Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

残された不思議な感覚

2015-06-13 | 雑感
日曜日の山登りに続いて、いつもの沢沿いで走った。初めて心拍数を綺麗に測れた。体調は普通であったが、ベットで安静心拍数(57)を測ってから一時間も経っていないので、限界はあった。走り出しはいつものように押さえることなく、先ず中距離的に上げてみた。設定したゾーンの上限は分168拍なので直ぐに鳴った。なると同時に呼吸法を考えて、押さえて更に走り続けると、警告が鳴ったり止んだりの168前後をキープしたつもりだ。

勿論そのペースで走り続ければいつもよりも早い記録が出ることは知っていた。しかし、後半薄い登りとなってくると、ペースが落ちると同時に心拍数も170を越るようになる。これはグラフを見ると明らかだ。要するに時速10KMが保てなくなると同時に心拍数も下がり難くなる。

なるほど前回までよりはGPS捕捉が出来ているようだが、完全には捉えられていない。標高にも疑問があったのだが、往路と復路が同じ値を出しているところは恐らく正しいのだろう。そうすると高度差が全体で最大50m近くあるが、走っている感じでは全く感じない。やはりおかしい。距離も若干短く出ているようで、それによるともう少し速度はあったかもしれない。

数字だけを見ると往路が10分50秒台、復路が11分30秒台なので記録かもしれない。しかし不満は既に書いたように往路後半での速度低下と復路の落ち方である。最後のスパートはよいとしても、もう少し時速10KM台を維持できないと駄目だろう。同時に最高速度をせめて12KM以上にしたい。

爪先走りは身について腕の振りも強く大きくなったが、よほど調子がよくなければまだまだ空を飛ぶような感じにはならない。早く走る練習を取り込まないといけないだろう。ピッチももう少し伸ばすことは出来ると思うが、腕の振りが更に大きくなると身体のバランスをとるのが更に難しくなる。そして結構筋力がいるのだ。

ブログ「NEXT DREAM 記憶と記録」にて白馬村の話題を読んでいて、そこに別荘を購入した山の仲間のことを思い出して電話した。先ごろ地震が起きたときに連絡を試みたのだが、電話が通じなく心配していたからだ。こうした機会がないと忘れてしまって機会を逃すので、神戸の自宅の方へと電話した。本人が出てきて、三十分ほど話が出来た。

地震で下敷きにでもなったかと思ったが麓の方はなんともなく不在中のペットボトルが倒れていたぐらいだったということだ。古い家を建て直したようでそれもよかったのかもしれない。現地の写真を見てその話をしながら、訪問によい時期などを話していたが、身辺の話になった。

先日当時の一人の仲間が亡くなったようだ。一年前に急性白血病で入院したようだが、帰らぬ人になったということである。故人のことは十代の時の思い出として鮮烈に焼きついている。それは、最初の本格的なクライミングを錫杖岳で行ったときのパートナーだったからだ。確か前衛壁の左方カンテから本峰の方へ回ってビヴァークを余儀なくされたときのことだ。本峰まで足を伸ばすつもりはなかったのだが、降り口が分からなくなったのは経験がない者としては仕方がないだろう。我々の仲間のもう一パーティーも一緒に行動したのだが、壁の足元の横断路の真ん中辺りの庇の下で夜を明かすことになったのだった。更に明朝二パーティーが別れて降りるなど最初のしくじりとして忘れることの出来ない苦い思い出である。幸い両方とも各々二名は無事にベースへと降りてきたのだが、私の判断は未知の壁を懸垂下降することであり、昨年もアルプスで同じような状況に陥ったときに思い出してしまった。

懸垂下降するところは下部岩壁で傾斜も弱くいざとなればごぼうで登り返せると思ったからであるが、上から見えていたボルト一本が手掛かりだった。今から考えてみると40Mザイルで二回しか懸垂していないので大した距離ではなかったが、日本の岩場としては二回も懸垂下降するのは十分な大きさだった。そのときのパートナーで、後には仕事の関係で他所へと移って行ったが、いつもそのときの経験とともに忘れられないそ存在であった。

結婚後障害児を持つようになって、時間もなかったのかもしれないが殆ど会う機会がなくなった。そのようなことで、昨年もあのときのことを鮮烈に思い出す機会があったにも拘らずなんら連絡する方法もなかったのだった。どのような生活をしていたかはあまり分からないが、最後まであまり昔話をしているような気分ではなかったのだろう。聞くところによると享年62歳らしい。年上に関わらず、故人の人生の転機のようなものをつぶさに見る境遇があって、十代の私にはその決断のあり方などは十分に理解できなかったのだが、こうして逝ってしまうと、そこには運命というようなものしか感じさせない不思議な感覚だけが残されることになった。



参照:
仮眠後の不健康な運動 2015-06-09 | 生活
詳しく検証すべき記録 2015-06-07 | 雑感

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