Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ペトレンコの唯一無二の祝祭

2019-11-23 | 文化一般
バーデン・バーデンから最新のマガジンが届いた。108頁の分厚い冊子で、前回とはどこか違うが、2019年第三号になっている。ペトレンコの表紙に続いて13ページペトレンコ関連、6ページを「フィデリオ」の演出家マテヤ・コレチュニックについて割いている。

先ずは編集者ベネディクト・スタムパの言葉として、演出家コレチュニックに電話すると、「ハリウッドが呼ぶ」と反応したと書く。そしてフィデリオへの想いを語りと続き、「ペトレンコと会って、一緒にやって行く」と答えたとある。

そのペトレンコにはベルリンで会って、個人的に微に入り細に亘って話したとある。そしてバーデンバーデンの祝祭に話しが至った。するとペトレンコは一寸考えて、「バーデンバーデンで唯一無二祝祭をやりたい」と語った。中心にあるオペラは、祝祭に相応しいものでなければいけないと、来年は偉大な時となると、それ以上にも合意した。更に演出の選定には関与したいと、それは全く問題の無い事でコレチュニックとペトレンコの出会いをアレンジしたと書く。チームは繋がった。

そして本文で、ベルリナーフィルハーモニカーとの関係で親称では無くて敬称を使う事を提案したことを話しの軸に置いて綴る。その点でアバドやラトルとは異なるのだが、そしてその最後の時期からそれまでの前任者の業績などははかれないのは、丁度十五年間の夫婦が最初の一週間と同じわけがないが必ずしも地獄ではないだろうと、そしてペトレンコとの演奏ぶりを見るととても距離感があるとは響かないとしている。

バーデンバーデンでの「悲愴」とジョンアダムス、ハフナー交響曲とに組み合わせられたプログラム、2019年のチャイコフスキーとシェーンベルクの協奏曲の組み合わせ、まさにハイライトだったとして、テオドール・アドルノからすると一寸おかしい組み合わせが、それこそ救世主のお告げがペトレンコのコンサートのつきものとなっているとしている。そしてそこがペトレンコが超えているところだろうと書く。

同様にフィルハーモニカーの核レパートリーの第九とこれまた核のアルバン・ベルクの作品が組み合わされての不思議なめまい感覚は、メディアにおける神秘性と言うよりも、私たちが芸術や音楽に乞う神秘性と言うものではないかと書く。

そして次の章では、復活祭の宣伝を兼ねてオペラ指揮者としての経歴をざっと述べてから、「ミサソレムニス」はバーデンバーデンのエクスクルシーヴで、そもそも記念年などの契機は要らないと書く。ミュンヘンの人はベルリンでのコンツエェルタンテ上演などでは慰めにはならないだろうと。

そしておもむろに、ベルリンの人にも朗報があると、バーデンバーデンまで空調が効いた列車で6時間、何とミュンヘンからは三時間半しかかからないと。そうその通り、これで行こう!(続く



参照:
音楽劇場としての条件 2019-11-22 | 音
聴衆との盛んな応酬 2019-04-25 | 文化一般

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