Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

敬語の形式

2005-01-27 | 文学・思想
先ごろ紹介したレッシングの詩*で、文法で言う二人称複数の使用から多くを学んだ。英語で言えば、単数THOUに対する複数YOUである。前者はシェークスピアなどの古典で馴染みがある。後者の複数形を単数形としても我々は一般的に使っている。ドイツ語は此れと反対に二人称複数形の二種類、敬称SIEと親称IHRを今日使うのは同時に多数に語りかけるときに限られる。これは英国とドイツの社会文化の大きな相違を示唆する。

以前から気になっていたのは、英語で王に語りかけるYOUR MAJESTY!に対応するドイツ語のEURER HOHEIT!であった。この場合の二人称の主体は民であろうが、それは二人称の複数親称IHRの所有格として表される。複数親称が使われて「己等の」を示し君主と民の関係が明白になる。一人称複数のOURやUNSERは直接なので失礼となる。まして一人称単数のMYやMEINERを使うなかれ、それは恋人だけでよい。

今回初めて解かったのだが、昔はドイツの家庭でも子供は親に対して直接には語りかけずこのような敬語を使っていた。この傾向が何時ごろから変わってきたかは解からない。少なくとも1960年代の社会運動の時期にはこれは既に問題となっていないようなので、第一次大戦後の1918年11月革命によるプロイセン皇帝の退位の影響が推測される。この話からある近所の歯科医が年長者の患者に向かって敬語を使って気持ちが悪いという噂を聞いた。彼はワイン醸造所の子息らしいが、是非親御さんともども会って見たいものである。

形式とはいいながら、社会の中で貴賎や上下があるのは良くない。人格の貴賎は別なのである。近代西洋型社会においては、法の下の平等が謳われている。幸い60年の運動の成果は大きく、権威主義は地に落ちた。最も素晴らしいのは服装の自由で、形式に拘ることなく目的のみを考えればよい。それでも男性の場合は、従来通りのスーツやジャケットにタイが最も無難な解決法である事には変わりがない。それを外してコーディネートするとなると知恵と創造力が要求される。人格を映す趣味の良さが必要とされる。

レッシングの啓蒙主義の詩が謳う「熟成ワイン」に、如何ほどの価値を見出し、何をそこから導き出すかは各々の人格に関わっている。何はともあれ、その含蓄をじっくりと味わうのが肝心である。


* 試飲百景-アイラークップの古いワイン [ ワイン ] / 2005-01-22
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