Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

福島後の反原発への違和感

2011-09-17 | アウトドーア・環境
2005年2月に書いた「デジャブからカタストロフへ」を久しぶりに読み返した。ビブリスの原発見学のことを書いた最初の記事である。二十年ほど前のそのことを思いだそうとしてもなかなか記憶が薄らいでしまっているからだ。

原子炉建屋に併設された司令室に入ったのはビブリスBの方のようだ。出力は1200MW程度で標準的な加圧水型原子炉である。その記事に書いてあるように、管制室のモニターが制御棒の上げ下げを映し出していたとすると、停止中だったのだろう。それならばタービン建屋でも激しい機械音が無かったのは当然なのかもしれない。

他の人の見学記を読むと、2001年以降なので当然とはいえ、原子炉建屋への出入りは更に厳しい個人照会が必要となっている。そして管制室には安全上十八歳以上が立ち入り許可されて、見学には絶えず拳銃を持った保安員が同行とある。

二十年前は保安員はいなかった。ヘルメット以外に現在の福島の作業員のような腐食布の防御服を着せられたのかどうかも記憶に無い。しかし、原子炉建屋に踏み込んだ記憶はあって、格納容器の胴ぐらいの場所を身近で見たのだろうか。

兎に角、様々な工場を見学しているが、原子力発電所ほど静かで整然として清潔な工場は知らない。精密加工のライカの工場でもがたがたしていて話にならない。ダイムラーのプレス工場も音は甚だしくも大変清潔であったが、ステンレスの釜を作るような機械工場も清潔であったが、原発の車両が入るようなことの無いフロアーの綺麗さは格別であった。

さて、こうしたとても古い原子力発電所を見学しての好印象が、決して身近の原発への信頼には結びつくことは無かったのはなぜなのか?今、日本で脱原発運動が盛んだと知ると、どうしてもそこを振り返って考えてみなければいけない。

一体、脱原発とは、反核とは、さよなら原発とはなにか。(続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする