Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

アルベリヒは南仏に消えて、

2015-06-14 | 雑感
ジェームス・ラストの死が昨日の新聞に載っていた。そのサウンドや曲は思い浮かばなくても、ポール・モーリアなどと並べて、ドイツを代表する世界的有名人には違いなかった。

アムステルダムでの「ルル」上演の新聞評を読んだ。奈落のコンセルトヘボー管弦楽団と指揮のツェグロセクが大きな成果をあげていたのは当然だろう。それはあの交響楽団の織物のような弦楽部のアンサムブルとそれに絡む管楽器などの絶妙さを知っている者ならば、そこでのマーラーの最晩年の交響曲の演奏実践を知っている者ならば、アルバン・ベルクのここでの書法にはこうしたアンサムブルが欠かせないことが分かるだろう。当然ながら「モーゼとアロン」でのザルツブルクでの演奏も素晴らしかったが、それ以上にその「音調の妙」がそこで示されたことだろう。しかし、ミュンヘンでの先輩女流評論家と同じくここでも女性評論家はそうした音楽的な構造には触れないで、正確とか、透明感とか形容するがそれ以上には演出しか批判しない。しかし一箇所だけ「時間の経過に関して造形芸術は音楽とは全く違う」と本質に繋がる点を指摘して ― そこで作曲家がどのような構成を導いたかが肝心なのだ ―、視覚的に多い情報量を聴衆が目で追うことで音楽の邪魔になったとする批判にしている。

楽匠リヒャルトの孫ヴィーラントの娘のニケ・ヴァークナーの七十歳誕生日に前後して、バイロイトの陰謀が話題となっている。この時期になって、八月一杯で袂を分かつ、先の勝ち組ヴォルフガングの娘パスクエ女史が劇場から締め出しを食らうことで、内紛が明らかになってきた。ヴォルフガングの秘書の娘カタリーナがその就任条件のようになっていた母親違いの姉を締め出すことで、その仲違いの理由が理解されるようになってきたからである。

一部の新聞報道によると指揮者ティーレマンの陰謀としていて、なるほど一昨年・昨年のキリル・ペトレンコの大成功がその一味にとって脅威になってきたことが分かるのだ。今回も声明を出したベルリンのバレンボイムやミュンヘンのペトレンコがそのものパスクエ女史のアーティストアドヴァイザーとしての人的関係に深く結びついているようで、彼女が劇場をうろうろすることで今後の人事にも影響を与えると恐れたのだろう。

面白いと思うのは、ペトレンコがパスキエ女史がそこにいることを出演の条件としていることと、ジークフリート役のライアンを追い出したことを問題としていることだろう。これを読むとやはりパスキエ女史がその後も秋からアドヴァイザーとしての契約を結ぶことになっていて、盛んに動いていた風は想像される。そもそもティーレマンとの関係もペトレンコの成功で劣悪になっていたに違いない。要するにパスクエ女史がいなければ、ペトレンコのバイロイト登場はなかったことが、これではっきりする ― そもそも牛耳ろうとしている指揮者が自分を脅かすほどの指揮者に舞台を与えることなど全く考えられないからだ。

そして同じぐらい話題となっているのが券が余っていることで、四月ごろに気がついていたが、若干の色気があったのでここでは書かなかった。どうもバイロイトの券が公平に配給されることで今まではブラックマーケットや関係者に渡っていた券がだぶつくようになってきたらしい。そもそも東ドイツが併合されたとしても90年代から益々券の入手が難しくなっていたのには疑惑があった。音楽劇場の券は、ミュンヘンでもバーデン・バーデンでも同じようにそれほど需要がないのが事実で、多くはサークルなどの行事としての定期会員への販売として処理されていて、一般売りの発券数が少ないから券がだぶつくようなことを避けているに過ぎない。

そうした状況の中で、三年目の「指輪」が録画されるということになって、焦ったのか今年の初日であるカタリーナ演出の「トリスタン」も中継されることになったようだ。しかし流石に初日の生中継ではなくて八月七日に中継されるとある。ティーレマン・カタリーナ一味が追い込まれた状況がよく表れている。

ニケ・ヴァークナーによると、ヴィーラントの死後に、弟のヴォルフガングがその「財産」を引き継ぐと同時に、ヴィーラントの家族は駆逐されたとある。そして法人化の中での締め出しが確定していく状況は、「指輪」の世界そのもののソープオペラなのだが、そのヴォルフガング体制を批判している。女史に言わせると「ヴィーラントの革新的な劇場は、ヴォルフガングによってフランケンのビーダーマイヤー風になり、現在のカタリーナ体勢で古臭く、くすんだものになってしまっている」と撃破する。それでもカタリーナ体制は長続きしないだろうと、長くても2020年までと考えていて、最後の機会を掴みたいようだ。



参照:
「大指揮者」の十八番演奏 2014-03-18 | 音
ヴァークナー熱狂の典型的な例 2014-07-26 | 音
はん旗が掲げられる日々 2015-03-27 | 雑感
百年後の現在の社会の構造 2015-06-04 | 音
アトリエのビッグシスター 2007-07-26 | 女
下馬評に至難な金科玉条 2007-09-30 | 文化一般
迫る清金曜日の音楽 2008-08-27 | 文化一般

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 残された不思議な感覚 | トップ | ヴァージョンアップ準備完了 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿