Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

BやCの為のAプラン

2020-04-26 | マスメディア批評
金曜日にはベルリンの放送交響楽団の新シーズンに纏わる番組があった。本来ならば今シーズンの演奏会の生中継だったが、指揮者のユロスキーも話していたので価値があった。どうもネットでの新プログラムプレゼンテーションは火曜日にあったようだ。この楽団が初演をしているストラヴィンスキーとシニトケがテーマに作曲家になっているようだ。興味深かったのは、現状では兎に角予定通りの公演を行う心算で、それ以外にBプラン、Cプランと考えておくという事だった。恐らく何処の楽団や劇場でも同じだろうと思う。それでなければ資金も集められなく、当局への圧力にもならない。

Bプラン辺りを期待したい指揮者の一人でもある。出来れば平素から場を語るロート氏には何かをして貰いたいが、今のところSNSで反応するぐらいで、なにも動きが無い。兎に角計画通りに金を集めるのが先決である。

東京の新国立劇場の映像を見た。先の「魔笛」に続いてNHKで少しだけ聴いた「オネーギン」である。両方とも東フィルが演奏しているというので興味津々だった。結論からすれば管弦楽団は一流だと思った。ドイツの劇場でも上位に入るだろう。勿論流しているだけでも幾つかの問題点も聴き取れたが、ドイツの地方劇場でここまでロシア音楽を捌ける楽団はないと思う。指揮者はその方の専門家であろう。たとえば有名なポロネーズなどではもう一息と思うが、そこまで行かない理由も幾つか浮かぶ。

それにも関連するが管弦楽に比較して歌のアンサムブルが成っていなくて、折角のゲスト歌手の歌も全く活かされていない。演出も「魔笛」に続いてお粗末で、それに相応しいような人が指揮しているだけで舞台全体として劇場として全く音楽的な表現が成就されていない。評判の良い合唱だけが孤立して成り立つものでもなく、当然ながらピットの中で完結するものでもない。総合的に三流の劇場の水準になっている。

色々推測するとゲスト指揮者が纏めるまでの下ごしらえが出来ていないのではないかと思った。所謂コレぺティテュアーというアシスタント的な仕事が全くなっていない様で、一体ドイツの地方劇場などに文化庁の支援で研修に送られて修業した人たちはどうしているのかと思った。屹度出来る人たちは日本で指揮者になっているのだろう。そう言えばこの劇場の前監督はまさしくそのような人ではなかったのか。要するにコレぺティテュアーに力のいる人がいないのだろう。指揮者などは金さえ払えば幾らでも連れて来れるが、裏方さんはまさしくその劇場の程度そのものだろうか?

METのアットホームガラを観ていたら、ミュンヘンのヨーナス・カウフマンの部屋に劇場の椅子が置いてあった。あれはどう見てもロージュにもあるやつで、放出したのだろうかと思った。他に気が付いたのはベルリンのフォレの部屋が先日のゲルネの部屋のように屋根裏の音楽室になっていて詰まらないものを思い出した。やはりオペラ歌手はその立場に依るがしみったれた感じを見せては駄目だ。ゴルダ・シュルツのアウグスブルクのそれは気にならないが、スターはスタ-らしくしないとお話しにならない。アンネゾフィームターが税金を巻き上げようとするのを思い出して不愉快になるのと同じである。



参照:
プロシェニウムロージェ 2018-06-09 | 文化一般
厚顔無恥に十万円呉れてやれ 2020-04-22 | 文化一般

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