Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

苔生した貴腐葡萄の苦汁

2006-10-21 | 試飲百景
オランダ人が彷徨っておられました。否、甘口ワインに舌鼓を打っておられたのです。ユーロ札を並べて支払いの準備をされていたのです。試飲は無事済まされた様でありました。

さてこのお二人のオランダ男性の風体は、至極標準的で一人はドイツ人には少ない色の濃いブロンドの御髪の色で、まるであのマキシマ様ご主人、次期オランダ王様のような感じでありました。もう一人は長身で、幾らか年上でグレー交じりの落ち着かれた紳士でありました。

私は決まったワインを取りに行っただけなので、部屋に入るなりご挨拶をしてから窓際で道路を覗きながらワインリストなどを覗いていました。すると、「どうぞお掛け。」と話しかけて来るのでした。少ししますと、その年上の紳士が、「あんたドイツ人か」とか言いました。やっと、喋りたかったことが分かったのです。

この紳士は、日本に興味があるのです。要するにこの紳士は、美智子妃と個人的な友人関係にあると言うことでした。それも、この方のご親族が彼女のオランダ列車旅行中に知り合ったと言うことでした。その後、この紳士の義理のお父様だかがお手紙を認めて、美智子妃から返事を受け取り、東宮御所か吹上御所にお招きに預かったと言うことであります。美智子妃を訪問してからその後、日本へ旅行の度に美智子妃のお茶に呼ばれているらしいのです。

皇室とか言われたので、裕仁天皇ですか、明仁天皇ですかと訊ねたのです。そして、初めて後者と分かったのです。そのオランダの紳士方には言わなかったのですが、以前の仕事のパートナーも明仁・美智子ペアーと東京のテニスクラブでダブルスをしていたことを思い出しました。

オランダのこのご友人が、美智子皇后は素晴らしいお方だと仰せになりますので、それは個人的にお付き合いがあればそれはそうで御座いましょうと受け流しますと、孫の世継ぎが生まれたとかなんとか宣われました。

どうしてもこうした話しの展開になりますと、私の方も親戚の者と裕仁天皇との友人関係に付いて触れない訳にはいけません。もし仮にであります、裕仁天皇の話題を肯定的に捉えれば捉えるほど、またそうした言い回しを使えば使うほど、美智子妃は優しい方だと言うオランダ紳士は複雑な心境になるかもしれないのです。しかし、こちらも悪気があった訳でもありません。ただただ天皇家の永続性をすこし示唆しまして、嘗て近過去におきます天皇の意味したものを想起させて頂いたのです。

オランダ人の日本との交友は、歴史的にもそれはそれは深う御座います。しかし、不幸にも皇軍の刀に首を撥ねられてお亡くなりになったオランダ人捕虜生存者や遺族方は、確か裕仁天皇の1971年欧州訪問時に日の丸をお焼きに遊ばれて抗議行動を展開した記憶が御座います。近頃もオランダ人慰安婦慰謝料請求も出ていたのではないでしょうか。

そうした過去を無視致しまして、全てを、現状肯定するような気配に水を指した結果と相成りましたが、事実は事実ですから仕方がありません。オランダ人のリベラルご信奉は最大限の尊敬に値する素晴らしさと感嘆いたして下ります。しかし、どうもモナヒストのこうしたところがドイツ人にケーゼコップと呼ばれて嘲笑されるのだろうかと穿った見方をしてしまうのでした。

そのオランダ人たちはお二人共、大変甘口のワインをたらふく試飲され、気前良く購入して往かれました。チーズとパンの冷たいお食事に、アウスレーゼの芳醇なワインできっとお心が温まるに違いないのです。今頃、きっと気持ちの良いお部屋で、グラスを傾けながら、酸味の爽快さとその甘みに混ざる幾らかの苦い後味に舌鼓を打って居られるのではないでしょうか。本日は、美智子皇后の72歳のお誕生日ということで御座います。

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