ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

06/11/29 『タンゴ・冬の終わりに』千穐楽

2006-12-10 01:32:27 | 観劇

昨年やはりシアターコクーンで清水邦夫×蜷川幸雄の『幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門』がすごくよかった(感想はこちら)。今回の『タンゴ・冬の終わりに』も期待が高まる。
1984年に日本初演、86年再演。1991年にはイギリスで上演されたが評判は今ひとつだったという。蜷川氏も不本意だったらしい。そのリベンジともいうべき今回の公演、あちこちで絶賛の声がきこえてくる。観劇の2週間くらい前にプログラムを買って読み、千穐楽1回のみ観劇。
話の設定は以下の通り(公式サイトより)。
日本海に面した町の古びた映画館。清村盛は有名な俳優だったが、3年前に突然引退して、妻ぎんとともに生まれ故郷の弟が経営する映画館でひっそりと暮らしている。そこへ、昔の俳優仲間であった名和水尾と彼女の夫、連がやってくる。かつて盛と水尾は激しい恋に燃えていた。訪れた水尾が見たのは、すっかり狂気にとりつかれてしまった男の姿だった…。
今回のキャストは以下の通り。
清村盛=堤 真一 妻ぎん=秋山菜津子
おば=新橋耐子 映画館をやっている弟=高橋洋
映画館の事務員=毬谷友子
名和水尾=常盤貴子 その夫連に段田安則
沢竜二、品川徹、月川悠貴、他

舞台は映画館の傾斜した客席。老朽化してところどころ椅子もなくなっている。冒頭は弟が映写している「イージーライダー」と思われる映画を盛が観ている場面から。客席は幻の観客が100人いて映画の盛り上がりとともに騒ぎ、悲劇的結末に大騒ぎで嘆き悲しみ消えていく。小劇場時代にも100人に花を持たせて舞台に出したというし、1972年の『オイディプス王』の初演時も100人のコロスを出すなど、蜷川さんの得意なリアルな群集の動きをねらう舞台。この100人の若者のイキイキとした動きを作り出すために蜷川氏がどんなことをしたかもプログラムの制作エピソードに書かれていた。ひとりひとりの名前を覚えると宣言して稽古を始めたという。きっとこの100人は大感激して期待にこたえようと全力を出したんだろうなぁというのがひしひしと伝わってくる場面だった。

ところが、全く入っていけない。私は若者の無軌道な暴走が嫌いなのでこの映画も観る気にならないのだが、それを観ての大騒ぎというのがまずいけない。ノーサンキューの内容。まぁ、そこはおいておこう。
主人公たちの物語がすすんでいく。舞台経験があまりない常盤貴子をのぞいてみんな芝居が達者。常盤貴子も綺麗だから台詞回しが単調でもまぁ目をつぶろう。
やはり入っていけない。盛の俳優を引退した理由、狂気に陥っていく理由、妻がその夫に力を与えるために仕掛けた恋愛の罠に落ちた水尾。どれも私の心に響かない。狂気の中で時折甦る舞台の記憶を演じる彼は確かに魅力的だ。しかしながら盛自身の人物像に魅力を感じない。まぁ自分への自信を失ったことから舞台からも現実からも逃げ出したというところなのではないかと思うのだが、この手の人物はとても苦手だ。その本人の不幸とそれに振り回された周囲の不幸の物語のようだ。
もしかして魅力的な俳優としての姿は1970年代という時代の要請に応えるようなものだったのかなとも思い当たる。そしてそれは等身大ではない虚像に過ぎず、そこから逃げ出したということがテーマなのかなぁとも思える。
しかしそれもなんだかエゴイスティックな観念的な話だ。今回の上演にあたり、70年代へのオマージュ的な部分を薄めているらしい。そのへんがわかりにくいから主人公の苦悩が浅く見えてしまう。このくらいのことで逃げ出すのかというくらいに私には見えてしまった。

人間が狂気に走るドラマは、その背景や状況を丁寧に描いてほしい。そうではないと狂気そのものとそれに振り回される周りの人間を描くだけになってしまう。そういうドラマにつきあうというのは観ていてしんどすぎるのである。どこかで納得したいが納得できずに悲しみの情念だけに振り回される。
BGMに流れる「パッヘルベルのカノン」は1幕目は女声で2幕目は男声で歌われて情念を盛り上げる。携帯の着信音楽にカノンを設定している私は好きな音楽なのでそのメロディの魅力には抗いがたい。ところが舞台で展開されるドラマがどうにも共感できないので、グッとひいて最後まで観ていた。

盛がずっと抱いてきた「夢」の象徴としての「孔雀」。子どもの頃には剥製を盗んできたというが、これも幻の記憶なのかもしれない。子ども時代の記憶の場面には何回か天井から吊られたブランコに乗った友だちの幻が降りてきて「盛く~ん....」と呼びかける(おなじみの美しい月川悠貴はここだけの登場なのが贅沢とも思える)。
その孔雀を抱いているつもりの盛を否定し、自分の愛で立ち直らせようと誤信した水尾はデズデモーナとしてオセローになった盛に首を絞めて殺される。その死に顔を見て一瞬現実に戻った聖は再び狂気の中でタンゴを愛する女と踊っているように一人で踊り、そこを夫の連に刺されて死ぬ。
妻のぎんの愛と、偽りの恋愛からまことの愛を育ててしまった水尾の愛。若い水尾の愛の傲慢とその報い。夫も多分自らの命を絶ったことだろう。もがきながらその愛にまっすぐに生きて死んでいった人たち。そして自らの仕掛けたことの報いを受けて一人残されたぎんのまなざしの先には何が見えるのだろう。

タンゴの踊りの向こうで映画館の壁も崩壊し、この日本海の海際の気候独特の桜の花に雪が舞うという場面。桜の花は狂気や流血を呼ぶという日本にある感覚を生かした幕切れ。そこに再び100人の幻の観客があらわれて全てが幻となる。

日本の様式美をもってしてはじめて、この日本の70年代のオマージュ的作品は完成するのだろう。ビジュアル的にも俳優の演技も完成度が高い。そういった意味では観てよかった。内容だけ私との相性が悪かったようだ。私には『・・・・・狂おしのわれら将門』のように時代の変化や権力との関係でもがき苦しむドラマの方が好ましい。
最後に蜷川氏が降らせたものは今回は孔雀の羽。まさに「夢」のプレゼントということで拾えた人は嬉しそうだった。2階の右列だったので天井から孔雀の羽が降っているのを見ているだけでも陶然とした気分になったのは◎。

写真は公式サイトより今回公演のチラシ画像。
追記
千穐楽だけにカーテンコールが何回もあった。私は幻の観客役の若者たちが傾斜した映画館の観客席に居並ぶ一番後ろから蜷川氏が登場して皆から歓声を浴びていたところで思わず目頭が熱くなった。70歳の蜷川さんと若い世代でちゃんとここまで気持ちを通わせて舞台づくりをしてきたことを実感したからだ。ホント尊敬します、蜷川さん!
最後の最後に堤真一が照れくさそうに客席に「ごきげんよう」と一言だけ大きく言ってくれた。何かの大事な台詞だと思うのだが私にはちょっとよくわからなかった(→真聖さんのこちらの記事にここの答えがあったのでご紹介)。次回作も気になる役者だ。


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8 コメント

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なるほど~~♪ (かずりん)
2006-12-11 11:56:09
さすがの文章力♪ぴかちゅうさま♪
私がハマりにハマった作品を違う面からご覧になられていたこと、深い洞察力、う~~ん凄い♪
意見が違っても、それを聞くのは大好き♪

さて、私も『狂おしの・・』は大好きなんです♪先日
WOWOW録画分があるにも関わらず、購入しちゃいました♪(この物入りなときに・・(涙))
でも今回の『タンゴ・・』の方が好きなんだよなあ♪
一度お会いして『タンゴ・・』談議に花を咲かせたいですなあ~~♪(・・ぴかちゅうさんの中では、もう『タンゴ・・』は終わってらっしゃるか?!)
私の周りには誰も『タンゴ・・』の話ができる人がいません(涙)めっちゃ寂しいです・・。
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こんばんは! (真聖)
2006-12-11 21:54:37
11月の1本分をTBさせていただきました。

拙い文ですがよろしくです。

かずりんさま~はじめまして!
堤くん大好きの真聖です。
タンゴ談義私なら毎日でも大丈夫です(^^)。
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皆様TB、コメント有難うm(_ _)m (ぴかちゅう)
2006-12-12 00:26:18

★かずりん様
TBがうまくいかなかったのはセキュリティ大作だったんですね。最近はgooブログも変なTBがいっぱいきますよね。私も毎日何本も削除しないといけないのがけっこう面倒です。貴女さまの下記の記事、面白すぎます。
http://blog.goo.ne.jp/aisaika704/d/20061123
>意見が違っても、それを聞くのは大好き♪
と言っていただくとハッキリと言いたいことを書いた甲斐があります。私は今、今回のような内容がかなり神経にさわる精神状態なので余計に過剰反応しているんだとは思うのですが(^^ゞ
>タンゴ論議.....終わらなくてもいいですよ。っていうか、真聖さんがもうコメントくださってますね。
かずりんさんの東京遠征に合わせてお茶でも食事でもさせていただきたいものです。どうぞお気軽にご連絡くださいませ~(^O^)/
★「舞台大好き真聖のひとりごと♪」の真聖さま
真聖さんの「真」ですものね。堤くんはさすがの演技でした。あまりのよさに劇団☆新感線の『アテルイ』を観ていないのでなんとか観たくなりました。東京でゲキ×シネかDVD上映会でやってくれないかなぁ。買ってしまいそうでコワイです。
タンゴ論議は、細かいところでちょっとわかりにくいところがあったのをお聞きしたいとも思います。「ごきげんよう」は堤くんの20年前の台詞なの?それともこの清村聖の台詞なの?そこらへんがよくわからなくてそこも聞きたいで~す。
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憑かれました (♪~)
2006-12-12 12:28:58
70年代のファッションが再び流行っているここ数年、どこかで時代の繰り返しがリンクしてくるような気がしました。
時代背景が変わっても、取り残された時間がまだまだ存在している土地を思い出しながら、人間心理の普遍の部分への描き方に叫喚してしまいました。
見事な心理ゲーム、または見えない犯罪ともいえる内容でした。
幻の観客が見ていた「イージーライダー」の映画は異質の者たちがあっけなく保守的な人間に殺されてしまう、という終焉でしたね。
今やそんなシーンが目の前に繰り広げられても、誰も騒がなくなった日本です。

いつもコメントとTBありがとうございます。
ココログ、メインテナンスの後はどうもTBが入りにくいみたいでお手数おかけします。
私もTBさせていただきますね。
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こんばんは! (真聖)
2006-12-13 00:24:05
「ごきげんよう~」は清村盛の科白です。
私の数回のタンゴ観劇ブログに科白(間違っている箇所もありそうですが)書いています。

それから、彼の名前は聖じゃなくて「盛」だからね(笑)。
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続・皆様TB、コメント有難うm(_ _)m (ぴかちゅう)
2006-12-13 00:52:14
★「Show Must Go On!」の♪~さま
>70年代のファッションが再び流行っているここ数年.....そうなんですか、最近そういうアンテナをしまっているので全く気づいてませんでした。でも政治状況が違いすぎます。「保革伯仲」なんていう時期もありました。まだまだ熱かったあの頃の雰囲気こそ再来してほしいものです。今の日本社会には全く希望が持てず真冬に向かっているような感じがします。孔雀の羽が抜け落ちた醜い状態?でもまた新しい美しい羽根が生えてくる、それを信じて待つことだ!というメッセージかなぁとは思ったのですが、それにしても冬の厳しさに身を縮めてしのぐしかないと思っているのが今の私かな。
狂言回し的に冒頭と幕切れに同じトレンチコートを着て出てきた秋山菜津子は実にカッコよかったです。しかしながらまず清村聖という主人公に魅力を感じなかったのがダメでしたね。自意識過剰の役者が本当は引きとめて欲しいのに引退宣言して誰も引き止めてくれなかったって.....ああ、やっぱりダメだ。
高橋洋と毬谷友子のカップル、その仲を裂いて娘とくっつけようとしているおばの役の新橋耐子の3人だけが現実の世界にいて、あとは狂気か狂気に引きずり回されているというその対比はけっこう面白かったです。地に足をつけて生きている人たちは逞しいし、羨ましいです。
★真聖さま
>聖じゃなくて「盛」.....前半は「盛」だったのに途中から「聖」になってました。ご指摘有難う。早速修正入れました。
>「ごきげんよう~」は清村盛の科白
真聖さんのタンゴ観劇ブログの科白の載った記事を見つけました。本文中でもご紹介させていただくことにしましたのでご了承くださいませ~(^O^)/
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再びタンゴ♪ (かずりん)
2007-04-20 21:14:10
『筆子・・』から、こちらに再び来てしまいました♪
  ↑は、『その時歴史が動いた』を見ていたダンナが
WOWOW放送の『タンゴ・・』を見て、
「常盤ちゃんはかわいい♪かわいい♪」と盛り上がっています。
(堤さんはかっこいい♪かっこいい♪と言ってる
私の横で・・)
今度、『タンゴ・・』のお話で盛り上がれるかしら・・。
いや、もう、その時は別の殿方のお話になるかしら?
キャッ♪どっちにしても楽しみです♪
ほんとにいろいろありがとうございました♪
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★かずりん様 (ぴかちゅう)
2007-04-20 22:26:39
>「常盤ちゃんはかわいい♪かわいい♪」と盛り上がっています......あの目がやっぱり魅力的ですよね~。だから映像の方がアップで魅力倍増なんだと思う。舞台で上の方の席からだとその威力が半分以下になってしまいますよ。WOWOW放送のアップ映像でしっかりとその魅力を堪能してください。
>堤さんはかっこいい♪かっこいい♪......このお役はあまり気に入らなかったので「アテルイ」の録画を友人から借りることになっているので、それへの期待を膨らましていま~す。
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