有りませんが、後列に於いては傷みが甚だしく、頭部が無くなったり殆ど残欠状態になっています。
十王なのに此処に並んでいるのは九体、足りない一体は 徳川家の伊賀越えに石仏を駕籠に乗せ、自分の身代わりにしたという伝説が残っているとか??
まあ、話としては面白いがですが・・・。
他、境内には何処からもってきたのかこんな石仏達にも出遭いました。
こっちは道標??
撮影2006.11.05他